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2012年8月

天然の防ダニ効果で衣類を安全に守る柔軟剤

天然成分による防ダニ効果で、衣類を安全にダニから守ってくれる柔軟剤「ソフナー」を紹介いたします。     

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ダニは様々なアレルギーの原因とされていますが、その増殖を助けているのは、近年の住環境と低温でしか洗濯できない高級繊維の普及といわれています。

フランス・デュランス社の研究チームは、ダニが嫌う香りの成分構造を発見し、その天然成分を用いた安全な防ダニ作用を持つ製品の商品化に世界で初めて成功しました(この研究成果は、南パリ大学の生物学検査研究所で証明されています)。

ヘアケアの研究から生まれた特殊成分の配合で静電気を防止し、洗濯物を天然の香りでやさしく包んでくれる柔軟剤です。

香りは、ラベンダー、オレンジフラワー(ネロリ)、ジャスミン、ローズの4種類で、部屋干しすると、部屋の中にもやさしく香りが漂います。

すすぎの段階で、洗濯機に50㍑の水に対して10ml程度入れて使用します。

         ソフナー            500ml    1554円(税込み)

* 〔  ソフナー   〕は、ハーブスクエアで通常販売しているほか、通信販売でも取り扱っています。  詳しくは、TEL 0263(83)7782へお問い合わせください。

 

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安曇野で野性スズムシの美しい音色を楽しめます

安曇野の隣りに松川村があります。ここに全国でも珍しくなった天然のスズムシが生息する区域があります。

夜半スズムシの涼やかな音色を楽しんでもらおうと、生息地一帯に灯篭(とうろう)を灯し、便宜を図っています。

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野性のスズムシが生息する地域は、西原地区のウォーキングコースのある一帯で、村営温泉「すずむし荘」の西側になります。

ぐるり回ると約3.7kmほどで、所要時間は約45分程度の区域です。

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スズムシは昼間は地表の物陰に隠れ、夜に下草の間で鳴き声を上げる夜行性ですので、山の端に陽が落ちると「リーン、リーン」と良く響く音色を上げ始めます。

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夕闇がせまるとともに40個あまりの灯篭に灯が入り、訪れる人たちの足元を照らしてくれます。

鳴き声が聴かれる9月中旬まで点灯する計画になっています。

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松川村は2年前に全国で初めて「すずむし保護条例」を制定し、野性スズムシを保護するために、捕獲を禁止するとともに生育環境の保全に努めています。

点灯期間中は、スズムシ探索会などさまざまな催しが予定されています。

探索会は9月1日(土)午後7時からの予定で、提灯(ちょうちん)を手に自然に生息するスズムシの涼やかな泣き声に耳を傾けるという催しです。詳しい問い合わせ先は、松川村観光協会(☎ 0261・62・6930)です。

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信州の瓦鍾馗をさがして-22   旧中山道茂田井宿   鍾馗、琴高仙人

中山道の間宿(あいのしゅく)だった茂田井宿(佐久市)。間宿とは、江戸幕府が正式に認可していなかった“旅籠”で、認可されていた宿場間にありました。

宿場間の距離が離れている場合、旅人は難儀しますがこうした便宜のため自然発生的に興ったといいます。茂田井宿は、芦田宿(佐久市)と望月宿(佐久市)の間にできた休憩所になります。

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幕末に水戸天狗党が挙兵し、尊皇攘夷の志を朝廷に奏上するため中山道を上り上洛する時、この宿に400人余りが宿泊したそうですし、幕府14代将軍家茂に嫁ぐことになった和宮もここを通ったという歴史があります。

ここに3体の瓦鍾馗があります。いずれも鍾馗ガールことnaoさんが見つけたたものです。

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naoさんは個々の鍾馗さんの特徴をつかみ、それらにふさわしいネーミングすることを得意とします。上の鍾馗さんは「眉毛がふさふさのおじいさん鍾馗さん」としましたし…

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こちらは「彫りの深い目がくりくり鍾馗さん」と名付けました。

下については「動物のような可愛らしい鍾馗さん」と呼びましたが、確かによく特徴をつかんでいますね。そして、女性らしくやさしい名付け方だと感心します。

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ところで、この鍾馗さんの後部に白く囲んだものが見えますが、これは「影盛」といいます。

箱棟が大きくなると軒を飾る鬼瓦も大きくしなければならず、屋根に重量が掛かってしまいます。このため木の骨組みを作り、漆喰を塗り込めて重量を軽減します。

こうして鬼瓦のボリュウム感と全体のバランスを取ります。漆喰を使い鏝(こて)による細工になりますので、左官職人さんが影盛を作ります。

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鯉に乗っている人物と言えば、やはり琴高仙人でしょう。顔があまりにも若作りですが鯉の背に乗る人物は琴高仙人しかいませんので、これを制作した鬼師は若作りすることによって何かの意味を持たせたのでしょうか。

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一部が破損していますが、鶴の鬼瓦です。

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こんなかわいい竹林に遊ぶ雀の軒丸瓦もありました。

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赤沢休養林で、ゆっくり安らいでみませんか。

暑かった今年の夏、どのようにして暑さをしのぎましたか? 心と身体はリフレッシュできましたか?

