道草しながら…

「安曇野スタイル2012」のガイドマップできました

「アート・自然・暮らしにふれる  秋の安曇野ゆったり散歩」を呼びかける「安曇野スタイル2012」は、11月1日(木)~4日(日)開かれます。

8回目を迎える安曇野スタイルは、年々参加する作家、施設などが増え今年は93会場117組の参加者によるふだんは見られない工房の公開や作品展示、創作体験、特別メニューなどが来訪者を迎えることになっています。

このガイドマップが、このほどでき上がり配布を始めています。参加者が企画する展示内容のほか、各会場の会期時間や地図が一覧になっています。

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安曇野には、ものづくりや文化活動に携わる人たちや、工房・アトリエ・美術館ギャラリー・クラフトショップ・飲食店・宿泊施設などたくさん点在しており、それぞれ独自のカラーがありとても個性的です。

そんな色とりどりな参加者が、いつもとは参加者がいつもとはひと味違う安曇野の魅力を演出してくれる催しが、安曇野スタイルです。(「安曇野スタイル」のガイドマップから)

今年は来訪者の足の便を考え、周遊バスが臨時に運行されることになっています。1日乗車券もあり、発行当日ならば自由に乗り降りができます。

安曇野スタイルについての問い合わせ先は、☎ 090・9354・1279(成瀬さん)です。

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信州の鏝絵に見る左官職人の技-9    小川天香の描いた十六羅漢

茅野市にある頼岳寺は、境内から一望できる諏訪湖が鵞鳥(ガチョウ)の姿に似ていることから山門に「鵞湖禅林」の額が掲げられています。住職に来意を告げて本堂へ入れていただきました。

一対の額装された鏝絵が祭壇上の左右に飾られています。

この見事な出来栄えと迫力に圧倒されカメラを構えるのも忘れ、しばし見入ってしまいました。 

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羅漢の一人ひとりの表情が克明に描かれています。手にしている仏具なども写実的ですし、虎も凄まじいばかりの迫力で迫って来ます。

鏝絵は絵筆の替わりに鏝を使い、短時間のうちに漆喰土を塗り重ねて彩色し創り上げますが、小川天香が遺した大作「十六羅漢像」は左官職人の真骨頂といえます。

フレスコ画と比べても全くの遜色を感じさせない日本独自の芸術作品、誇るべき力作といえるのではないでしょうか。

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羅漢とは、 お釈迦様の弟子の中で一切の煩悩を断って修行を完成して悟りをひらいた尊敬するに値する高僧を指し、特に優れた代表的な16人の弟子を十六羅漢といいます。

十六羅漢は涅槃(ねはん)に入ろうとする釈迦から、永く現世にとどまり仏法を護持して衆生を救済せよといわれ、各地で仏法を守り伝えたといいます。

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この鏝絵を描いた小川善彌(号は天香)といい、茅野市の出身で昭和25(1950)年に没しています。

天香は10代で左官になり、上京して今泉善吉に師事。今泉善吉は鏝絵の元祖「伊豆の長八」こと入江長八の高弟です。ですから長八の流れを組む鏝絵作家といえます。

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十六羅漢像は、天香が39歳の大正6(1917)年の作で頼岳寺に奉納したものです。現在、頼岳寺の本堂に扁額として大事に飾られています。

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信州の瓦鍾馗を探して-24  佐久市岩村田の鬼首を持った坐り鍾馗

佐久市はかつて岩村田藩1万6千石の城下町でした。ここに中山道の宿場がありました。岩村田宿、塩名田宿などです。

中山道69次のうち、江戸から数えて22、23番目の宿場でしたが、旅籠はいずれも10軒以下の小さな宿場だったようです。一説によると旅人たちは城下町の堅苦しさを好まず、敬遠したため大きく発展しなかったということです。

この岩村田宿に3体の瓦鍾馗があります。

そのうちの一つ、小屋根に載っている鍾馗さん。

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この鍾馗さん、坐っています。瓦鍾馗を研究している小沢正樹さんによると鍾馗座像は「あまり多くはない」と言います。

さらに、この鍾馗さんの左手に注目すると…。

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手にしているのは、討ち取った鬼の首です。この鍾馗さん、鬼との格闘で疲れ、腰かけてひと休みしているのでしょうか?

