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安曇野に架かる橋(19)~広大な遊水池の上の犀川橋

松本方向から下って来た犀川が安曇野市明科中川手で、北西側から流れてきた高瀬川と穂高川の2本の河川と合流します。三川合流です。三川が合流して勢いを増したまもなくのところに犀川橋が架かっています。

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全長360㍍、車道の両側に2.5㍍の歩道を合わせて幅は12.5㍍の片側1車線の橋になります。       

犀川で分断された明科地区の塔の原と下押野を繋いでいます。この橋で明科地区と穂高、大町間の交通が活発になりました。  

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明治期の後半になるまで川を渡る唯一の手段は渡し舟しかありませんでした。下押野には川口筏番所が置かれ、抜き打ちの荷物改めを行っていたということです。

明治35(1902)年に明科地区を走る国鉄篠ノ井線が開通したことを契機に、この犀川に長さ220間(360㍍)、幅2間(3.6㍍)の木橋が架けられました。

上はその時の工事の写真です。下の写真が完成した後の大正6(1917)年当時の様子です。  

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その後、昭和11(1936)年に5連のアーチを持つ鋼鉄製コンクリート橋に架け替えられました。幅も5.5㍍あり、当時としては立派なものでしたが、戦後、車の往来が増加するに従い車の橋上でのすれ違いには幅員も狭くなり、14㌧上限の重量制限も実情に合わなくなりました。

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このため新橋の架け替えが計画されたものの用地買収などに手間取ったことなどから大幅に遅れ、昭和53(1978)年になってようやく本工事が始まり、2年後の同55年に完成しました。

この年の12月15日に完成式が行われました。あいにくの小雪混じりの天候となりましたが、近くの一家三代を先頭に渡り初めが行われました。

ところで、この犀川橋の下は洪水などに備えた広大な遊水池になっています。 

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穂高側から来ると、橋の欄干が切れたところに右折できる堤防道路があります。この道を500㍍ほど行くとハクチョウが飛来する御宝田遊水池があります。

次回は、この遊水池にある名のない橋と遊水池をご紹介します。

* 白黒写真は「懐かし写真館 昭和の街角 大町 安曇野 北安曇」(郷土出版社)から撮りました。


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