先だっての休日、木曽(上松町)にある森林セラピー基地・赤沢自然休養林へ行って来ました。ここは森林浴発祥の地としても知られています。

まだまだ残暑の厳しい日があるかも知れません。都会の喧騒を離れ、自然に帰る涼やかな森の散策、お薦めです。

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木曽といえば、古くから木曽ヒノキをはじめ木曽五木(ヒノキ、サワラ、ネズコ、アスナロ、コウヤマキ)が全国的に有名で、建築用材として木曽の山々から伐り出され盛んに出荷されてきました。

伐り出された木材は、森林鉄道で運搬されました。当初は手押しのトロッコでしたが、大正4(1915)年、アメリカから蒸気機関車「ボールドウィン」号が導入されました。現在、駅構内にある森林鉄道記念館に静態展示されています。

     Img_2736(伐り出した木材を運ぶ在りし日のボールドウィン号。煙突は、オリジナルの防塵構造を備えた構造になっているといいますが、写真ではすごい排煙を見せています)

蒸気機関車は、昭和30年代の半ばまで使われましたが、その後ディーゼルエンジン車へと変わります。

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ディーゼル機関車も昭和50(1975)年に自動車運送に変わったことから、森林鉄道は幕を閉じます。

しかし、その後「21世紀に残したい自然100選」や「全国森林浴の森」に相次いで選定されたことなどから、昭和62(1987)年に観光鉄道として運航を再開しました。

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現在、訪れた人たちを運ぶ足として休養林エリアの中央部を走る形で 、片道1.1kmを運航しています。

そのディーゼル車両に乗ると、ヒノキのすぐ傍を通り木陰のなかを進み、北側の停車場まで運んでくれます。 

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休養林内を流れる木曽川の支流に架かる鉄橋の上も走ります。

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終点に降り立つと、周りはヒノキの森です。ここから整備された遊歩道が続き、8コースに分かれる散策コースを選ぶことができます。

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どのコースも標高が1000mを超えていますので、深閑とした森の中を通りぬける涼風が心地よく、安らげます。

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そして、木陰、ところどころ木漏れ日の中を、樹林の放つ癒し物質・フィトンチッドを身体いっぱいに浴びながら歩くのは実に清々しいものです。

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樹齢300年のヒノキがもたらしてくれる大自然の恵みといってよいでしょう。

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ヒノキの根元にアスナロの苗木が育っています。アスナロは日陰でも力強く生長するそうで、ヒノキの森はアスナロの生い茂る森へと変容し始めているということです。

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樹木が人の身体にもたらしてくれる働きを教えてくれる解説板も建っています。

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樹林の側を渓流が流れています。川底が透き通って見えるほどの清澄さです。

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ですから、生息するイワナやアマゴなどの川魚が遊泳する姿を見ることもできます。

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伐り出した材木を川の流れを利用して下流域まで運ぶため、堰(せぎ)を造った遺構も残っています。川水をいっぱい溜めて材木を浮かべ、堰を壊して一気に下流へと流したということです。

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せせらぎの音を聞きながら岩盤の上でひと休みすることもできます。

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川の音を耳にしながら 緑陰のなかを散策するのも、また格別です。

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川岸へ下りる階段や足場も設置されています。

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遊歩道は木道やヒノキのチップを敷いていますので、小さな子どもやお年寄りも安全に歩けます。

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水がきれいで冷たくもないことから、子どもたちも水遊びに興じることができます。子どもたちにとって渓流で泳ぐことは、貴重な体験にもなることでしょう。

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赤沢休養林は、やがて訪れる紅葉の季節も見事に色づいて人々を喜ばせてくれるということです。

 

 

赤沢休養林へは国道19号から入りますが、沿道の近くに「寝覚(ねざめ)の床」(上松町)があります。

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木曽川の激流が、長い間に渡って花崗岩の岩盤を水食してできたもので、大正12(1923)年史跡名勝天然記念物に指定されています。

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19号をまたぐ形で「桃介橋 」(南木曽町)が架かっています。福沢桃介が水力発電開発のために木曽川に架けた釣り橋です。

 

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全長247mの日本で最も長い木橋で、近代化遺産として国の重要文化財に指定されています。

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しゃごじさま~豊科・本村

むかし、村はずれに長七と娘のさよが、仲よく暮らしていました。その年は、水不足で米ができず、わずかな畑の作物に頼りながらの生活でした。

そんなある日、さよが熱を出して寝込んでしまいました。長七は、なんとかしてやりたいと思いながら、一生懸命、看病していました。心配した村の人たちは、「お祓いでもしてもらった方がええんじゃねえかや?」と言い、長七は神主にお願いすることにしました。

神主は「西村にある社(やしろ)の薬草を煎じて飲ませれば、病は治る」と、言います。ただ、その社には「しゃごじさま」という、とても怖い神さまがいて、境内にある草や木の枝一本なりとも持ち去ると、祟りが現れて、誰も近づかないとも言うのです。

