万水川のカッパ神~穂高・白金
穂高の東、多くの湧水を集めて万水川(よろずいがわ)が流れています。この川は一年中、きれいな水が流れていて、そのためか神さまを祀った祠(ほこら)があちこちにあります。
この祠は、白金の安兵衛と喜左衛門の二人が、このあたりに棲むカッパを祀ったのだといわれています。
むかし、安兵衛が万水川の土手へ草刈りに行きました。朝早くから仕事を始め、広い土手を全部刈ってしまいました。家に戻り馬を連れて、刈り取った草を家まで運んで行こうとしました。
馬を川の近くに待たせておいて、草を集めていると「ヒヒーン、ヒヒーン」と馬が鳴きます。走って行ってみると、馬は前足を跳ね上げて大きく跳びあがり、家の方へ一目散に駆けていきます。
(白金の田んぼと白壁造りの民家。安曇野を象徴する風景といえます)
「しようがねえなあ」と、後を追って家に戻ると馬小屋の前でときどき尻尾をはげしく振っています。安兵衛が馬の尻尾をよくよく見ると、カッパがくっついていました。
「こいつめ、人騒がせな。馬がおどけるのも無理ねえわ」とカッパを取り押さえました。
するとカッパは「許しておくれや。命ばかりは助けておくれや。二度とこんなことはしねえで…。
許してくれたら、だれにもできねえ、もみ医者の技を教えてやるで」と懇願しました。
安兵衛は「ようし、今回だけは許してやろう。だが、もみ医者の技はいつ教えてくれるのた゛」というと万水川の土手で伝授するとカッパはいいました。
次の日、安兵衛は友達の喜左衛門を誘って、万水川の土手へ向かいました。カッパが川から出てきたので「難しい技を教わるのにひとりでは聞き落とすと困るでな。二人に教えろ」というと、カッパは承知して、さっそく技を少しずつ伝授しました。二人は毎日土手に通いました。
人間の体全体の揉み方、湿布の仕方など、それはていねいでした。近くに人がいるときは教えてくれないので、全部教わるまでにひと月かかりました。
それからしばらくして、二人はもみ医者を開業しました。すると、不思議によく効くと有名になり、近くの人たちはもちろん、遠方からも訪れる人が来てたいへん繁盛しました。
そして二人は、カッパから教えてもらったことが、こんなにも人々の役に立つとは本当にありがたいことだとカッパに感謝する気持ちを込めて、万水川のそばにカッパの祠を建てたということです。
* 『 あづみ野 穂高の民話 』(安曇野児童文学会編 )を参考にしました。
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