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2012年9月

「安曇野スタイル2012」のガイドマップできました

「アート・自然・暮らしにふれる  秋の安曇野ゆったり散歩」を呼びかける「安曇野スタイル2012」は、11月1日(木)~4日(日)開かれます。

8回目を迎える安曇野スタイルは、年々参加する作家、施設などが増え今年は93会場117組の参加者によるふだんは見られない工房の公開や作品展示、創作体験、特別メニューなどが来訪者を迎えることになっています。

このガイドマップが、このほどでき上がり配布を始めています。参加者が企画する展示内容のほか、各会場の会期時間や地図が一覧になっています。

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安曇野には、ものづくりや文化活動に携わる人たちや、工房・アトリエ・美術館ギャラリー・クラフトショップ・飲食店・宿泊施設などたくさん点在しており、それぞれ独自のカラーがありとても個性的です。

そんな色とりどりな参加者が、いつもとは参加者がいつもとはひと味違う安曇野の魅力を演出してくれる催しが、安曇野スタイルです。(「安曇野スタイル」のガイドマップから)

今年は来訪者の足の便を考え、周遊バスが臨時に運行されることになっています。1日乗車券もあり、発行当日ならば自由に乗り降りができます。

安曇野スタイルについての問い合わせ先は、☎ 090・9354・1279(成瀬さん)です。

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庵主さまとムジナ~明科・下押野

むかし、雲龍寺の隠居寺として建てられた青柳庵に、庵主(あんじゅ)さまという尼さんが一人で住んでいました。庵主さまは、村を托鉢(たくはつ)して、ひっそりと暮らしていました。

托鉢してまわる庵主さまの後ろ姿を見て、村の女衆のうわさ話に花が咲いていました。「なんか、わけありなお人みてえだいねえ」「あんねに色白で、むかしはきつとえらく美人だったにちげえねえに、今じゃ、頭丸めてお衣姿だでなあ」「そういやあ、庵主さまの笑い声ってのは、聞いたことねえわなあ」

          104_2(大正期に焼失した後に再建された青柳庵。元の建物では、江戸末期から明治期にかけて寺小屋など村の子どもの勉学の場として利用されていたといいます)

秋が近くなり、ブナ林がわずかに色づきはじめた、ある日の夕方のことでした。托鉢から戻った庵主さまが、外で足を洗っていると「ザックザック、シャキシャキ」と勝手の方で、小豆をとぐような音がしました。「はて、だれぞ見えているのかな」と家の中をのぞくと音はピタリと止みました。

しかし、しばらくすると「ザックザックザック、シャキシャキシャキ」と聞こえてきます。「はて、不思議なことじゃが、今夜は久しぶりに小豆粥(あずきがゆ)でも炊いて、いただきましょうかな」と、音に誘われたように、庵主さまのその日の夕餉は小豆粥のごちそうでした。

それからしばらくしたある日、今度は「ゴリゴリ、ゴリゴリゴリ」と、しきりに味噌をするような音が聞こえてきました。「おやまあ、今度は温かな大根の味噌汁がいただきたくなりましたよ」。

庵主さまは楽しげに独り言をいいながら、托鉢でもらった大根を刻んで、あつあつの味噌汁をいただきました。

     110_2    (庵主さまは、このようなやさしい顔立ちで、ムジナと接していたのでしょうか)

それから、またしばらくした夕暮れ時のことでした。「ズイコン、ズイコン、ズイズイズイ」と、外でノコギリで木を切る音がしてきました。そのうちに「ズイコン、ズイコン、ハッハッハー」と、ノコギリを引く人の息づかいまで聞こえてきました。「こんなに日が暮れてから、気を切る人もいないはずじゃが…」。

そっと外をのぞくと、大きなムジナが一匹、しっぽをぴんと立てて、何かしています。ぴんと立ったしつぽを後ろに倒して、右に左にと揺らしました。すると、しっぽの毛が揺れて「ズイコン、ズイコン」と、ノコギリで木を切る音がしました。

次にしっぽを上下に振ると、「ハツハッハッ」と息づかいの音になりました。ムジナの一生懸命な様子に、庵主さまは「オホ」と小さな笑い声を出してしまいました。すると、ムジナはパッと消えてしまいました。

     Photo                (ムジナの剥製=豊科郷土博物館蔵)