     2_5(現在の西村周辺の風景。村の人の話では、しゃごじさまの祠も土地改良事業で今は見ることができません)

長七は悩んだ末に、次の日の夜中、西村の社のある森へと向かいました。境内に入り込んだ長七は、辺りを見回して誰もいないのを確かめて、こっそりと薬草を採りました。

そして、一目散に家に駆け戻ると、さっそく、薬草を煎じてさよに飲ませました。すると、さよの顔色がだんだん良くなってきて、熱も下がり始めました。

ところが、次の晩から、空が割れるような雷と、地が川のようになるくらいの大雨が、村を襲い始めました。そんな日が、何日も続きました。寄り合いのあった日、「このままじゃ、おらとこの田畑は、みーんな流されちまうだや」。「村が、なんかに祟られちまったような荒れ方じゃねえかい」。

すると、佐平が「そういゃあ、西村の社に棲む金のヘビが、怒って暴れてるちゅう噂だが」と、低い声でつぶやきました。「おお、おらも聞いたわ。なんでも、一軒ずつ家捜ししてるらしいわな」と与助もいいました。

それを聞いた長七は、「きっと、おらのことを探しているに違えねえ」と思い、身の凍るような寒気がしてきました。

     124                  (西村を南へ2キロほど行くと、拾ヵ堰が流れ、遠くに常念岳が望めます)

その晩も、雨はいっこうに止まず、長七は、震えながら布団にくるまっていました。しばらくして、スーッと足元が冷たくなったかと思うと、長七の体は固まって動けなくなってしまいました。

次の瞬間、薬草の匂いをかぎつけた金のヘビが、長七の顔の上に姿を現し、「おまえが、わたしの大事な薬草を盗んだね」と言うなり、見る見る長七の首に巻きつきました。

長七は、苦しくもがきながら「うっ、申し訳…ねえだ。盗むつもりはなかったん…だが、娘の熱が…フー、下がらねえもんで…」と、やっとの思いで声をだしました。「他人のものを盗むとどうなるか、思い知るがよいわ」と、ヘビはますますきつく長七の首を絞めました。

「まっ…てくれねえかい、おらが、おらんくなったら、む…すめは…一人になっちまうずら。せめて、今夜…だけでも…」と、長七は、必死にお願いしました。

ヘビは巻きついていた首から力を抜き、スルスルと下り「今夜だけだよ。朝、娘が目を覚ます前に、おまえ一人で森に来るのだ、いいな」。そう言い残して、姿を消しました。長七は、すっかり元気になったさよの寝顔を見ると、涙がでてきました。

そして、「元気でな」と、そうっと言いながら、まだ薄暗いうちに家を出て、ヘビのいる森へと向かいました。

     066          (しゃごじさまのご加護でしょうか。米は、今年も豊作でした)

その日の朝は、何日かぶりに青空がのぞき、村の人たちは、やっと田や畑にでて仕事することができました。しかし、それきり長七の姿を見たものはいませんでした。

西村の社の森には、いつの間にか、大きな松の木が一本立っていました。木の枝が、さよの住んでいる家の方を向いて張っていました。そして、夜になると金のヘビがからまっている姿を、何人もの村の人たちが見たといいます。

それ以来、不作だった村は作物がよく穫れるようになりました。村の人たちの間に「しゃごじさま」にお願いすると豊作になるという話が伝わり、社を大切に祀るようになったということです。

    * 『 あづみ野 豊科の民話 』(あづみ野児童文学会編)を参考にしました。

 

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優しい香りのローズ石けんで、至福のバスタイムを

香りの都として名高いフランス・グラース産の高級香料を使用したソープをご案内します。 

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この石けんは「マイルド ソープ」といい、ローズ、ライチなどのすっきりとした甘さが香り立ち、次第にジャスミン、オスマンサス(キンモクセイ)、ムスクなどの爽やかな香りへと移行する飽きのこない香りが特長です。

手のひらで泡立てると、ローズの上品な香りが安らぎを与えてくれます。ローズの香りは、神経を落ち着かせリラックスさせる効果があると同時に、幸福感をもたらしてくれます。

植物性ですので肌にやさしく、きめ細かい泡でしっとりと洗い上げます。

優雅な自然の香りのマイルド ソープで、至福のバスタイムを楽しんでみてはいかがでしょうか。 
                               

    マイルドソープ            100g   945円(税込み)

* 〔 マイルド ソープ  〕は、ハーブスクエアで通常販売しているほか、通信販売でも取り扱っています。  詳しくは、TEL 0263(83)7782へお問い合わせください。

 

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長野道豊科ICが「安曇野IC」に名称が変わります

長野自動車道の豊科インターチェンジが、今秋10月7日(日)から「安曇野インターチェンジ」に名称が変わります。

長野道が開通した昭和63(1988)年以来、インター名称は旧豊科町に由来して付けられましたが、平成17(2005)年に近隣3町2村の合併で「安曇野市」が誕生したことから改名の機運が高まっていました。

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昨年放映のNHK連続テレビ小説「おひさま」は安曇野を主舞台として物語が展開しましたが、安曇野の位置を分かりやすくし車で来訪する人たちへの利便を図るとともに、より安曇野の知名度を上げることを意図したものです。