やはり小沢さんの調べでは、鬼の首を手にした鍾馗さんは、全国的に見てもあまり多くはなく鬼の首を携えている鍾馗さんは、長野県に多く見られるということです。

そういえば、わたしもこれまでに鬼首を手にした鍾馗さんは、5体、鬼を懲らしめている鍾馗さんは9体を目にしています。いずれも長野県内です。

そうなると、上の鬼の首を手にして坐っている姿の鍾馗さんは、全国的にも類例がない鍾馗さんになるかもしれません。

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上も下も、すぐ近くにあった鍾馗さんです。比べると、すぐに分かるかと思いますが非常によく似ています。顔全体、衣のたなびき具合などが酷似しています。背面に板瓦があるかどうかの違いといってもいいかもしれません。

同一作者か、その弟子が作ったものか、はたまた別の人が真似て作ったものかは分かりませんが、よく似ているものが両隣りに掲げられています。

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こちらの家人の話では、かつて「隣りにも立派な鍾馗さんが上げられていた」ということです。

今は更地になっていて建物は見られません。その鍾馗さん、今はどうしているのでしょうか? 健在で屋根に上がっているのでしょうか?


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あなたの心に、良司の声は届いていますか-を投げかける演劇があります

あなたの心に、良司の声は届いていますか-をサブタイトルにした『蒼い空 友の呼ぶ声』の演劇が9月25日(火)に安曇野市穂高の多目的交流ホール「みらい」で上演されます。

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良司とは、安曇野市出身の学徒兵で特攻隊員として戦死した上原良司のことで、当ブログでも過去に取り上げて来ています。(こちらこちらです)

物語の設定は、ボランティア活動に参加する康子が、阪神大震災から十年経った2005年の初夏に神戸に向かう列車の中で同席となった太田と名乗る老人と出会ったことから始まります。

古い国語辞書を大切そうに抱え、かつて学徒兵として特攻隊を志願した過去をもつ太田には、人生最後の「自分探しの旅」だったのです。

NPO現代座の公演で、当日は昼と夜の2回上演されます。昼の部は2時開演、夜は7時の開演になっています。

一般前売り券は、2500円(当日券2800円)、中高生1500(同1800円)で、前売り券はビフ穂高、市民タイムスインフォーメーションセンターなどで取り扱っています。問い合わせ先は、☎090-7246-2004(今村さん)、090-3383-6105(吉野さん)です。

なお、長野市でも9月28日(金)に昼夜2回上演されます。会場は長野市立東部文化ホールです。

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信州の鏝絵に見る左官職人の技-8   鏝絵の古看板

長野市松代に「大勉強」と大書きされた鏝絵の看板がありました。

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初めは「大勉強」とは何か、よく分からなかったのですが鏝で書いた文字の下の絵で合点しました。

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背の低い作業台の前であぐらをかいて、畳針を肘でぐいっと畳に突き刺しては畳を縫い上げて行く様子が描かれていますので、この宅の稼業は畳屋さんだったのでしょう。

畳の立体画法に少し難がありますが、それはご愛嬌として…。

左側に畳屋のタの字を取った屋号も書かれています。右にはボタンかシャクヤクの花が描かれていて、粋なところを見せています。

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大勉強とは、安い労賃で畳仕上げをしますよということなのでしょう。一見して分からなかったものの、分かるとこの鏝絵大看板なかなかよくできたものに思えてきました。

下は、須坂市で保存されている牛乳屋さんに掲げられていた鏝絵看板です。

「劇場通り」の名の付いたストリートがあります。それぞれの通りの名前には由来があるのですが、「劇場通り」は須坂が製糸業で活況を呈していた頃、この通りに映画館が4館もあったことからこの名前が付いたそうです。

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この通りに坂本屋の屋号の牛乳屋さんがあったそうです。そこに上がっていた鏝絵看板で「牛乃乳」と書かれています。

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明治後半に制作されたもので、当時は牛乳を「牛の乳」と呼んでいたことから看板もそのように表記されています。

坂本屋さんは手広く営業し、町内はもとより近隣の小布施、中野の街まで配達していたそうです。

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この「牛の乳」は須坂市南原町の左官職人、関野彦三郎(安政6~大正5年)の作になります。関野彦三郎は、18歳で江戸に出て入江長八の門に入り修業を積みます。その後、帰郷し腕を振るいますが、この「牛乃乳」もその中の一点になります。

