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2011年11月

信州の瓦鍾馗を探して-2   型にはまらない飾り方の鍾馗さん

隣りの生坂村と犀川を挟んで接する安曇野市明科の小泉地区は、国道19号が街区を通りますが今でも静かな農村風景が残っています。

瓦葺きの家並も見られます。古い土蔵の大棟の中央部に豊かに実る田畑を見つめる鍾馗さんがありました。

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よく見ると、実にシンプルな作りで素朴な風合いを漂わせています。

円やかな撫で肩。これまで見てきた瓦鍾馗は、邪気払いを任せるに頼もしい肩をいからせた姿でしたが、「これは何ともな…」と思っていたところ…。

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信州瓦鍾馗の探訪パートナーのnaoさん(山梨県在住)は、「立派なヒゲと怖い顔、なのにぬっぺりとした胴体、飾りがないのに、この何とも言えない曲線がたまらないですね」と印象を語ってくれました。

また鍾馗さんの鑑定に詳しいkiteさん(愛知県在住)は「信州髄一の素朴さ」と評しています。

さらに、おとんさん(大阪府在住)は「修業中の職人さんがつくったような感じで素朴の極みともいえますが、素朴系が好きな私でも、ちょっと物足りなさが残ります」と語っています。

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すぐ近くの大きな屋敷にも上がっていました。門を入った突き当たりの棟の上ですが、鍾馗さんは入り口方向ではなく、鬼門・裏鬼門の方向でもなく、南(上の写真では左方向)へ顔を向けています。

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こうした上げ方、飾り方は他でも多く見られ、信州ならではの特徴の一つといえそうです。俗信などに捉われない自由な飾り方と言えるでしょうか。

「保存状態は良さそうなので、ぜひ苔は取って差し上げたい」と kiteさんは話しています。

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鉱物油原料を使わないココナッツ・リップステック

前回に引き続き、鉱物油原料を使用していない安心して使えるリップクリームをご紹介します。

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ココナッツリップクリーム」は、オーガニック(JAS有機認証)のココナッツから抽出したオイル、植物性スクワラン、蜜ろう、カカオ脂、ホホバ油など保湿効果の高い天然成分を配合しています。

唇の乾燥を防ぎ、アレを予防するとともにハリと潤いを与えます。

このリップクリームは、鉱物油などの安全性に問題が指摘されているものは、原材料から除いています。

ココナッツリップクリームは2種類で「オレンジ」(写真左)と「ペパーミント」(写真右)があり、いずれもオーガニック由来の精油を使用しています。

ココナッツリップクリーム                                                                          (オレンジ、ペパーミント)         6g   1,050円(税込み)
  

* 〔 ココナッツリップクリーム 〕は、ハーブスクエアで通常販売しているほか、通信販売でも取り扱っています。  詳しくは、TEL 0263(83)7782へお問い合わせください。

 

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雪化粧始めた北アルプスの峰々

北アルプスの連峰は雪化粧をし始めました。安曇野の初冬の風景です。

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いま時分の最低気温は、平年で0度前後。晴れて地表の熱が大気中に奪われる(放射冷却現象)と、標高の高いところは雨から雪に変わります。

22日未明に気温がこの秋(冬?)一番下がり、北アルプスの峰々もうっすらと白いものが見え出しました。安曇野を代表する常念岳も雪化粧を始めました。

有明山も安曇野の象徴的な山岳の一つ。今年9月まで放映された朝の連続テレビドラマ「おひさま」で、すっかりおなじみになった秀峰ですが、他の峰々と違って冬でも真っ白く雪に被われることはありません。

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しかし、ここのところの冷え込みで白くなった山容が遠目からも望めます。

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北側の遠くに望む後立山連峰は、すでに真っ白に被われています。

シベリアからのコハクチョウやカモ類の飛来も始まっています。

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木枯らしが吹く日などは寒さから身を守るためか、長旅の疲れを癒すためか“昼寝”する姿が見られます。