長野道安曇野ICは、中央道方面からの安曇野地域、大町、白馬への、また北アルプス登山への玄関口になります。

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信州の鏝絵に見る左官職人の技-6   信濃国分寺の謎の鏝絵

信濃国分寺、正式には天台宗八日堂信濃国分寺ですが、ここの本堂の奥に宝蔵と呼ぶ蔵があります。   

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その漆喰壁いっぱいにすばらしい鏝絵が描かれています。全体が金色で塗られていて、時折陽射しを受けて輝いて見えます。          

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この鏝絵、なに故に国分寺に鏝絵なのか。誰(何という左官職人)が描いたのか、はたまた何を描いたものか、どんな意味を持っているのかなど判然としない謎が多くあります。                              

分かっているのは、この蔵が造られたのが明治30(1897)年ということくらいです。 すなわち、この鏝絵の制作年が分かっているだけということです。

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鏝絵は鏝を使って漆喰を盛り上げ、彩色した漆喰を上塗りします。乾燥しきった壁では付きが悪く、壁が生乾きの間に一気に仕上げなければなりません。

こうしたことからすると、よくこれだけのものを描いたものだという 技量の確かさ、あるいは卓越した芸術性の高さといったものに目を奪われてしまうのではないでしょうか。 

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杖を手にした仙人でしょうか、いや身成りからいって僧侶でしょうか。

手にしているのは杖ではなく蛇のようにも見えますし、坐っている前にあるのは供物なのでしょうか?

下の台座は、馬の横顔を模っているようにも見えます。

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身体は人間ですが、背に羽があります。顔は鳥です。これは一体どういうことでしょうか。                     

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壺を持った僧でしょうか?                               
龍を操っているのでしょうか、それとも親しげに会話しているのでしょうか?

アラジンと魔法のランプの話を思い浮かべてしまいます。

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明治の後期に、この作者は何を想定してこの鏝絵を残したのでしょうか?

じっと見ていると理解しがたい造形、分からないことが、また増幅されてしまいます。114年の星霜を経て今もしっかりと残っています。

後日、中国の故事などについて詳しい服部正実さん(京都府在住)から、この鏝絵をご覧になった感想とご指摘をいただきました。

「金色の鏝絵とは豪勢ですね。左右にいる二人はおそらく僧で、ひょっとしたら同一人物が一画面に描かれている可能性もあります。
右の人物は鉢から竜を出しているのか、鉢に竜を閉じ込めているのか、どちらかだと思いますが、わからないのは左の鳥人間です。この異様なものは一体なんでしょうね。
おそらく中国の天台宗の高祖か何かの仏伝に出てくる話でしょうが、よくわかりません。なお、左の僧の持っているものは『如意』というものです」

となると、この鏝絵をモノにした職人さんは難解な仏伝をよく理解し、鏝一本でこれだけの大作を描いたことになります。博学で聡明な職人さんだったのでしょうか?

                           

                     

                                                                                             

 

                               
                  

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信州の瓦鍾馗を探して-21    まだあった松本の鍾馗さん

松本・総社(そうざ)一帯から瓦に適した良質の粘土が採掘され、瓦屋も3軒ほどあったという話を耳にしましたので、これはもう探索地としてリストアップしないわけにはいきません。

車で流してみたのですが、対向車が来るとバックして道を譲らなければならないほど道幅が狭いことが分かりました。急速に宅地開発が進み、道路の拡幅が進まないうちに住宅地に変容してしまったのでしょうか。

かなり離れた駐車所に車を置いて、探索のやり直しです。ウロウロし始めて間もなく、ねらい通り鍾馗さんがありました。農家蔵の大棟に対で上がっています。

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道路側に面した鍾馗さんは撮れたのですが、向こう向きの鍾馗さんは蔵が畑に面していて雪が深く立ち入れません。しかも逆光です。

この日はそこまでで、ひと月ほど経った雪も消えたころを見はからって再訪しました。雪は消えていたもののやはり畑に入ることはできませんので、宅のチャイムを鳴らしました。

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ご主人が撮影を快諾してくださり、庭に入っての撮影も許していただきました。
見上げると、なんと前回撮影できなかった対面に2体の鍾馗さんが上がっているではありませんか。大棟の上はひと目で分かるのですが、鬼瓦にも鍾馗さん、これはびっくりです。このような上げ方も初見です。

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ご主人の話では三代先の祖先が土蔵を造り、そのころに上げた鍾馗さんということですから100年前後の鍾馗さんだということです。土蔵も傷んだことから先代が漆喰壁に塗り替えしたということです。

もっと地場の瓦屋さんが作った鍾馗さんがあるかもしれないと、歩いて隅々までくまなく散策したのですが、発見できたのはこれだけでした。

でも一挙に2体の鍾馗さんとお目にかかれたわけですので、これも良しとすべきかもしれません。何せ、開発が急に進行した地域ですので鍾馗さんとの対面も難しくなっているのでしょう。

 

