やまますの井戸~穂高・等々力
むかし、等々力(とどりき)に、茂助というだれにでもやさしく親切な百姓が住んでいました。茂助は、夏になると、毎朝東の空が明るくなるのが待ちきれないように田の畔草(あぜくさ)を刈りに出かけました。
(馬の飼料を入れて与えた馬おけ。茂助も愛馬に,こうした桶で餌や水を与えていたことでしょう=堀金歴史民俗資料館蔵)
その朝も、早くにひと仕事終えて家に帰り、馬小屋へ行き「今朝もたんと刈ったで、暑くならねえうちに運んじまうだいな」といいながら馬を引き出し、草を運びに出かけました。途中、村はずれのなまますの井戸端まで来ると「茂助さあ、茂助さ。鎌(かま)貸してくりょ」と、どこかで声がします。
「だれだね」と、あたりをきょろきょろ見回しましたが、誰もいません。「はて、耳のせいかな」と思い、そこを通り過ぎようとしました。するとまた、「鎌貸してくりょ。鎌貸してくりょ」と声がします。
「おめえはキツネかタヌキか知らねえが、草刈ってくれるなら貸してやらねえでもねえがさ」と茂助が笑いながら言うと、それきり声はしなくなりました。茂助は田の畔に向かい、束ねてあった何束もの草の束を馬の背中に乗せて、さっき来た道を引き返しました。
そして、やまますの井戸まで来ると、馬が「ヒヒーィン」と鳴いて立ち止まりました。
茂助は「どうした、いくぞ」と、手綱を引き寄せました。けれども馬は首を横に振って、ひづめの先で土を蹴り、背中の草束をゆらゆらと揺さぶりながら、後ずさりを始めました。茂助は、何があったのかと、馬の後ろに回ってみて驚きました。
(カッパにしがみつかれた茂助の愛馬は、このような愛らしい顔をしていたことでしょう=穂高神社のご神馬)
尻尾の先に小さなカッパがしがみついているではありませんか。そして、小さな声で「茂助さ、馬貸してくりょ。馬貸してくりょ」というのです。馬はますます大きな尻を左右に振るので、草の束が今にもずり落ちそうです。
茂助は、カッパをつかまえて、やさしい声で「悪さをすると、貸してやりたくても貸せねえぞ。二度と悪さをしちゃだめだ」といいました。
するとカッパは、「もういたずらはしませんから勘弁して下さい。許していただければ、お礼のしるしに、寄り合いの時に使うお膳やお椀をいるだけお貸しします」と、手を合わせていいます。
「えっ?カッパがものを貸すだと。そんな話聞いたことねえずら」と茂助はが言うと、カッパは、「うそではありません。いるだけの数を書いて、この井戸端においてくだされば、次の朝にはきっと揃えておきます」と必死になって言うので、カッパを放してやりました。
(むかしは生活上欠かせなかった井戸も、多くが埋め戻されてしまいました。今は転落防止の安全策が施されて残存するのを、まれに見ることができます)
それから幾日か過ぎたある日のこと、茂助の家では、親戚を集めて、おばばさまの法事をすることになりました。茂助はカッパの話をふと思い出し、お膳やお椀を借りてみようかと思い、いるだけの数を紙に書いて、井戸端に置きました。
次の朝、さっそく井戸端に行ってみると、驚いたことに頼んだ数のお膳とお椀がきちんとそろえて置いてありました。
「こりゃ、たまげた。カッパのいったことはほんまだったわな。せっかくだでかりていくぞょ」と言って借りてきました。おかげで法事に来た大勢の客をもてなすことができた茂助は、次の日、借りた器をきちんと揃えて返しておきました。
それからしばらくして、茂助の娘の婚礼があった時も、同じようにカッパからお膳やお椀を借りました。
(茂助がカッパから借りたお膳とお椀は、こんな漆塗りのものだったのでしょうか)
このことはパッと村中に広がりました。「やっぱ茂助さの人柄がいいで、カッパが大事な道具を貸してくれただわ」といい、試しに茂助のまねをしてみると、カッパはちゃんと紙に書いたとおり、貸してくれました。
ところがある時、借りた家のものが、お膳の一つをうっかり壊してしまいました。一つくらい分かりはしまいと、数が足りないまま井戸端に返しておきました。そのことがあってから、だれがお願いしても、けっしてこの井戸のカッパからお膳やお椀を借りることができなくなってしまいました。
* 『 あづみ野 穂高の民話 』(安曇野児童文学会編 )を参考にしました。
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