やがて、ブナ林の葉が黄金色に染まり、冷たい風が舞い散るようになったころ、「おー、さむ」  托鉢から帰ってきた庵主さまは、戸口を開けて中に入ってまもなく「トン、トン、、トントントン」   と、戸がたたかれました。

庵主さまは、あのときのムジナだなと、とっさに思いました。「はい、 はい。お入りなさいな」。そういっても「トン、トン」と、戸をたたく音がします。なかなか入ってこ  られないムジナの様子に、庵主さまは、とうとう声を上げて笑い出しました。

     109(青柳庵の前に多数の石仏が安置されていて、市有形民俗文化財に指定されています)

「まあまあ、大きな体をして、ずいぶん気の弱いムジナだこと。オホ、オホ、オホホホホ。はい  はい、それでは今夜は久しぶりに小豆粥を炊くことにいたしましょう。わたし一人ではさびしい  ので一緒にごちそうになりましょうぞ」。

かゆが煮えるいい匂いに誘われて、のそのそとムジナ が入ってきて、やがて庵主さまと小豆粥を食べました。   

しばらくして、村の人たちの間に妙な話がささやかれだしました。「変なことだいね。庵主さまはひとり住まいのはずが、夜な夜な庵から話し声がするってぞ」「あの物静かな庵主さまが、オホホ、オホホと笑い声立ててるのを、聞いたもんがいるっていうしな」。   

時が経つにつれて、噂は大きくなりました。「でっけえムジナが出入りしてるのを見たって話だ  ぞ。庵主さまは、ムジナにたぶらかされてるじゃねえだかい」「おらとこの大根抜いてったのは、そのムジナにちげえねえ。もしかしたら庵主さまがムジナ使ってやってるこんかもしんねえぞ」「なんにしても、気味悪いこんだわ」

             103(青柳庵の境内には、西国や秩父の観音霊場に行けなかった人たちのために念仏塔などを建て、それをお参りすることにより巡礼の代わりにした石塔も残っています)

村の人たちは、だんだん庵主さまを避けるようになり、托鉢で分けてもらう食べ物も少なくなっ ていきました。いよいよその日の暮らしにも困るようになったある日、村の人たちの噂話を耳  にした庵主さまは、ムジナにいいました。

「おまえが来てくれて、本当に楽しく過ごせました。で も、わたしを助けようと大根を抜いてきたりしては、村の人に申し訳がたちません。わたしも年 老いて、目も悪くなってしまいました。わたしの家は越後(=新潟県)にあります。わけあって、長い間帰ることができずにいたけれど、他に頼るところもないのでわたしを越後までつれて行 っておくれ」。   

ムジナは、旅人の姿に化けると、庵主さまの手を引いて越後に向かいました。その後、ムジナが再び戻ってきたかどうかは、誰も見たことがないので分かりません。そして住む人のいなくなった青柳庵は、火事で焼けてしまいました。 

 

       * 「あづみ野 明科の民話」(あづみ野児童文学会編)を参考にしました。       

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信州の鏝絵に見る左官職人の技-9    小川天香の描いた十六羅漢

茅野市にある頼岳寺は、境内から一望できる諏訪湖が鵞鳥(ガチョウ)の姿に似ていることから山門に「鵞湖禅林」の額が掲げられています。住職に来意を告げて本堂へ入れていただきました。

一対の額装された鏝絵が祭壇上の左右に飾られています。

この見事な出来栄えと迫力に圧倒されカメラを構えるのも忘れ、しばし見入ってしまいました。 

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羅漢の一人ひとりの表情が克明に描かれています。手にしている仏具なども写実的ですし、虎も凄まじいばかりの迫力で迫って来ます。

鏝絵は絵筆の替わりに鏝を使い、短時間のうちに漆喰土を塗り重ねて彩色し創り上げますが、小川天香が遺した大作「十六羅漢像」は左官職人の真骨頂といえます。

フレスコ画と比べても全くの遜色を感じさせない日本独自の芸術作品、誇るべき力作といえるのではないでしょうか。

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羅漢とは、 お釈迦様の弟子の中で一切の煩悩を断って修行を完成して悟りをひらいた尊敬するに値する高僧を指し、特に優れた代表的な16人の弟子を十六羅漢といいます。