現在、「牛乃乳」の鏝絵看板は、坂本屋が廃業するに伴い取り壊すことになったのを契機に、同市に寄贈され、旧上高井郡役所内に保存展示されています。

 

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須坂市にあった鯛の鏝絵です。元魚屋さん(現在仕出し屋さん)の外壁の白漆喰に生きの良さが伝わってきそうな姿で描かれています。

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いつもこの絵の前に営業車が停まっているのですが、カメラを構えていたらここのご主人、移動してくれました。

古くから諏訪大社の門前町として、江戸時代は甲州街道の宿場町として栄えた諏訪市。

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通りに造り酒屋も数軒あり、昔ながらの蔵造りを保存し営業しているところもあります。

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横壁に清酒の銘柄を、鏝絵で大きく描いた看板がありました。

 


 

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信州の瓦鍾馗を探して-23   老舗旅館・金宇館に遺された装飾瓦(松本市)

松本市街地の鍾馗をはじめとした飾り瓦を発見する手がかりを与えてくれた、松本市里山辺にある老舗旅館「金宇館(かなうかん)」を訪れました。美ヶ原温泉の一角になります。

大正期の終わりに開業した同旅館は、現在3代目が跡を継ぎ、趣きのある創業期からの内外装を大事に残し、手を入れ落ち着きのある風情を“売り”にして顧客を迎えています。

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旅館を営む前は、かつてこの地域から産出された粘土で瓦製造業を営んでいた経緯があり、瓦葺きされた屋根の随所に飾り瓦が置かれています。

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正面玄関上の小屋根に、鷲が載っています。岩の上で鋭い手羽で身を支え、来客を迎えているような表情です。

型抜きされた鳩を模った装飾瓦はよく見かけますが、猛禽類を形にした飾り瓦は初めて見ました。

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別の小屋根に、実に精微に制作された大黒天と弁財天が飾られています。顔のにこやかな表情、身に着けているそれぞれの衣装、手にしたり傍にある小道具類の描写の仕方などすばらしい出来栄えです。

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弁財天は七福神の中の唯一の女神になりますが、装飾瓦に登場するのは稀といってよいかと思います。女性ですので鬼師も造りにくいということだったのでしょうか。

大黒や恵比寿はよく目にするのですが、弁財天はじめ布袋、毘沙門天など他の福神は制作が限られているようです。

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2代目の先代が、所蔵している飾り瓦を披歴してくれました。恵比寿と大黒天の壁飾りと置物です。

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壁飾りの裏に銘があります。

三河国 碧海郡高濱町 杉浦重六 大正九年六月

と読めます。

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すなわち、松本・里山辺にも三州からの出稼ぎの鬼師が来ていたことになります。

しかし、2代目の話によると「出稼ぎ職人が(ウチに)来ていた記憶がありません。惣社(そうざ)の瓦屋に来ていたのではないでしょうか」といいます。

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もう一体、金宇館の内風呂の屋根に、鬼門の方角(北東)に向けて鍾馗が飾られています。露天風呂から望むことができるのですが、逆光と立ち上る湯気でなかなか撮影が難しい鍾馗さんです。

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これまで里山辺一体で見てきた型破り鬼師が造った鍾馗さんです。

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造作からいって鬼師・杉浦重六の作とは明らかに違います。多くの飾り瓦をこの地域に残した鬼師は誰なのでしょうか。

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メイン料理と多くの小鉢の味が楽しめる「よしだ」

「割烹・天ぷら よしだ」の看板がありますが、「割烹料理もご用意できますよ-くらいの気持ちで受け止めていただければ…。お昼なども気軽に足を運んでいただける定食にも力を入れています」(女将さんの話)。

というだけあって、店内は一人でも、グループでも食事をしながら寛げるようにカウンター席と座敷席があります。

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開店してから28年を迎えるそうです。素材選びには力を入れているといい毎日、松本公設市場で新鮮な旬の素材を磨かれた目で、仕入れて来ています。

この日は、旬の新サンマを仕入れたということで、焼いてもらいました。ほどよく焼きあがったサンマは、脂のノリもよく大きく肉厚でした。

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定食にしてもらったのですが、先付7品(ゴマ豆腐、酢の物、出汁巻き卵、ナスの田楽、トウモロコシの揚げ物、ミニトマトの煮物、香の物、汁物)がついてきました。どれも風味と出しが利いた品です。