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メディカルハーブ-22   シベリアンジンセング

エリュセロの名前でも呼ばれるシベリアンジンセングですが、いま注目を浴びているハーブの一つといえます。根に含まれているエクセロサイドという成分が、心身両面のストレスを和らげるとともにストレスへの耐性を強くするからです。

旧ソビエト(ロシア)では、オリンピックや世界大会に出場するアスリートや宇宙飛行士のストレスを和らげるために飲用させていたという話が残ります。

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シベリアンジンセングは、中国、シベリアを原産地とする落葉低木ですが、少なくとも29種の天然化学化合物を含有することが分かっています。

すぐれた強壮効果や脳を活性化させ集中力や記憶力を向上させるのに有効なことが分かっています。

ロシアでは、チェルノブィリ原発事故の後、放射線病の治療に用いられてもいます。

このシベリアンジンセングだけのお茶にした場合、無味無臭ですので他のハーブとブレンドして飲用します。

◆ 和名     シベリアニンジン

◆ 学名     Eleutherococus senticosus  

◆ 主要成分  エクセロサイド 

◆ 作用     ストレス緩和作用、ストレス耐性作用、強壮作用、鎮静作用、抗炎症作用、脳の代謝活性作用

 

 

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信州の鏝絵に見る左官職人の技-6   戦時廃業に追い込まれた造り酒屋に残る猩々

瓦鍾馗研究家の小沢正樹さんから位置情報をいただき、青木村へ向かいました。鍾馗さんを探して旅している小沢さんは6年前にすでにこの地を訪れています。

位置情報が正確でしたので、探索に時間を要しませんでした。

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現地に着くと鍾馗さんと並ぶように白漆喰の蔵の妻に鏝絵があるではありませんか。夢中になって写していると、長屋門からご主人が顔をだしました。

挨拶もそこそこに、なにを描いた鏝絵かを尋ねると、酒を好物とする中国の伝説上の動物で猩々(しょうじよう)だといいます。

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そして、今は酒店をやっているが元は造り酒屋で、鏝絵も酒に因んで猩々を描いたのだといいます。詳しくはおばあちゃんが知っているということで紹介してくれました。

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酒店の店番をしているおばあちゃんはかくしゃくとしていて、とても96歳には見えません。 客さばきも手際が良く、話もおもしろく記憶力も確かです。

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そのおばあちゃんの話では、江戸末期から代々、造り酒屋だったそうです。しかし、太平洋戦争が始まってまもなくの昭和17(1942)年、原料の米を軍へ供出しなければならなくなり、村役場を通して造り酒屋廃業を促すお達しがあったそうです。

村には数軒、小さな酒蔵があったそうですが、こちらは初代村長の家柄、お上(大本営)に逆らえず止むなく廃業勧告に従わざるをえなかったということです。

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そして、「まもなく松根油の製造をさせられたんですよ。松根油って分かります?」

戦後生まれの浅学の身にとっては、名前は聞いたことがありますが、詳しくは分かりません。以下は帰ってから調べた松根油についての経緯です。

戦争が進むと資源を持たない日本は、日に日に苦境に追い込まれますが、軍機用の燃料(ガソリン)も決定的に不足しました。そこで大本営は代替燃料 として、松根油(しょうこんゆ)という松の根株や枝を乾留して得られる油を自給自足してまかなおうと真剣に考えたようです。

町村役場を通して全国の山間地に住む人々を総動員し、松の伐根にあたらせたといいます。伐根は大変な労力を要します。今のように重機もなく限られた数のツルハシ、スコップなどでの手作業です。

     203               <写真は、おばあちゃんの家の中庭から見える恵比寿さん>

さらに若い力は軍に徴兵されていましたので、徴用されなかった中高年の男や子どもたちが掘り起こし、女性たちが荷車に載せて引いたそうです。

「200本の松で飛行機が1時間飛べる」「掘って蒸して送れ」「全村あげて松根 赤だすき」などの戦時標語も、この頃の山間地には氾濫していたといいます。

それでは、その松根を運んだ先はどこかというと、どうも潰した造り酒屋だったようなのです。蒸留設備、大樽、桶など都合のいいモノが備わっていたからです。 松根油について書かれた記録やサイトもありますが、どこで精製を試みていたのかというのがこれまで分かりませんでした。

このおばあちゃんの家の酒樽などは粗油で黒くなって使いものにならなくなり「戦争が終わったら造り酒屋を再興しよう」と密かな願いも叶わなかったのではないでしょうか。松根油も実用にいたらぬうちに終戦を迎えたといいます。     

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店の奥に大正4(1915)年に描かれた絵が額装されて飾られています。そのなかに、鍾馗さんも猩々もいるのが確認できます。
ですから、少なくもこのころにはすでにこちらの蔵にあったものということになります。

こうした村の辛い歴史と人々の思いを、猩々の鏝絵は見つめてきたのです。

      ………………………………………………………………

松根油については「松根油を訪ねて」「松根油は語る」 などが参考になります。

 