十六羅漢は涅槃(ねはん)に入ろうとする釈迦から、永く現世にとどまり仏法を護持して衆生を救済せよといわれ、各地で仏法を守り伝えたといいます。

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この鏝絵を描いた小川善彌(号は天香)といい、茅野市の出身で昭和25(1950)年に没しています。

天香は10代で左官になり、上京して今泉善吉に師事。今泉善吉は鏝絵の元祖「伊豆の長八」こと入江長八の高弟です。ですから長八の流れを組む鏝絵作家といえます。

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十六羅漢像は、天香が39歳の大正6(1917)年の作で頼岳寺に奉納したものです。現在、頼岳寺の本堂に扁額として大事に飾られています。

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信州の瓦鍾馗を探して-24  佐久市岩村田の鬼首を持った坐り鍾馗

佐久市はかつて岩村田藩1万6千石の城下町でした。ここに中山道の宿場がありました。岩村田宿、塩名田宿などです。

中山道69次のうち、江戸から数えて22、23番目の宿場でしたが、旅籠はいずれも10軒以下の小さな宿場だったようです。一説によると旅人たちは城下町の堅苦しさを好まず、敬遠したため大きく発展しなかったということです。

この岩村田宿に3体の瓦鍾馗があります。

そのうちの一つ、小屋根に載っている鍾馗さん。

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この鍾馗さん、坐っています。瓦鍾馗を研究している小沢正樹さんによると鍾馗座像は「あまり多くはない」と言います。

さらに、この鍾馗さんの左手に注目すると…。

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手にしているのは、討ち取った鬼の首です。この鍾馗さん、鬼との格闘で疲れ、腰かけてひと休みしているのでしょうか?

やはり小沢さんの調べでは、鬼の首を手にした鍾馗さんは、全国的に見てもあまり多くはなく鬼の首を携えている鍾馗さんは、長野県に多く見られるということです。

そういえば、わたしもこれまでに鬼首を手にした鍾馗さんは、5体、鬼を懲らしめている鍾馗さんは9体を目にしています。いずれも長野県内です。

そうなると、上の鬼の首を手にして坐っている姿の鍾馗さんは、全国的にも類例がない鍾馗さんになるかもしれません。

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上も下も、すぐ近くにあった鍾馗さんです。比べると、すぐに分かるかと思いますが非常によく似ています。顔全体、衣のたなびき具合などが酷似しています。背面に板瓦があるかどうかの違いといってもいいかもしれません。

同一作者か、その弟子が作ったものか、はたまた別の人が真似て作ったものかは分かりませんが、よく似ているものが両隣りに掲げられています。

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こちらの家人の話では、かつて「隣りにも立派な鍾馗さんが上げられていた」ということです。

今は更地になっていて建物は見られません。その鍾馗さん、今はどうしているのでしょうか? 健在で屋根に上がっているのでしょうか?


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お玉柳~豊科・重柳

むかし、重柳(しげやなぎ)に百姓の万蔵ときよの夫婦が住んでいました。この夫婦には、お米、お玉という仲の良い姉妹がいました。

姉のお米は、家の中にいて食事を作ったり、針仕事をするのが好きで、おとなしい娘でした。妹のお玉は元気がよく、田畑の仕事が好きで、父や母を助けてせっせと働いていました。

ある年の春のことです。田んぼの仕事が始まって忙しくなってきました。朝は日の出る前から、夜は暗くなるまで、田起こし、苗代作り、種蒔きと、猫の手を借りたくなるほどの忙しさでした。そんなある日、万蔵が馬に鋤(すき)をつけ、田起こしをしていると、まだ生まれたばかりの小さな黒いヘビが、にょろにょろと馬の下を横切ろうとしました。

     123   (むかしは、このように馬に鋤をつけ、田起こしをしました=豊科郷土博物館蔵)

万蔵は、はっとして「どうよ、どう」と、馬を止めましたが、間に合わず、鋤でヘビを二つに切ってしまいました。「いけねえことをしちまったいなあ」とヘビを見ると、しばらく苦しがっていましたが、そのうち動かなくなってしまいました。