18日までのコハクチョウの飛来数は、74羽となっています。

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安曇野の鏝絵-3  重厚な蔵に描かれた可憐なウサギ

この街区では交通量が多く、道幅もそう広くない道路に面して建つ蔵があります。保護用のフェンスで海鼠壁の部分が隠れていますが、どっしりとした重量感のある蔵です。旧南安曇郡梓川村(現松本市)の県道沿いにあります。

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明かり取りの蔵窓に庇がかかり瓦で葺かれています。その窓下の小枠部分にかわいい兎の鏝絵があります。

波間を跳ぶ兎です。左官職人の遊び心でしょうか。重厚感のある造りの中に、こんなかわいい兎をはめ込むセンスの良さに感心します。

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波間を跳ねるウサギを描いていますので、モチーフは「因幡の白ウサギ」伝説になります。波は水を表し火事除け祈願、ウサギは多産・安産なことから子孫繁栄を願って描いたものでしょう。

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同じ職人さんが制作したものと思われるウサギの鏝絵が、旧南安曇郡安曇村(現松本市)にもありました。同じく蔵窓の下です。

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こちらのお宅は昔、鍛冶屋だったそうです。鍛冶屋といえば火を使いますが、火災防止、子孫繁栄を祈願して飾ったものでしょう。

施主からの依頼だったのか、壁塗りの仕事を任されたお礼として絵心のある職人が鏝絵を施主に贈ったこともありますので、職人さんの志だったのかは分かりませんが気持ちの和む鏝絵といってよいのではないでしょうか。

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二つの蔵の鏝絵は、大きな波のうねり、左右の波しぶき、波を見ながら跳ねる兎の姿、そしてフレームの切り方までが同じです。

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ところで鏝絵は、下絵を板に写し、鏝で漆喰を塗り重ねたり削ったりして描いていきます。この時、いろいろな形や大きさの違う鏝を用います。

これを制作した左官職人さんは同じ下絵を使って、この鏝絵を描いていることが分かります。

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信州の瓦鍾馗を探して-1  瓦鍾馗の分布

最初に瓦鍾馗とわたし(ブログ管理人)の関わりについて、簡単に述べたいと思います。

わたしは寒さの厳しい北海道で生まれ育ち、やがて親元から離れ長く東京で生活してきました。50歳を前に土に関わる仕事をしたいとの思いを抱き、一念発起し安曇野に移住してきました。

           022                       (安曇野市穂高矢原)

その後、新たな仕事と生活に追われながらも、安曇野の自然が織りなす四季の光景の中で心を満たして来ていました。仕事も一応、思い描いていた形になってきたかと気持ちに余裕がでてきたある日、周囲に目をやったとき目に飛び込んできた屋根瓦の美しさに驚きました。

瓦屋根のなかった北海道や東京では得られなかった新鮮な感動でした。

     Img_1625                    (安曇野市豊科・高家) 

「どうして、これまで気がつかなかったのだろう。ふだんから目にしていたはずなのに…」と思いながらデジカメで撮りまくり、始めたばかりの当ブログに「安曇野の屋根瓦」として連載を始めました。その中に瓦鍾馗についても2回にわたって掲載しました。

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それが、瓦鍾馗の研究を続けているkiteさん(愛知県在住)の目に止まり、さらにkiteさんを師と仰ぐおとんさん(大阪府在住)とも知り合うようになりました。その後、お二人は安曇野の瓦鍾馗を見るために遠路、カメラを携えて訪ねて来られました。

           Img_0501                    (安曇野市豊科・高家)

その熱心な姿に感銘し、この地域の瓦鍾馗をもっと探しておきましょうと約したのが、瓦鍾馗を探すきっかけでした。

その後、さらに瓦鍾馗を卒論テーマにしたnaoさん(山梨県在住)という女性が現われ、ある時は二人で連れだって、ある時はそれぞれ単独で長野県内の鍾馗さんを探訪するようになりました。

           Img_0798                    (安曇野市豊科・田沢)

naoさんは、瓦鍾馗研究の第一人者・服部正実さん(京都府在住)に師事し卒論を書き上げたということで、服部さんともつながりができました。

この秋には、皆さんと2回目の信州の瓦鍾馗巡りも行いました。こうして鍾馗さんに魅せられ、少しずつのめり込んできました。

粘土に向かい「へら」と呼ぶ数本の道具を巧みに使い、名もない職人が作り上げた瓦鍾馗。その多くが百年の時を越えて、信州の厳しい風雪に耐え屋根の上で庶民の家々を守ってきた姿に巡り合うと、新たな感動すら湧いてきます。

