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安曇野に架かる橋(18)~安曇節に唄われた地にある安曇橋

橋は常に川を挟んで分断された地域と地域を結び、共用することを通して互いの地域、さらにその先にある地域との結びつきを強めます。その意味では、橋は隔絶された地域間の動脈としての役割を担っています。     

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安曇橋は、安曇野市内の穂高地区と明科地区を結ぶパイプとして架けられています。明治27(1894)年に木橋が架けられて両地区の交流に拍車が掛かりました。

それ以前の10年ほどは、「押野の渡し」があり、渡し舟で交通していました。北国街道へ通じる主要点であったからです。

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安曇橋の明科・押野側に碑が建っています。「槍でわかれた梓と高瀬 巡りあうのが押野崎」と民謡「安曇節」に唄われた一節です。歌詞のとおり、槍ヶ岳の雪解け水が二手に分かれ、その流れが梓川と高瀬川を形成し、やがて明科・押野で合流するという意味です。

安曇橋下を流れるのは高瀬川ですが、この先まもなくのところで合流し犀川と名前を変えま
す。

そして、その流れは「もとはアルプス 雪消のしずく 末は越後の海となる」と同じ安曇節に唄われたように日本海へ注ぎます。水の流れは、標高550mほどの地点から流れ下りますので、3日間ほどで越後(新潟県)の海へ到達するそうです。     

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昭和11(1936)年、長さ328㍍、橋幅4.5㍍のコンクリートの永久橋となり、現在の橋は平成4(1992)年に架け替えれオリンピック道路と繋がりました。

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安曇橋の川原に、シャボンソウ(ソープワート)の群生地があります。シャボンソウは明治期に外来した帰化植物ですが、これほど多く見られるのも珍しいといえます。

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堤防道路から川原へ下りて遊べるように手すり付きの階段もついています。

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* 「安曇節」に関しては、こちらに詳しく記載されています。

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