「かわいそうなことをしちまった。ここのままじゃ、いけねえで、埋めてやらずよ。どうか成仏(じょうぶつ)しておくれよ」と言って畔(あぜ)の横の柳の木の下に穴を掘って埋めました。手を合わせ拝んで、ふと下を見ると、いつの間に来たのか、大きな黒いヘビがとぐろを巻いて、じっと万蔵を見ていました。

     083    (黒い色をしたヘビというのは、ヤマカガシのことでしょうか=大町山岳博物館蔵)

万蔵はなんだか怖くなり、真っ青になって家へとび帰りました。それから三日ほどして、苗代の種蒔きを終えました。「今年もやっと種まきが終わったで、今夜は風呂沸かし米の飯をたいて祝いをしねえか」と万蔵が言うと、きよも「そうだいね。さっそく家へ帰って用意するわい。お玉や、さあ帰らねえか」とお玉に声をかけました。

「まだ日が高いで、おらセリでも採っていくで、先に帰っておくれや」というので、万蔵ときよは、鍬(くわ)やモミ袋をかついで先に家に帰りました。お玉は、田の畔に長く伸びたセリを引き抜き、両手に持ち切れないほど採ったので、藁(わら)でクルクルと束ねました。

「あーあ、疲れた。一休みしていくか」と、腰のあたりをトントンとたたいて、柳の木の下へ行って腰を下ろしました。背中を幹にもたせていると、仕事の疲れがでたのか、うとうと眠ってしまいました。

そこへ、どこから現れたのか、大きな黒いヘビがスーと近づいてきて、お玉の体にぐるぐると巻きつきました。「ひぇー、だれか助けてーえ」と目を覚ましたお玉は叫びましたが、だんだん苦しくなってきました。

      111(重柳住民の氏神さま・重柳八幡神社。万蔵も何かにつけ、お参りしていたのではないでしょうか)

すっかり暗くなってもお玉が戻らないので、心配になった万蔵はあちこちと探しにでかけました。そして、田の畔の黒い影を作っている柳の木の下までやって来ました。提灯(ちょうちん)の明かりを黒い影に近づけてみると、お玉でした。「おい、お玉、お玉。どうしたんだ」と叫びましたが、お玉は息絶えていました。

万蔵は、ふと三日前の小さなヘビのことを思い出しました。
「ああ、なんてこっつら。おらがヘビの子を殺しちまったばっかりに、お玉が……。おら、へぇだめだ。どうしたらいいずら」と、お玉を抱いたまま、その場にへたりこむと、さめざめと泣きました。

そんなことがあってから、村の人たちは気味悪がって、この柳の木へは誰も近づかなくなりました。それから後、このあたりは柳がたくさん生い茂り、林のようになりました。なかでもひときわ大きい柳の木を、村の人たちは「お玉やなぎ」と呼んだそうです。

 

       * 『 あづみ野 豊科の民話 』(安曇野児童文学会編)を参考にしました。

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メディカルハーブ  バジル

料理用のハーブとして広く知られているバジルの葉は、クローブに似た強く清涼なスパイシーな香味が人気を呼ぶようです。

ニンニク、トマト、ナス、そしてイタリア料理との相性がいいことから良く用いられます。

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メディカルハーブとしては、消化促進作用がありますので胃もたれなどの時に使用します。
バジルには副腎皮質を活性化する働きがありますので、葉で作ったワインは強壮催淫効果もあります。

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葉には、強い殺菌作用もありますので、蚊よけ、寄生虫の駆除、あるいは、たむしや蛇の咬み傷、虫の刺し傷、にきびの治療にも用いられてきました。

また、精油を吸入すると心身が爽快になり、ウイルスに感染して鈍った嗅覚が刺激されます。

マッサージオイルに入れて使用すると、神経の強壮剤になり酷使された筋肉が和らぎます。

敏感肌、妊娠中の人は使用を避けます。

◆ 和名  メボウキ   

◆ 学名  Ocimum basilicum   

◆ 主要成分 エストラゴール、サフロール 

◆ 作用   消化促進作用、殺菌作用、強壮作用

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スパイスの香りがなじんだパウンドケーキ

おいしいパウンドケーキについてご案内いたします。もちろん余分な着色料や保存料などを入れないまろやかな味のローカロリーケーキです。

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商品名は「スパイスケーキ」といいます。名前の通り、カルダモン、シナモン、フェンネル、クローブなど4種のスパイスを混ぜ込み、バターではなく食用植物油を使っています。