     148                    (安曇野市豊科・豊科)

ところで、長野県内の瓦鍾馗は、これまでは佐久市、小諸市、上田市、長野市で散見される程度で他地域では見られないという情報が雑誌やネットで流されてきまし た。

こうしたことから、信越本線(現在は、三セク・しなの鉄道)が開通した明治26(1893)年後に鍾馗を飾る生活文化が信州にも入って来たのではないかという説もあります。

     090                    (松本市四賀・会田)

しかし、これまでに当ブログで掲載してきたように善光寺街道の宿場や街道筋にも瓦鍾馗の古物は代々屋根に上げられていますし、安曇野のように主要街道から離れた地域や国道19号沿いでも数多くの年代ものの鍾馗さんを発見してきました。

これまでのところ、わたしたちが見かけた瓦鍾馗の数(平成23年11月21日現在)は、安曇野市内だけでも47体にのぼります。市外では今のところ49体になります。

これは、鬼師と呼ばれる特別な技術を持った瓦職人が手びねりした一品もので、型抜きの量産された最近のものを除いた数になります。     

     Img_2541                    (安曇野市穂高・有明)

鍾馗さんが屋根にあがっている宅の聞き取りでは、有に100年を超えて屋根に載っているという話も数多く耳にして来ました。

江戸後期の文政年間に瓦業の営業を藩に願い出た古文書や明治元年に瓦屋を創業したという記録なども目にして来ました。

           Img_3234                    (松本市四賀・会田)

信州でも古くから瓦業が興り、西国の鍾馗を屋根に飾る風習が伝わりこうした生活文化が一時盛んになったことを物語ります。

そうなると、これまでに流布してきた「散見・信越本線」説はその根拠を失うことになります。   

           019                     (安曇野市堀金・中堀)

kiteさんは、「これだけ鍾馗さんや他の飾り瓦が(信州の)各地で見つかっているのですから、19号沿いやさらに離れた場所でも未知の鍾馗さんが今後も見つかると考えた方が自然ですね」とアドバイスしてくれました。

     Img_3108                    (安曇野市三郷・中萱)

これまでのところ、人が行き交う街道筋の宿場に京都などから鍾馗を屋根に飾る生活文化の話が伝わり、さらにその情報が信州各地に伝播するとともに、粘土が産出し瓦業を営んでいた各地の瓦屋に三州からの渡り職人が制作技術を教えたことが相まって信州各地に瓦鍾馗が上がっている由来ではないかと考えていますが、これからの探訪結果や聞き取りなどを終えてからでないと断定できません。

           Img_3391                    (安曇野市豊科・新田)

これまでに発見した瓦鍾馗でまだ当ブロクに掲載していないものをご紹介するとともに、今後新たに目にした場合、その都度ご紹介していくことにしたいと思います。

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万水川のカッパ神~穂高・白金

穂高の東、多くの湧水を集めて万水川(よろずいがわ)が流れています。この川は一年中、きれいな水が流れていて、そのためか神さまを祀った祠(ほこら)があちこちにあります。

この祠は、白金の安兵衛と喜左衛門の二人が、このあたりに棲むカッパを祀ったのだといわれています。    

     Photo_4                              (万水川の近くにある小さな祠)

むかし、安兵衛が万水川の土手へ草刈りに行きました。朝早くから仕事を始め、広い土手を全部刈ってしまいました。家に戻り馬を連れて、刈り取った草を家まで運んで行こうとしました。

馬を川の近くに待たせておいて、草を集めていると「ヒヒーン、ヒヒーン」と馬が鳴きます。走って行ってみると、馬は前足を跳ね上げて大きく跳びあがり、家の方へ一目散に駆けていきます。

     Photo_2             (白金の田んぼと白壁造りの民家。安曇野を象徴する風景といえます)