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目薬師さま~堀金・田尻

むかし、田尻の薬師堂には、薬師如来さまが祀られていて、願を掛けると目の病が治るということで遠くからも大勢の人がやってきたということです。                                    

ある年、村にただれ目が流行りました。薬師堂の近くに住む伝三もこのただれ目にかかり、薬をつけても少しもよくなりませんでした。女房のおとくが、「おまえさん、こんなに手を尽くしても治らねえで、どうだね、お薬師さまに頼んでみちゃ」といいました。 

     089                       (田尻にある薬師堂)

しかし、伝三は不信心で「おら、お参りすりゃ治るということは、嘘っことに思えてしょうがねえだよ」と、気が乗りません。「おまえさん、これほど困っても、まだお薬師さまを信じねえだかい。信じなんでもいいが、このままだと目が見えなくなるんね。それでもいいだね」。おとくが心配のあまりきつく言うので、伝三は仕方なしにお参りすることに承知しました。

おとくは、伝三の手を引いて薬師堂へ行き、和尚さんに願掛けを頼みました。和尚さんは、じいっと伝三の目を見て「これはひどいことになっておるのう。治るかどうかは、伝三さんの心がけしだいですぞ」といいました。

伝三は須弥壇(しゅみだん)に近づき、床に顔をつけるように座り、和尚さんのお経をきいていました。

     092 (無人で施錠されている薬師堂の中をのぞくと、 須弥壇に厨子があります。この中に薬師さまが安置されているのでしょう)                                    

「三日三晩の願掛けじゃ。薬師さまに朝晩お参りして、しっかり頼みなされよ」と和尚さんにいわれ、「南無阿弥陀仏、なむあみだぶつ……」と念仏を三日三晩続けました。しかし、四日経っても五日経っても目はいっこうによくなりません。

「みろ、あんねに願掛けたって、ちっとも治らねえじゃねえか」と伝三は怒って、おとくに言いました。伝三にそう言われて、おとくも困ってしまいました。                                    

しばらく考えていたおとくは「そうさね、これしかねえわね」とひざをポンと叩き、ひき臼を取り出してきて、米の粉を挽き始めました。その粉をグツグツと煮て、だんごを作りました。

「さあ、おまえさん、おまえさんの目の形のだんごを作ったで、これを目に押し当てておくれ」と真顔でいうので、伝三はおとくの言う通り、だんごをいくつも目に押しつけました。

     067    (おとくが目だんごを作ったひき臼、こね鉢は、こんな道具だったのでしょうか)

おとくは、そのだんごを持って、伝三と一緒に薬師堂へ行きました。「和尚さま、伝三の目をたんと持ってきたで、これをお薬師さまに上げてお願いしりゃ、きっと目の患いは治るんね」

「おお、そうじゃのう。おとくさんは、いいことに気がつかれた。いつも心がけがよいから、如来さまのご加護がいただけるのう。伝三さん、しっかり薬師さまにお願いしなされや」と、二人に答えました。

     095                     (薬師堂の近くに庚申塔が置かれています)                                    

おとくと伝三は、それから三日三晩、薬師堂と家を行き来して、真剣にお願いしました。その甲斐あってか、四日目から目ヤニも取れ、涙もなくなりました。

「おまえさん、よかったいねえ。やっぱりお薬師さまのおかげだんね」「そうだいなあ。おら、こんなに一生懸命になったことはなかったぞ。おとく、おまえのお陰だ」                                    

それから後、この話が伝わり、目の患いには「お目だんご」を供えて、願かけするようになったということです。

 

       * 『あづみ野 堀金の民話』(あづみ野児童文学会編)を参考にしました。                                     

                                    

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12~20日までは休まず、営業いたします

すでにご案内していますように、ハーブスクエアの8月の営業は、12日(木)から20日(月)まで休まず営業いたします。

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信州の瓦鍾馗を探して-20  山辺学校の鍾馗さん

松本市里山辺に長野県宝に指定されている旧山辺学校校舎があります。

明治18(1885)年に建設された和洋両様の建築様式を採り入れた校舎です。現在は「山辺学校歴史民俗資料館」として、この地域の教育、産業、生活文化、祭りなどの資料展示を行っています。

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かつてこの地域は地域産業として瓦業も一時期盛んだったといいますので、もしかすると、なにか手掛かりになるものがないだろうかと思いながら、門をくぐりました。

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千鳥破風の玄関に「黌」の文字瓦がさん然と輝いて見えます。

入場してまもなく目に飛び込んできたのが、鍵のかかったケースに収められている鍾馗さん。両手の部分が欠損しているのが残念ですが、刃むき出しの刀剣を背に抱えています。風変わりなデザインです。

顔立ちもうりざね顔とでもいうのでしょうか、頬から下が大きく頭部が小さく見えます。

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いつころ、どうで制作されたものかなどいろいろ聞きたいことがあったのですが係員は「よく分かりません」を連発。新たに分かったことはありませんでした。

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しかし、地域の資料館に保存され展示されていることからすると、里山辺地区のどこかで制作されたか、民家の屋根に上がっていたのでしょう。

 