三温糖で甘味もほどよく抑え、パサパサ感もなくしっとりと焼き上げていて、ずっしりとした重みもあります。     

スパイスの香りもなじんでいて満足いただける味に仕上がっており、お茶受けには最適です。

 

                    スパイスケーキ            250g   350円(税込み)

* 〔 スパイスケーキ  〕は、ハーブスクエアで通常販売しているほか、通信販売でも取り扱っています。  詳しくは、TEL 0263(83)7782へお問い合わせください。

 

 

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「安曇野の蝶」の細密画展が開かれています

安曇野市豊科の田淵行男記念館で、「安曇野の蝶」と題した田淵が描いた細密画の企画展が開かれています。

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田淵行男(1905-1989)は、日本を代表する昆虫の生態研究家であり、自然写真家として多くの業績を遺しました。

中でも家族で疎開した安曇野の地で高山蝶と出合い、戦後、本格的なその生態研究を行いその成果を『高山蝶』として出版したことにより、昆虫の生態研究家として脚光を浴びるようになりました。

 

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『高山蝶』は、山岳などに生息する9種の蝶の生態を観察したものですが、開催中の企画展では、高山蝶のみならず安曇野で蒐集した蝶の細密画20点を展示しています。

少年の頃から昆虫好きだった田淵は、当時本格的な蝶の図鑑がなかったことから「自分で本物のチョウに近い詳しい図鑑を作りたい」という夢を持ち、中学生の頃から蒐集した蝶の細密画を描くことに没頭したといいます。

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今回展示されているのは、出版社からの求めに応じ田淵が後年描いた細密画になります。

すぐれた随筆家でもあった田淵が記したそれぞれの蝶との出合いに関するエッセイも添えられています。

 

「安曇野の蝶」展は、11月11日(日)までで、毎週月曜日が休館(9月17日、10月8日は開館、それぞれ翌日が休館)です。

入館料は、高校生以上300円。詳しい問い合わせ先は同記念館(☎0263・72・9964)です。

* 掲載画像は、同記念館で販売しているポストカードから撮ったもので、開催中の企画展とは直接関係しません。

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あなたの心に、良司の声は届いていますか-を投げかける演劇があります

あなたの心に、良司の声は届いていますか-をサブタイトルにした『蒼い空 友の呼ぶ声』の演劇が9月25日(火)に安曇野市穂高の多目的交流ホール「みらい」で上演されます。

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良司とは、安曇野市出身の学徒兵で特攻隊員として戦死した上原良司のことで、当ブログでも過去に取り上げて来ています。(こちらこちらです)

物語の設定は、ボランティア活動に参加する康子が、阪神大震災から十年経った2005年の初夏に神戸に向かう列車の中で同席となった太田と名乗る老人と出会ったことから始まります。

古い国語辞書を大切そうに抱え、かつて学徒兵として特攻隊を志願した過去をもつ太田には、人生最後の「自分探しの旅」だったのです。

NPO現代座の公演で、当日は昼と夜の2回上演されます。昼の部は2時開演、夜は7時の開演になっています。

一般前売り券は、2500円(当日券2800円)、中高生1500(同1800円)で、前売り券はビフ穂高、市民タイムスインフォーメーションセンターなどで取り扱っています。問い合わせ先は、☎090-7246-2004(今村さん)、090-3383-6105(吉野さん)です。

なお、長野市でも9月28日(金)に昼夜2回上演されます。会場は長野市立東部文化ホールです。

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信州の鏝絵に見る左官職人の技-8   鏝絵の古看板

長野市松代に「大勉強」と大書きされた鏝絵の看板がありました。

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初めは「大勉強」とは何か、よく分からなかったのですが鏝で書いた文字の下の絵で合点しました。

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背の低い作業台の前であぐらをかいて、畳針を肘でぐいっと畳に突き刺しては畳を縫い上げて行く様子が描かれていますので、この宅の稼業は畳屋さんだったのでしょう。

畳の立体画法に少し難がありますが、それはご愛嬌として…。

左側に畳屋のタの字を取った屋号も書かれています。右にはボタンかシャクヤクの花が描かれていて、粋なところを見せています。

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大勉強とは、安い労賃で畳仕上げをしますよということなのでしょう。一見して分からなかったものの、分かるとこの鏝絵大看板なかなかよくできたものに思えてきました。

