庄野薬師~三郷・七日市場
七日市場の東を流れている庄野堰(しょうのせぎ)は、昔から大雨が降るときまって水量が増えました。堰を超えた水が田畑に流れ、激しいときは田畑の土を流してしまうこともありました。
ある年の梅雨のころでした。灰色の空から糸のように細かい雨が降るかと思えば、雷が鳴って夕立のように地面をたたきつけるような雨の降る日が、何日も何日も続きました。
心配して駆け付けた村人たちは、堰の土手に集まっていました。川はにごった水でいっぱいになり、ご うごうと音をたてて流れていました。積み上げた土嚢(どのう)を超えるような勢いになっていま した。
(水を満々と張って流れる堰。今は護岸工事も施され、決壊するようなことはなくなりました)
「おい、この土手が切れたら大変だ。定七さや、おめえさんは幸三さと吉十さを連れて、上手の分かれ口に行ってもっと土嚢を積んでこいや。残りのものは土手の土を、あの曲がりっとへ積んでくれ」と、庄右衛門がみんなに指図しました。
「よおし、堰を止めてくるで。土手を切らさねえように頼むんね」と、定七はそういって出かけま した。激しい雨を突いて目指す場所まで来てみると、泥水が上流から大きな波となってたたき つけるように、分かれ口にぶつかっていました。
水門は壊れ、堰が大きくえぐられ、そこに水が流れています。「おい、こりゃ手がつかねえ。少しばかりの土じゃどうしようもねえわ」と、定七は流れのすごさにあきらめ顔でいいました。
(当時の村人たちは、蓑(みの)と笠で雨をしのぎました=明科歴史資料館蔵)
すると幸三がいいました。「あきらめるのは早いぞ。おら、家さ行ってノコギリ持ってくるで、牛 わくを作っていれろや」。「ん、そうだな、そうしてみるか。それにゃもっと人出がいるな。いった ん戻って頼んでみよう」と答えました。
三人が庄右衛門たちのいるところへ戻る途中、川が曲 がっているところへ来ると、来た時と様子がすっかり変り、泥水が一面に広がって田んぼに流れ込んでいました。
「やあっ、えれえことになっちまった。またやられたわ」と、定七はその様子を見て、へなへなと 座り込んでしまいました。
そのとき、「おい、定七さ、あれを見ろよ」と幸三がいいました。指さす方を見ると、泥水のなかに降りしきる雨を浴びて、石の薬師さまが座っています。何か、にこにこ笑っているような表情にもみえます。膝の上に手を組み、赤い衣と胸の真っ白い線が浮かび上がり、周りに光を放っています。
定七、幸三、吉十も思わず手を合せました。少しして「おい、幸三さや、あの薬師さまは前からあっただかや」と、不思議そうに定七が聞きました。
「さて、どうだったやあ。小さなお堂みたいなものは、あった気がするが…、薬師さまがいたなんて知らなかったわな」。三人とも薬師さまのことを知りませんでした。
そこへ庄右衛門たちがやって来ました。「お前たちが行ってすぐに、あの土手が切れてこんなことになっただよ。それでもあの薬師さまは、ずっとああやって 座っておるだ。どこから出て来なさったか、みんなに聞いただが分からねえだよ」と、庄右衛門たちも口ぐちに話しました。
庄右衛門が、気を取り戻したようにいいました。「あの薬師さまのお姿を見て、おらたちも元気 を出すだいなあ。こんな水くれえに負けねえで、早く田んぼを元通りにするだいなあ。どうだ、みんな。早く雨が止むように、悪りぃ病気が流行らねえようにお 願いするかいなあ」。村人たちはうなずき、薬師さまを拝みました。
次の日になると、それまでの雨がうそのように、ぴたりと止みました。そして、梅雨が明けたような夏の日差しになりました。水も引けてきたので村の人たちは、後片づけを始めました。
それから、あの大雨の中、励ましを与えてくれた薬師さまをいつまでもそのままにできないと話し合い、小さなお堂を建て末永く祀りました。
* 『あづみ野 三郷の民話』(平林治康著)を参考にしました。
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