「しようがねえなあ」と、後を追って家に戻ると馬小屋の前でときどき尻尾をはげしく振っています。安兵衛が馬の尻尾をよくよく見ると、カッパがくっついていました。
「こいつめ、人騒がせな。馬がおどけるのも無理ねえわ」とカッパを取り押さえました。

するとカッパは「許しておくれや。命ばかりは助けておくれや。二度とこんなことはしねえで…。
許してくれたら、だれにもできねえ、もみ医者の技を教えてやるで」と懇願しました。

安兵衛は「ようし、今回だけは許してやろう。だが、もみ医者の技はいつ教えてくれるのた゛」というと万水川の土手で伝授するとカッパはいいました。

     Photo_3                              (湧水を集めて、満々と流れる万水川)

次の日、安兵衛は友達の喜左衛門を誘って、万水川の土手へ向かいました。カッパが川から出てきたので「難しい技を教わるのにひとりでは聞き落とすと困るでな。二人に教えろ」というと、カッパは承知して、さっそく技を少しずつ伝授しました。二人は毎日土手に通いました。

人間の体全体の揉み方、湿布の仕方など、それはていねいでした。近くに人がいるときは教えてくれないので、全部教わるまでにひと月かかりました。

それからしばらくして、二人はもみ医者を開業しました。すると、不思議によく効くと有名になり、近くの人たちはもちろん、遠方からも訪れる人が来てたいへん繁盛しました。

そして二人は、カッパから教えてもらったことが、こんなにも人々の役に立つとは本当にありがたいことだとカッパに感謝する気持ちを込めて、万水川のそばにカッパの祠を建てたということです。

     Photo_5                                 (安兵衛さんのお墓)

 

         * 『 あづみ野 穂高の民話 』(安曇野児童文学会編 )を参考にしました。

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安曇野の鏝絵-2   紅梅が似合う漆喰の蔵

梅の花が咲く頃、豊科・高家熊倉で目にした鏝絵です。

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建てられてからそう年月が経っていない蔵で、漆喰壁の白、海鼠(なまこ)壁と龍の鏝絵がうまく意匠されています。

撮影していると、この宅の兄妹の子どもが出て来て、「紅白の梅の木は、お兄ちゃんの誕生祝いに植えたんだよ」と教えてくれました。この蔵と紅梅が絶妙なコントラストを描いています。

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鏝絵の龍は、黒い下地の上に白漆喰で描き、龍そのものを際だたせています。

上部の雲のデザインもいいですし、蔵の明かり取りの上の小屋根の落ち着いた朱色が鏝絵を一層引き立てているのではないでしょうか。

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そしてもう一つ、折れ釘の根元を飾っている斬新で現代的なデザインが蔵全体とうまく調和しているのに驚かされました。

実に良くできた蔵ではないでしょうか。

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自己免疫力を上げ、風邪を予防するハーブティー

秋も深まり、乾燥した外気温が冷たく感じられる季節となって来ました。こうした状態が続くと気になるのが、風邪やインフルエンザの流行ですね。この時期にお薦めしたいブレンドハーブティー「健康-26  かぜ・よぼう  のご案内です。

このハーブティーは、ふだんから飲用していただきますと、自己免疫力が向上すると同時に、強い抗菌、抗ウイルス作用で、体内に侵入してきた感染菌やウイルスを不活性にします。

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疲れがたまっていたり、身体が衰弱気味であったり、あるいは日ごろから強いストレスをかかえるような生活を続けていますと、自己免疫力が低下してしまいます。抵抗力がない分、風邪やインフルエンザが流行り出すと、罹りやすい状態にあるといえます。

自己免疫力の向上が図られますと、白血球内のリンパ球や顆粒球のバランスもよい状態になっていて、仮に風邪に罹ったとしても回復力は格段とレベルアップしています。すなわち治癒が短い時間で済むということになります。

風邪やインフルエンザが流行しだすころはもちろん、ふだんから「健康-26  かぜ・よぼう  を飲んで自己免疫力の向上を図り、健康な生活を目指してはいかがでしょうか。

ブレンドハーブティー 「健康-26  かぜ・よぼう 」  90g入り  1,890円(税込)