下は、須坂市で保存されている牛乳屋さんに掲げられていた鏝絵看板です。

「劇場通り」の名の付いたストリートがあります。それぞれの通りの名前には由来があるのですが、「劇場通り」は須坂が製糸業で活況を呈していた頃、この通りに映画館が4館もあったことからこの名前が付いたそうです。

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この通りに坂本屋の屋号の牛乳屋さんがあったそうです。そこに上がっていた鏝絵看板で「牛乃乳」と書かれています。

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明治後半に制作されたもので、当時は牛乳を「牛の乳」と呼んでいたことから看板もそのように表記されています。

坂本屋さんは手広く営業し、町内はもとより近隣の小布施、中野の街まで配達していたそうです。

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この「牛の乳」は須坂市南原町の左官職人、関野彦三郎(安政6~大正5年)の作になります。関野彦三郎は、18歳で江戸に出て入江長八の門に入り修業を積みます。その後、帰郷し腕を振るいますが、この「牛乃乳」もその中の一点になります。

現在、「牛乃乳」の鏝絵看板は、坂本屋が廃業するに伴い取り壊すことになったのを契機に、同市に寄贈され、旧上高井郡役所内に保存展示されています。

 

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須坂市にあった鯛の鏝絵です。元魚屋さん(現在仕出し屋さん)の外壁の白漆喰に生きの良さが伝わってきそうな姿で描かれています。

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いつもこの絵の前に営業車が停まっているのですが、カメラを構えていたらここのご主人、移動してくれました。

古くから諏訪大社の門前町として、江戸時代は甲州街道の宿場町として栄えた諏訪市。

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通りに造り酒屋も数軒あり、昔ながらの蔵造りを保存し営業しているところもあります。

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横壁に清酒の銘柄を、鏝絵で大きく描いた看板がありました。

 


 

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信州の瓦鍾馗を探して-23   老舗旅館・金宇館に遺された装飾瓦(松本市)

松本市街地の鍾馗をはじめとした飾り瓦を発見する手がかりを与えてくれた、松本市里山辺にある老舗旅館「金宇館(かなうかん)」を訪れました。美ヶ原温泉の一角になります。

大正期の終わりに開業した同旅館は、現在3代目が跡を継ぎ、趣きのある創業期からの内外装を大事に残し、手を入れ落ち着きのある風情を“売り”にして顧客を迎えています。

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旅館を営む前は、かつてこの地域から産出された粘土で瓦製造業を営んでいた経緯があり、瓦葺きされた屋根の随所に飾り瓦が置かれています。

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正面玄関上の小屋根に、鷲が載っています。岩の上で鋭い手羽で身を支え、来客を迎えているような表情です。

型抜きされた鳩を模った装飾瓦はよく見かけますが、猛禽類を形にした飾り瓦は初めて見ました。

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別の小屋根に、実に精微に制作された大黒天と弁財天が飾られています。顔のにこやかな表情、身に着けているそれぞれの衣装、手にしたり傍にある小道具類の描写の仕方などすばらしい出来栄えです。

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弁財天は七福神の中の唯一の女神になりますが、装飾瓦に登場するのは稀といってよいかと思います。女性ですので鬼師も造りにくいということだったのでしょうか。

大黒や恵比寿はよく目にするのですが、弁財天はじめ布袋、毘沙門天など他の福神は制作が限られているようです。

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2代目の先代が、所蔵している飾り瓦を披歴してくれました。恵比寿と大黒天の壁飾りと置物です。

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壁飾りの裏に銘があります。

三河国 碧海郡高濱町 杉浦重六 大正九年六月

と読めます。

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すなわち、松本・里山辺にも三州からの出稼ぎの鬼師が来ていたことになります。

しかし、2代目の話によると「出稼ぎ職人が(ウチに)来ていた記憶がありません。惣社(そうざ)の瓦屋に来ていたのではないでしょうか」といいます。

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もう一体、金宇館の内風呂の屋根に、鬼門の方角(北東)に向けて鍾馗が飾られています。露天風呂から望むことができるのですが、逆光と立ち上る湯気でなかなか撮影が難しい鍾馗さんです。