そして、1,000円というリーズナブルな価格、うれしくなります。

定番料理で、人気メニューの「おひさま御膳」は、刺身、焼き魚、野菜の炊き合わせと先付がついて1,500円です。

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〔よしだ 〕 安曇野市堀金烏川2147-4/TEL 0263-72-2276 /営業時間11:30~14:00、17:00~21:00/定休日 月曜日

アクセスは、こちら です。

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信州の鏝絵に見る左官職人の技-7  国分寺地蔵堂の天女

信濃国分寺境内の堂塔伽藍で、もう一つ鏝絵があるところがあります。

地蔵堂で、江戸初期の延命地蔵像と閻魔大王、冥界十王を祀っているということです。

ちなみに十王は、冥界の住人の裁判官で七日ごとにそれぞれの裁判官である王が審判すると言われます。故人の魂が少しでも早く極楽へ行けるようにするため、遺族が法要を営むことによってそれを助けるという信仰が生まれました。

閻魔大王は、亡者が六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)の何処に生まれ変わるかを決定する力を持っているということから特別に知られているわけです。

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その正面の白壁部分に対の飛天が掛かっています。

オリエントの神々は翼を持った姿で描かれるそうですが、仏教の飛天は翼を持たず天衣(はごろも)をまとった女性像として描かれることから天女と呼ばれます。

こちらは、羽衣を身に着け空を飛びながら、琴を奏でているようです。

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飛天は、仏教では阿弥陀如来などの浄土の空を飛びながら天の花を散らし、あるいは天の音楽を奏し、あるいは香を薫じて仏を讃えるということです。

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もう一点は、縦笛を口にしています。天の音楽とはどんな音色なのでしょうか? 聴いてみたいものです。

地蔵堂は昭和57(1982)年に再建しているということですので、この2点の鏝絵もこの頃のものかもしれません。

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信州の瓦鍾馗をさがして-22   旧中山道茂田井宿   鍾馗、琴高仙人

中山道の間宿(あいのしゅく)だった茂田井宿(佐久市)。間宿とは、江戸幕府が正式に認可していなかった“旅籠”で、認可されていた宿場間にありました。

宿場間の距離が離れている場合、旅人は難儀しますがこうした便宜のため自然発生的に興ったといいます。茂田井宿は、芦田宿(佐久市)と望月宿(佐久市)の間にできた休憩所になります。

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幕末に水戸天狗党が挙兵し、尊皇攘夷の志を朝廷に奏上するため中山道を上り上洛する時、この宿に400人余りが宿泊したそうですし、幕府14代将軍家茂に嫁ぐことになった和宮もここを通ったという歴史があります。

ここに3体の瓦鍾馗があります。いずれも鍾馗ガールことnaoさんが見つけたたものです。

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naoさんは個々の鍾馗さんの特徴をつかみ、それらにふさわしいネーミングすることを得意とします。上の鍾馗さんは「眉毛がふさふさのおじいさん鍾馗さん」としましたし…

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こちらは「彫りの深い目がくりくり鍾馗さん」と名付けました。

下については「動物のような可愛らしい鍾馗さん」と呼びましたが、確かによく特徴をつかんでいますね。そして、女性らしくやさしい名付け方だと感心します。

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ところで、この鍾馗さんの後部に白く囲んだものが見えますが、これは「影盛」といいます。

箱棟が大きくなると軒を飾る鬼瓦も大きくしなければならず、屋根に重量が掛かってしまいます。このため木の骨組みを作り、漆喰を塗り込めて重量を軽減します。

こうして鬼瓦のボリュウム感と全体のバランスを取ります。漆喰を使い鏝(こて)による細工になりますので、左官職人さんが影盛を作ります。

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鯉に乗っている人物と言えば、やはり琴高仙人でしょう。顔があまりにも若作りですが鯉の背に乗る人物は琴高仙人しかいませんので、これを制作した鬼師は若作りすることによって何かの意味を持たせたのでしょうか。

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一部が破損していますが、鶴の鬼瓦です。

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こんなかわいい竹林に遊ぶ雀の軒丸瓦もありました。

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赤沢休養林で、ゆっくり安らいでみませんか。

暑かった今年の夏、どのようにして暑さをしのぎましたか? 心と身体はリフレッシュできましたか?