* 「健康-26  かぜ・よぼう 」は、通信販売でも取り扱っています。 詳しくはTEL 0263(83)7782へお問い合わせください。

* この記事は、昨年の同時期にもアップしています。

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安曇野に架かる橋(19)~広大な遊水池の上の犀川橋

松本方向から下って来た犀川が安曇野市明科中川手で、北西側から流れてきた高瀬川と穂高川の2本の河川と合流します。三川合流です。三川が合流して勢いを増したまもなくのところに犀川橋が架かっています。

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全長360㍍、車道の両側に2.5㍍の歩道を合わせて幅は12.5㍍の片側1車線の橋になります。       

犀川で分断された明科地区の塔の原と下押野を繋いでいます。この橋で明科地区と穂高、大町間の交通が活発になりました。  

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明治期の後半になるまで川を渡る唯一の手段は渡し舟しかありませんでした。下押野には川口筏番所が置かれ、抜き打ちの荷物改めを行っていたということです。

明治35(1902)年に明科地区を走る国鉄篠ノ井線が開通したことを契機に、この犀川に長さ220間(360㍍)、幅2間(3.6㍍)の木橋が架けられました。

上はその時の工事の写真です。下の写真が完成した後の大正6(1917)年当時の様子です。  

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その後、昭和11(1936)年に5連のアーチを持つ鋼鉄製コンクリート橋に架け替えられました。幅も5.5㍍あり、当時としては立派なものでしたが、戦後、車の往来が増加するに従い車の橋上でのすれ違いには幅員も狭くなり、14㌧上限の重量制限も実情に合わなくなりました。

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このため新橋の架け替えが計画されたものの用地買収などに手間取ったことなどから大幅に遅れ、昭和53(1978)年になってようやく本工事が始まり、2年後の同55年に完成しました。

この年の12月15日に完成式が行われました。あいにくの小雪混じりの天候となりましたが、近くの一家三代を先頭に渡り初めが行われました。

ところで、この犀川橋の下は洪水などに備えた広大な遊水池になっています。 

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穂高側から来ると、橋の欄干が切れたところに右折できる堤防道路があります。この道を500㍍ほど行くとハクチョウが飛来する御宝田遊水池があります。

次回は、この遊水池にある名のない橋と遊水池をご紹介します。

* 白黒写真は「懐かし写真館 昭和の街角 大町 安曇野 北安曇」(郷土出版社)から撮りました。


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お産の神さま~堀金・須砂渡

むかし、烏川(からすがわ)が大雨で増水し、上流にあった山の神社が流されてしまいました。下流の村人たちは、流されてきた神社の木材を引き上げ、須佐渡山神社(すさどやまのかみしゃ)として大切に祀りました。

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村に住んでいた太助は、お梅という若い娘を嫁にもらいました。お梅はまもなく赤ちゃんができましたが、残念なことに流産してしまいました。お梅はすっかり元気をなくしていました。

それから2年ほどしたある春の日、山仕事から戻った太助に「おまえさん、赤ちゃんができただ。お産婆さんにもみてもらったんでまちげえねぇよ」と、お梅がいいました。
「本当か! もう赤ん坊はダメかとあきらめていただが…。そりゃ、めでてえ。明日お祝に、岩魚(いわな)捕まえてくるだに。今度こそ丈夫な赤ん坊を産んでくりょ」

           059                                           (境内にある千度参りの記念石)     

そんなある日、大きな籠(かご)を背負って行商している男が、この村へやって来ました。男は、あちこちのおもしろい話をしてくれるので村人たちの人気者でした。

男は、お梅の家の縁側で、籠の中からいろいろのものを取り出して並べながら、お梅が赤ん坊を宿していることを知っていいました。

「おもしろい話聞いたことあるじ。どこの村の話だったか忘れたがせ。赤ん坊を授かったら神さまに底を抜いた柄杓(ひしゃく)をお供えするんだってさ。底のない柄杓で水を汲んでも軽いように、『お産も軽くなりますように』と願かけするということらしいじ。そしてお産が軽くすんだら、お礼に底の抜けていない新しい柄杓をお供えするんだと」。