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これまで里山辺一体で見てきた型破り鬼師が造った鍾馗さんです。

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造作からいって鬼師・杉浦重六の作とは明らかに違います。多くの飾り瓦をこの地域に残した鬼師は誰なのでしょうか。

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メイン料理と多くの小鉢の味が楽しめる「よしだ」

「割烹・天ぷら よしだ」の看板がありますが、「割烹料理もご用意できますよ-くらいの気持ちで受け止めていただければ…。お昼なども気軽に足を運んでいただける定食にも力を入れています」(女将さんの話)。

というだけあって、店内は一人でも、グループでも食事をしながら寛げるようにカウンター席と座敷席があります。

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開店してから28年を迎えるそうです。素材選びには力を入れているといい毎日、松本公設市場で新鮮な旬の素材を磨かれた目で、仕入れて来ています。

この日は、旬の新サンマを仕入れたということで、焼いてもらいました。ほどよく焼きあがったサンマは、脂のノリもよく大きく肉厚でした。

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定食にしてもらったのですが、先付7品(ゴマ豆腐、酢の物、出汁巻き卵、ナスの田楽、トウモロコシの揚げ物、ミニトマトの煮物、香の物、汁物)がついてきました。どれも風味と出しが利いた品です。

そして、1,000円というリーズナブルな価格、うれしくなります。

定番料理で、人気メニューの「おひさま御膳」は、刺身、焼き魚、野菜の炊き合わせと先付がついて1,500円です。

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〔よしだ 〕 安曇野市堀金烏川2147-4/TEL 0263-72-2276 /営業時間11:30~14:00、17:00~21:00/定休日 月曜日

アクセスは、こちら です。

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安曇野の御船子供祭りが催されます

安曇野の秋祭り「御船まつり」は、今月26(水)、27(木)の両日、開催されますが、これに先立ち「子供まつり」が8(土)、9(日)の両日に開かれます。

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この祭りには、子供船が3艘出ます。9日午後、御船に乗った子どもたちが打ち鳴らす笛や太鼓のお囃子にのせてそれぞれの町内を練り、午後3時ころに穂高神社に曳きいれます。

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御船は、安曇野の地がその昔、北九州一帯の海洋に勢力をもっていた安曇族が移り住んだという故事に因んで祖先を偲ぶため造られる山車です。

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画像は一昨年の子供船の飾りですが、歴史物語に因んだ場面を人形制作し船の舞台に飾ります。歴史物語の人形は毎年変わりますので、ことしはどんな人形が登場するのかも楽しみの一つです。

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子供船の船体前後には、かつて使った着物を飾りつけ豪華で華やかになります。

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船は高さ4㍍、長さ5㍍、重さは2㌧もあるそうです。

子どもたちが手綱を引き、大人が後押しして船を動かします。

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十一観音さまと彦太郎じい~三郷・住吉

住吉に住んでいた彦太郎は、若いころ、女房と子どもをはやり病で亡くしてしまいました。葬儀を終えてしばらくしてから、近くの人たちに「わしは二人の供養とこれからの幸せのために、暇を見て巡礼の旅にでたいと思う。わしのわがままを許しておくれや」と、頼みました。

「むりもねえことだ。気のすむように信心してみるさ」といって周りが同意してくれたので、巡礼の旅に出ることになりました。

           256(むかし、ほうそうなどの感染症が流行した時、道祖神や村の十字路などに「ほうそう流し」を置いて悪病退散を祈りました=堀金民俗歴史資料館蔵)

次の日、白装束に身をかため、わずかの物を風呂敷に包みたすき掛けにし、雨具のゴザと檜笠(ひのきがさ)をかぶり鈴を手にして家を発ちました。自分の力で歩き続け、日が暮れれば札所(ふだしょ)のお寺さんに泊めてもらったり、時には野宿して一夜を過ごすこともありました。

春の田植えや、秋の穫り入れには巡礼先から家に戻り、手伝いをしました。その間に信仰する心を失ってはと思い、石工に頼んで十一観音を刻んでもらい、朝夕拝んでいました。

そして、また暇ができると巡礼にでました。あちこちを巡り歩くので、彦太郎が戻ると近所の人たちは珍しい話を聞きに彦太郎のところへ集まりました。

                              255(巡礼の旅に出る人の無事を祈って、藁人形を作って飾った「身代り人形」=堀金民俗歴史資料館蔵)