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里山再生の活動が「蝶の森」を造りました

先だって、オオムラサキが飛翔する「蝶の森」について書きましたが、ここには沢山の種類のチョウが生息しています。

先月中旬、2日間にわたって合計4時間ほど滞在したのですが、わたしのようなビギナーでもいくつものチョウたちと出合うことができました。

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蝶の森の広さは、約2ha。安曇野を一望できる長峰山(933m)へ通じている遊歩道をはさんで約0.3haがチョウの生息する草原となっています。

草原には、チョウたちが吸蜜するノアザミ、タムラソウ、ハルジオン、カンゾウをはじめ多くの野草が、季節を変えて咲き誇っています。

草原を取り巻くように「チョウの道」が東西に開かれていて、ぐるりと一周しながらチョウの観察ができるようになっています。

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チョウは幼虫の時、主に森林で木の葉を食べて育つタイプと草原で草の葉を食べるタイプに分けられるそうです。

蝶の森は、森林と草原が一体となっていることから多くのチョウが共存できるようになっています。

     Img_8500                        ツバメシジミ

荒れ果てていたこの森の整備にかかわってきたのが、NPO法人の「森倶楽部21」の皆さんで、多様な生き物が生息していた里山を再生する活動を続けて来ています。

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     4                         キアゲハ

高齢化が進む集落に入り、里山が培ってきた昔の山の様子や暮らし方などの話を聞いたり、フィールドワークをしながら活動してきています。

     3_2                       ジャノメチョウ(♂)

「沢から水を惹き、溜池をつくり、田畑を耕し、草原からは家畜の飼料や田畑に入れる肥料、屋根を葺くための茅(かや)を採ってきました。

また森林からは山菜やきのこ、炊事や暖房に使う薪や炭、建物に使う材などを調達してきました。

そして、必要な資源が毎年得られるように、季節や植物の生長に合わせた山の手入れなど、さまざまな工夫をしてきたのです。

     2_2                     ゴマダラチョウ(♀)

集落では、限りある資源を分け合って暮らすために決まりを作り、暮らしのための大切な技術も代々引き継がれてきました。」(『里山とともに』 森倶楽部21発行)という地元集落の年配者から聞いた里山の昔の暮らしは、どんな森を蘇えさせるかを検討するうえで、たいへん参考になったようです。

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     Img_8586                     ミヤマカラスアゲハ

森倶楽部21では、高齢化などにより山の手入れがされなくなり、うっそうと繁って込み合った林床に光を当てるため除間伐を行ったり、観光乗馬場の跡地に生い茂っていた牧草を引き抜きたり、手作業による遊歩道の整備などを行って里山の再生を続けて来ました。

     4_2                     スジボソヤマキチョウ(♂)

最近も森林保全活動に熱心な企業や行政から支援を受け、クヌギとエノキ約300本を植樹しました。

     4_2                        ベニシジミ     

エノキは、オオムラサキの幼虫の餌となりますし、クヌギには樹液を求めて成虫となったオオムラサキはじめ多くのチョウや昆虫が群がります。

     Img_8575               メスグロヒョウモンのオス(左)とメス(メス)

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     5_2                     メスグロヒョウモン(♂)

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     Img_8570                     メスグロヒョウモン(♀)

エノキは5種類のチョウが食草とするということですが、8年前の2004年には「蝶の森」にエノキは一本しかなかったそうです。

この一本にゴマダラチョウの幼虫がいるのを見つけ、さらにオオムラサキの幼虫も発見してから森林整備も加速されたといいます。     

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     2_2                         ルリタテハ

森倶楽部21の調査では、2003年には16種だったのが今では70種を超えるチョウが生息するようになったといいます。     

     Photo_7                        ミドリシジミ

9月になるとサラシナショウマの白い花が咲き、アサギマダラが蜜を求めて姿を現わすといいます。

     Img_8580                         モンキチョウ

秋になると南へ移動、沖縄や台湾まで海を越えて1000キロ以上飛んで行くという、あのアサギマダラです。

     Photo_5                        モンシロチョウ

 これからも「蝶の森」を訪れる機会が増えそうです。

チョウをはじめ多くの昆虫、野鳥たちとの出合いを求めるなら、この一帯は格好の地と言えます。

 

* チョウについては、ビギナーの域を出ません。撮って来た画像と図鑑を照らし合わせて同定しました。違っていましたらご指摘ください。

 

 


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有効成分をたっぷり含んだリッチな美容オイル

ふだん使っている美容オイルに満足されていますでしょうか?