お梅は行商の男が持っていた柄杓を全部買って、帰ってきた太助にこの話を聞かせました。

           060(境内を流れる清水を利用した手水場。いま備えられている柄杓は、金物製でもちろん底は抜かれていません)

次の朝、まだ暗いうちから家を出た二人は、山の神社へと向かいました。神社の手水場(ちょうずば)で柄杓をていねいに清めて、そばにあった石で底を抜きお供えしまた。

「どうか赤ん坊が富士に産まれますように」「お産が軽く済みますように」とお願いしました。

それからのお梅は人が変ったように、元気に畑へ出て働き、ご飯もたくさん食べてすっかり丈夫になりました。お腹もだんだん目立つようになり、秋も深まったころ、お梅は元気な男の子を産みました。遠くからお産婆さんやおっかさんが来るのが間に合わないくらいに、軽いお産でした。

大きな声で「オギャアー、オギャアー」と泣く赤ちゃんをしっかりと抱きしめながら、太助とお梅は「神さま、ありがとうござんした」とぽろぽろと涙を流しながら、お礼をいいました。

しばらくして太助とお梅は、生まれたばかりの赤ん坊を連れて、山の神社へ新しい柄杓を持ってお礼参りに出かけました。 

それから後、村人たちの間で底のない柄杓を神さまにお供えするとお産が軽くなるという噂が広がり、近郷からも柄杓を手にした若い夫婦がお参りする姿が見られたということです。   

                     

             * 『あづみ野 堀金の民話』 (あづみ野児童文学会編)を参考にしました。

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安曇野の鏝絵-1  山里の長屋門にある松と鶴の鏝絵

鏝絵と書いて「こてえ」と読みます。鏝とは、左官職人さんが漆喰壁を塗る時使う道具です。その鏝を使って職人さんが漆喰壁に描き残した絵や文様、文字などを鏝絵と呼びます。

屋根瓦に関心が向き、安曇野とその周辺を探索している時、目に飛び込んできたのが鏝絵です。瓦屋根に瓦職人さんの技を見て感動したものですが、鏝絵に見る名もない左官職人の芸にも同じ感動を覚えました。

安曇野とその周辺にある鏝絵をご紹介します。

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まず最初に掲載したのは、堀金三田にある長屋門に描かれた鏝絵です。入り口と、北側の妻面にあります。

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正面入り口にあるのは、左右4㍍、高さ1㍍ほどの大きさで鏝絵のなかでも大作といえます。松の木を挟んで右手に2羽、左に1羽の鶴が飛んでいる絵柄です。

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鏝絵は、漆喰を材料に制作されます。鏝絵ができ上がるといろいろな顔料を練り合わせて色漆喰を作り、これで彩色します。

おそらく、この鏝絵も初めは松の木の幹や葉、鶴の頭部は彩色されていたものと想像できます。

しかし、長屋門という野外に在って太陽の光(紫外線)や風雨を浴び、退色してしまったのでしょう。

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そのことを示すように、強い紫外線を浴びない北側の絵には、赤色が残っています。

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家紋を守る雲間の龍が描かれ、龍の角や節間に鮮やかな赤色が残っています。ですから制作当初は、いろいろと彩色が施され見る目を楽しませてくれたことがうかがい知れます。

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赤色の色漆喰は、紅殻(べんがら=酸化第二鉄)を使うことが多いそうです。

退色はしたものの、年月を経た趣深い味わいを楽しめる鏝絵ではないでしょうか。

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この火伏せ龍と反対側の南側の妻面に、寶(たから)と書かれた肉太の文字があります。

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鉱物油原料を除いた安全なリップクリーム

寒くて乾燥したシーズンは、肌へのダメージとともに唇のアレも気になって来ます。安全性を考えて鉱物油原料をのぞいたリップクリームのご案内です。  

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柚子(ゆず)のリップクリーム」(写真右)は、使用原料の98%が天然植物オイルと蜜ろうです。酸化安定性に優れサラッとした使用感のホホバオイルと唇になじみやすく体温で溶ける性質のシアーバターをバランスよく配合しています。