「秩父へいくとねえ、銘仙の着物の柄がとてもきれいで、秩父縞(ちちぶじま)という織物があるんね。それから、秩父青石といって庭石にするといいね。だが、持ってくるに大変だでね」

「坂東三十三ヶ所はいいところだが、話が分からねえところがあってせ、なんしろ坂東なまりといつて、ここらとは違う言葉を使っていてね」と、彦太郎の話はおもしろおかしく、時の経つのも忘れるほどでした。あちこちの観音霊場からもらってきたお札で、彦太郎の家もいっぱいになりました。

                   033(四国や秩父の霊場へ巡礼に行かれなかった人たちのために建てられた霊塔)

やがて彦太郎も年を取り、八十歳を越えました。でも足腰はしっかりしていて若く見えました。ある日のこと、隣の若い衆が山へ薪(たきぎ)を採りに行くことになり、家の前で支度をしていました。そこへ彦太郎じいさまが来たので「おはようござんす。じじは、あちこち出かけていたで元気だね」と、声をかけました。
すると彦じいは「そうさ、若えころからよく歩いたでなあ。だがへえ年だわや。おらなあ今日死ぬでな」といいます。

「じじ、縁起の悪いこというない。そんねに元気だに、なんで死ぬだい」というと、彦じいは「おら自分の寿命を知っているでな。ハッハッハッ」と笑いながら遠ざかりました。

若い衆が、あんなに元気だった彦じいが亡くなったと聞いたのは、山仕事から戻ったその日でした。
そんなことがあってから村人たちは、「信心深い人は自分の寿命も悟るものなのだ」と噂し、彦じいの遺した十一観音を大事に祀ったということです。

 

              * 『あづみ野 三郷の民話』(平林治康著)を参照しました。

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信州の鏝絵に見る左官職人の技-7  国分寺地蔵堂の天女

信濃国分寺境内の堂塔伽藍で、もう一つ鏝絵があるところがあります。

地蔵堂で、江戸初期の延命地蔵像と閻魔大王、冥界十王を祀っているということです。

ちなみに十王は、冥界の住人の裁判官で七日ごとにそれぞれの裁判官である王が審判すると言われます。故人の魂が少しでも早く極楽へ行けるようにするため、遺族が法要を営むことによってそれを助けるという信仰が生まれました。

閻魔大王は、亡者が六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)の何処に生まれ変わるかを決定する力を持っているということから特別に知られているわけです。

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その正面の白壁部分に対の飛天が掛かっています。

オリエントの神々は翼を持った姿で描かれるそうですが、仏教の飛天は翼を持たず天衣(はごろも)をまとった女性像として描かれることから天女と呼ばれます。

こちらは、羽衣を身に着け空を飛びながら、琴を奏でているようです。

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飛天は、仏教では阿弥陀如来などの浄土の空を飛びながら天の花を散らし、あるいは天の音楽を奏し、あるいは香を薫じて仏を讃えるということです。

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もう一点は、縦笛を口にしています。天の音楽とはどんな音色なのでしょうか? 聴いてみたいものです。

地蔵堂は昭和57(1982)年に再建しているということですので、この2点の鏝絵もこの頃のものかもしれません。

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メディカルハーブ-22   ブラックコホシュ

草丈2.5mほどの多年草で、カナダ、東部アメリカの原産です。森林地の日陰に生育し、夏に刺激臭のあるクリーム色の花が総状花序で咲きます。 

    Img_5296

メディカルハーブとして利用する部位は、根茎になります。

根はアメリカ原住民の民間薬として用いられてきた経緯があります。十分に生長した根で、有効成分含量が最高になるといわれています。

婦人科系の疾患に有効性が確認されていて、更年期障害、特にのぼせ、頭痛、イライラ、膣の乾燥、睡眠障害などの症状に用います。エストロゲン様作用、降圧作用も報告されています。

また、妊娠初期には用いません。

◆ 和名       アメリンショウマ 

◆ 学名     Cimicifuga  racemosa rhizona 

◆ 主要成分  有効成分については不明

◆ 作用     利尿作用、抗リウマチ作用、抗炎症作用、鎮静作用、鎮咳作用、子宮刺激作用、通経作用

 

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