先だっての休日、木曽(上松町)にある森林セラピー基地・赤沢自然休養林へ行って来ました。ここは森林浴発祥の地としても知られています。

まだまだ残暑の厳しい日があるかも知れません。都会の喧騒を離れ、自然に帰る涼やかな森の散策、お薦めです。

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木曽といえば、古くから木曽ヒノキをはじめ木曽五木(ヒノキ、サワラ、ネズコ、アスナロ、コウヤマキ)が全国的に有名で、建築用材として木曽の山々から伐り出され盛んに出荷されてきました。

伐り出された木材は、森林鉄道で運搬されました。当初は手押しのトロッコでしたが、大正4(1915)年、アメリカから蒸気機関車「ボールドウィン」号が導入されました。現在、駅構内にある森林鉄道記念館に静態展示されています。

     Img_2736(伐り出した木材を運ぶ在りし日のボールドウィン号。煙突は、オリジナルの防塵構造を備えた構造になっているといいますが、写真ではすごい排煙を見せています)

蒸気機関車は、昭和30年代の半ばまで使われましたが、その後ディーゼルエンジン車へと変わります。

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ディーゼル機関車も昭和50(1975)年に自動車運送に変わったことから、森林鉄道は幕を閉じます。

しかし、その後「21世紀に残したい自然100選」や「全国森林浴の森」に相次いで選定されたことなどから、昭和62(1987)年に観光鉄道として運航を再開しました。

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現在、訪れた人たちを運ぶ足として休養林エリアの中央部を走る形で 、片道1.1kmを運航しています。

そのディーゼル車両に乗ると、ヒノキのすぐ傍を通り木陰のなかを進み、北側の停車場まで運んでくれます。 

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休養林内を流れる木曽川の支流に架かる鉄橋の上も走ります。

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終点に降り立つと、周りはヒノキの森です。ここから整備された遊歩道が続き、8コースに分かれる散策コースを選ぶことができます。

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どのコースも標高が1000mを超えていますので、深閑とした森の中を通りぬける涼風が心地よく、安らげます。

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そして、木陰、ところどころ木漏れ日の中を、樹林の放つ癒し物質・フィトンチッドを身体いっぱいに浴びながら歩くのは実に清々しいものです。

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樹齢300年のヒノキがもたらしてくれる大自然の恵みといってよいでしょう。

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ヒノキの根元にアスナロの苗木が育っています。アスナロは日陰でも力強く生長するそうで、ヒノキの森はアスナロの生い茂る森へと変容し始めているということです。

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樹木が人の身体にもたらしてくれる働きを教えてくれる解説板も建っています。

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樹林の側を渓流が流れています。川底が透き通って見えるほどの清澄さです。

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ですから、生息するイワナやアマゴなどの川魚が遊泳する姿を見ることもできます。

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伐り出した材木を川の流れを利用して下流域まで運ぶため、堰(せぎ)を造った遺構も残っています。川水をいっぱい溜めて材木を浮かべ、堰を壊して一気に下流へと流したということです。

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せせらぎの音を聞きながら岩盤の上でひと休みすることもできます。

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川の音を耳にしながら 緑陰のなかを散策するのも、また格別です。

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川岸へ下りる階段や足場も設置されています。

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遊歩道は木道やヒノキのチップを敷いていますので、小さな子どもやお年寄りも安全に歩けます。

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水がきれいで冷たくもないことから、子どもたちも水遊びに興じることができます。子どもたちにとって渓流で泳ぐことは、貴重な体験にもなることでしょう。

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赤沢休養林は、やがて訪れる紅葉の季節も見事に色づいて人々を喜ばせてくれるということです。

 

 

赤沢休養林へは国道19号から入りますが、沿道の近くに「寝覚(ねざめ)の床」(上松町)があります。

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木曽川の激流が、長い間に渡って花崗岩の岩盤を水食してできたもので、大正12(1923)年史跡名勝天然記念物に指定されています。

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19号をまたぐ形で「桃介橋 」(南木曽町)が架かっています。福沢桃介が水力発電開発のために木曽川に架けた釣り橋です。

 

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全長247mの日本で最も長い木橋で、近代化遺産として国の重要文化財に指定されています。

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