しゃごじさま~豊科・本村
むかし、村はずれに長七と娘のさよが、仲よく暮らしていました。その年は、水不足で米ができず、わずかな畑の作物に頼りながらの生活でした。
そんなある日、さよが熱を出して寝込んでしまいました。長七は、なんとかしてやりたいと思いながら、一生懸命、看病していました。心配した村の人たちは、「お祓いでもしてもらった方がええんじゃねえかや?」と言い、長七は神主にお願いすることにしました。
神主は「西村にある社(やしろ)の薬草を煎じて飲ませれば、病は治る」と、言います。ただ、その社には「しゃごじさま」という、とても怖い神さまがいて、境内にある草や木の枝一本なりとも持ち去ると、祟りが現れて、誰も近づかないとも言うのです。
(現在の西村周辺の風景。村の人の話では、しゃごじさまの祠も土地改良事業で今は見ることができません)
長七は悩んだ末に、次の日の夜中、西村の社のある森へと向かいました。境内に入り込んだ長七は、辺りを見回して誰もいないのを確かめて、こっそりと薬草を採りました。
そして、一目散に家に駆け戻ると、さっそく、薬草を煎じてさよに飲ませました。すると、さよの顔色がだんだん良くなってきて、熱も下がり始めました。
ところが、次の晩から、空が割れるような雷と、地が川のようになるくらいの大雨が、村を襲い始めました。そんな日が、何日も続きました。寄り合いのあった日、「このままじゃ、おらとこの田畑は、みーんな流されちまうだや」。「村が、なんかに祟られちまったような荒れ方じゃねえかい」。
すると、佐平が「そういゃあ、西村の社に棲む金のヘビが、怒って暴れてるちゅう噂だが」と、低い声でつぶやきました。「おお、おらも聞いたわ。なんでも、一軒ずつ家捜ししてるらしいわな」と与助もいいました。
それを聞いた長七は、「きっと、おらのことを探しているに違えねえ」と思い、身の凍るような寒気がしてきました。
(西村を南へ2キロほど行くと、拾ヵ堰が流れ、遠くに常念岳が望めます)
その晩も、雨はいっこうに止まず、長七は、震えながら布団にくるまっていました。しばらくして、スーッと足元が冷たくなったかと思うと、長七の体は固まって動けなくなってしまいました。
次の瞬間、薬草の匂いをかぎつけた金のヘビが、長七の顔の上に姿を現し、「おまえが、わたしの大事な薬草を盗んだね」と言うなり、見る見る長七の首に巻きつきました。
長七は、苦しくもがきながら「うっ、申し訳…ねえだ。盗むつもりはなかったん…だが、娘の熱が…フー、下がらねえもんで…」と、やっとの思いで声をだしました。「他人のものを盗むとどうなるか、思い知るがよいわ」と、ヘビはますますきつく長七の首を絞めました。
「まっ…てくれねえかい、おらが、おらんくなったら、む…すめは…一人になっちまうずら。せめて、今夜…だけでも…」と、長七は、必死にお願いしました。
ヘビは巻きついていた首から力を抜き、スルスルと下り「今夜だけだよ。朝、娘が目を覚ます前に、おまえ一人で森に来るのだ、いいな」。そう言い残して、姿を消しました。長七は、すっかり元気になったさよの寝顔を見ると、涙がでてきました。
そして、「元気でな」と、そうっと言いながら、まだ薄暗いうちに家を出て、ヘビのいる森へと向かいました。
その日の朝は、何日かぶりに青空がのぞき、村の人たちは、やっと田や畑にでて仕事することができました。しかし、それきり長七の姿を見たものはいませんでした。
西村の社の森には、いつの間にか、大きな松の木が一本立っていました。木の枝が、さよの住んでいる家の方を向いて張っていました。そして、夜になると金のヘビがからまっている姿を、何人もの村の人たちが見たといいます。
それ以来、不作だった村は作物がよく穫れるようになりました。村の人たちの間に「しゃごじさま」にお願いすると豊作になるという話が伝わり、社を大切に祀るようになったということです。
* 『 あづみ野 豊科の民話 』(あづみ野児童文学会編)を参考にしました。
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