肌に有効な成分をたっぷり含んだリッチなお薦めのフェイスオイルのご紹介です。   

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商品名は「キャリアオイルEX」といい、全成分はローズヒップ油、アルガン油、イブニングプリムローズ油、コムギ胚芽油、ローズ精油、ゼラニウム精油、イランイラン精油、トコフェロールになります。

これらの中に、肌に有効な成分であるオメガ3、6、9をたっぷり含むうえ、しっとりとした使用感を実感できます。

ローズ、ゼラニウム、イランイランの3種の精油の香りが幸福感をもたらし、肌へ栄養を浸透させます。

合成保存料やパラペンは一切使用していませんし、残留農薬、鉛、ヒ素、カドミウム、重金属、さらに酸化、脂肪酸組成を分析し安全性を確認していますので、安心してお使いいただけます。

   キャリアオイルEX            20ml   2940円(税込み)

* 〔 キャリアオイルEX  〕は、ハーブスクエアで通常販売しているほか、通信販売でも取り扱っています。  詳しくは、TEL 0263(83)7782へお問い合わせください。

 

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松本・神宮寺で「原爆の図」が展示されています

松本市浅間温泉3丁目の神宮寺本堂で、画家の故・丸木位里、俊さん夫妻が描いた「原爆の図」の展示会が開かれています。

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原爆はもちろん、武力による破壊行為のない平和な世を願って毎年、埼玉県東松山市の丸木美術館から借り受けて開催しているもので、今回は昨年3月の福島原発事故を受けて高橋卓志住職が「原発に依存しない社会」の思いを込めて展示しています。

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広島、長崎に原爆が投下された5年後の昭和25(1950)年、丸木夫妻は「原爆の図」を完成させました。第1部「幽霊」、第2部「火」、第3部「水」の初期3部作です。

今回展示しているのは、15部の連作のうち初期3部作の1部「幽霊」と題する作品で、屏風絵8双です。

原爆投下直後に受けた多大な犠牲、人々の悲惨な姿を正面から受け止め、人間が造り出した大量殺りく兵器によって、多数の人々が一瞬にして命を奪われる恐怖をリアルに描いています。

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展示会は7日までで、午前10時から午後5時まで。鑑賞は無料です。

会期中の4日(土)午後7時から、ベトナム戦争でアメリカがベトナムに落とした枯葉剤によっていまだ癒えない傷跡を描いた映画「沈黙の春を生きて」(坂田雅子監督)を上映します。

また、5日(日)午後6時から「原爆忌」コンサートを開き、高橋竹山さんが原爆、戦争で亡くなったすべての人たちに追悼の祈りと原発事故に苦しむ人々に早期復興の思いを込めて津軽三味線を演奏します。

詳しい問い合わせは、神宮寺(☎ 0263・46・0096)です。

 

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安曇野でも青紫翅が美しいオオムラサキが見られます

日本の国蝶がオオムラサキだということは知っていましたが、まだ見たことがありません。

昨年、安曇野でもオオムラサキが見られるということを聞き、一度ぜひ見てみたいと羽化する時季を待ち焦がれていました。

先月中旬、羽化しているかなと安曇野を一望できる長峰山の「蝶の森」へ出かけました。

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途中、寄り道しメスグロヒョウモンやツバメシジミ、ベニシジミなどを撮影し、いよいよオオムラサキの生息する森へ。

 

しかし、なかなか発見することができません。オオムラサキは大型の蝶ですので、探すのにそう手こずらないだろうと思っていたのですが…。

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時おり、大型の黒い蝶が飛翔しているのを目にします。「オオムラサキか?」と目で追うのですか゛、どうもミヤマカラスアゲハのようで止まってくれません。

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待てども、オオムラサキらしき蝶の姿はなかなか現れません。

相当ねばったのですが時間も過ぎ、あきらめて出直そうと歩きだしたところ、一本のクヌギの大木がありました。そこで樹液を吸っている大型の蝶に出合いました。

ときおり、羽を広げます。ひょっとしたらオオムラサキのメスかなと思い、撮影を始めるとまもなく、低くうなるような音が聞こえ大型の蝶がもう一匹飛来して来ました。蝶とは思えない羽音です。見ると、同じ蝶です。シャッターをなんども押したいちまいが上の画像です。

この日はこれで打ち上げ、帰宅して調べるとやはりオオムラサキのメスに間違いないようです。

 

そうなるとなんとしてもオスの姿が見たいので翌日、再度出かけました。前日のクヌギには朝も早いせいか、なにもいません。

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ゆっくり森の中を回り一時間ほどして戻るとオオムラサキのメスほどではありませんが、大きな蝶が止まっています。

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樹液を求めて上へ行ったり、下に向かったりしています。

再び上に上って来たときです。僅かに開いた前翅の色がちらっと見えました。

「これだ」と声を上げてしまいました。

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しばらく上下運動を繰り返したのち、翅を広げてくれました。

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みごとな青紫翅です。

オスのオオムラサキです。光沢のある美しさが輝いています。感動しました。

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今度は、「さあ、たっぷり見ていいよ」とばかりに、なんども翅を広げてくれます。

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この蝶の森は、荒れた山林をNPO法人「森倶楽部21」がボランティア活動で再生し、オオムラサキをはじめ数多くの蝶をはじめとした昆虫たちがすむ森へと変えて来ています。

オオムラサキは幼虫時、エノキの葉を食べ、成虫になるとクヌギ、ナラ、ヤナギなどの樹液を吸ったりするといいますが、先ごろも森倶楽部21はエノキやクヌギなどを植樹しています。

数年後にはたくさんのオオムラサキが飛び交う豊かな森となるのが、今から楽しみです。

近く、蝶の森とその近くで見かけた蝶をご紹介します。

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