野沢の西側に大きな幅(はば=段丘)があります。むかしは、大木が生い茂り、昼でも薄暗いところでした。
夜に幅の道を通ると、フクロウの光る目に出合ったり、鳥のバザバサという羽音に驚くこともたびたびでした。
(稲田の向こうの高くなっているところが、野沢の幅です)
ある夜のこと、この幅の下に住んでいる兵助が、用があって出かけた帰り、幅の道を通りました。足元に何か転がってきて、かかとにゴッンとぶつかりました。「いてえなあ、なんだや。……石ころにしちゃ、転がり方が早いが……」。辺りは暗く何も見えないので、気になりながらもそのまま家へ帰りました。
その話をすると「ありゃあなあ、地ころがしといってな、地面の上を転がってきて、足にかみつくだぞ。夜に幅を歩くときは、きっといるでな、気をつけろや」と、じいさまが教えてくれました。「あの幅のどっかに地ころがしの住み家があるずらいなあ」。じいさまも、それしか知らないようでした。
(フクロウやコノハズクのように夜目が利くと、“地ころがし”の正体も分かったかもしれません=大町山岳博物館のコノハズク、別名ブッポウソウの標本)
ある日、寄り合いがあって、兵助が地ころがしの話をすると「おら、足のかかとをかみつかれそうになったわ。なにしろ足袋(たび)にくっついたまま、離れないでなあ」と一人がいうと、そこに集まっていたものが次から次へと、地ころがしに取りつかれたことを話してくれました。そのうちに「どうだや、これから地ころがしをつかまえにいかねえか」ということになりました。
(8人は囲炉裏を囲んで話し合い、“地ころがし”を捕まえようと意気投合したのかもしれません=穂高の国指定重要文化財の曽根原家住宅)
八人はそっと足音を立てないように、幅の道を歩いていきましたが、どうしたわけか地ころがしはでませんでした。「おい、今夜はだめだ。大勢で来たもんで、地ころがしのやつ、おじけついたかも知れねえぞ」と一人か゜いいました。
兵助は、隣にいた甚八と九平にそっと「おら、どうしても地ころがしを見てみてえ。こんど一緒にきてくれねえか」と頼むと二人は承知してくれました。
三日ほどした月のきれいな夜に兵助は二人を誘って幅に来ました。「三人一緒じゃ地ころがしに気づかれるで、甚八さが先に行つて、その後を少し経って九平さが行き、それからおらが行くで、地ころがしがでたら大声をだしてくれ」と打ち合わせしました。
打ち合わせどおり、三人は間をとり、幅の夜道を歩きだしました。一番後ろを歩いていた兵助のところにだけ、地ころがしが転がってきました。「おーい、出た。こっちだ」と平助が大声で叫ぶと二人があわてて走ってきました。
(ムジナが丸くなると石ころに似た形になるかも知れません=大町山岳博物館のムジナ標本)
そして兵助の足元に転がっている丸いものを、九平が棒でおさえました。すると、地ころがしは鋭い歯で棒をかみつき、光る目でにらんでいます。それを見た九平は、思わず棒を取り落としてしまいました。
すると地ころがしは、ころころと転がって、草むらの中に入って行き、見えなくなりました。 九平は、いま見た恐ろしかった歯と目を兵助と甚八に話をし「おら、もう地ころがしをつかまえるのは、やだぞよ。たたりがありそうで…」と、断りました。
すると甚八も「おらもやめるで。兵助さは、やりたけりゃ一人でやれや」といいだしました。兵助も二人にそういわれると、地ころがしをつかまえることをあきらめざるをえませんでした。
それから後も、地ころがしが足元にとっついたという話は、村の人の間にでましたが、かみつかれたという人はいませんでした。やがて、地ころがしの正体は、「夜のかまいたち」だとのうわさが立ちましたが、ムジナの子どもが人恋しさに遊びに来て足にとっついたのだという人もいました。
* 『あづみ野 三郷の民話』(平林治康著)を参考にしました。
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