柚子果皮から抽出した精油の爽やかな香りと軽いつけ心地が楽しめ、乾燥から唇を守ります。

柚子(ゆず)のリップクリーム(スティックタイプ)」(写真左)は、植物性オイルとオリーブスクワランをベースに、ホホバ油、キャンデリラロウなどを加え、こっくりしたつけ心地とべたつかない感触を増しています。
のびがよい植物性ワックスが、唇につやを与えます。

リップクリーム、スティックタイプとも口紅下地としても使用できます。

 

  柚子(ゆず)のリップクリーム       6g   735円(税込み)
 柚子(ゆず)のリップクリーム(スティックタイプ)   
                              4g   735円(税込み)

* 〔 柚子(ゆず)のリップクリーム シリーズ  〕は、ハーブスクエアで通常販売しているほか、通信販売でも取り扱っています。  詳しくは、TEL 0263(83)7782へお問い合わせください。

 

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ガーデンも晩秋の装い

ガーデン内のスズランノキ、ピンオークの紅(黄)葉に続き、ここに来てダンコウバイが一気に黄金色の輝きを見せ始めました。    

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ダンコウバイは、まだ他の草木が花開かない早春にいち早く黄花をつけ楽しませてくれますが、秋もこうしてみごとな葉色を見せてくれます。

今年の色づきは、例年と比べ2週間ほど遅いでしょうか。

 

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後方のピンオークとみごとなコントラストを描いています。

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そのピンオークも、多くの葉が落葉し始めています。

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先だってまで真っ赤に染まっていたハンカチノキは、ほとんどの葉を落としてしまいました。

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残った小枝の先には、花の後姿が残っています。

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早くに裸木となったハンカチノキ。

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たくさんの硬くて丸い実をつけています。

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モクレンも毎日沢山の葉を落とし、すでに冬芽をつけています。

掲載した写真は昨8日、立冬の日の様子ですが、安曇野もいよいよ晩秋の装いが深まって来ています。

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安曇野に架かる橋(18)~安曇節に唄われた地にある安曇橋

橋は常に川を挟んで分断された地域と地域を結び、共用することを通して互いの地域、さらにその先にある地域との結びつきを強めます。その意味では、橋は隔絶された地域間の動脈としての役割を担っています。     

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安曇橋は、安曇野市内の穂高地区と明科地区を結ぶパイプとして架けられています。明治27(1894)年に木橋が架けられて両地区の交流に拍車が掛かりました。

それ以前の10年ほどは、「押野の渡し」があり、渡し舟で交通していました。北国街道へ通じる主要点であったからです。

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安曇橋の明科・押野側に碑が建っています。「槍でわかれた梓と高瀬 巡りあうのが押野崎」と民謡「安曇節」に唄われた一節です。歌詞のとおり、槍ヶ岳の雪解け水が二手に分かれ、その流れが梓川と高瀬川を形成し、やがて明科・押野で合流するという意味です。

安曇橋下を流れるのは高瀬川ですが、この先まもなくのところで合流し犀川と名前を変えま
す。

そして、その流れは「もとはアルプス 雪消のしずく 末は越後の海となる」と同じ安曇節に唄われたように日本海へ注ぎます。水の流れは、標高550mほどの地点から流れ下りますので、3日間ほどで越後(新潟県)の海へ到達するそうです。     

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昭和11(1936)年、長さ328㍍、橋幅4.5㍍のコンクリートの永久橋となり、現在の橋は平成4(1992)年に架け替えれオリンピック道路と繋がりました。

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安曇橋の川原に、シャボンソウ(ソープワート)の群生地があります。シャボンソウは明治期に外来した帰化植物ですが、これほど多く見られるのも珍しいといえます。

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堤防道路から川原へ下りて遊べるように手すり付きの階段もついています。

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* 「安曇節」に関しては、こちらに詳しく記載されています。

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信州の街道筋に鍾馗さんを探して-4  北国街道(丹波島宿)

善光寺西街道は、善光寺の手前の篠ノ井追分宿までとなります。といっても篠ノ井追分宿は幕府から認められた宿場町ではなく、稲荷山宿と屋代宿との間宿(あいのしゅく)でした。しかし、北国街道と善光寺西街道の分岐点となった為、多くの旅人や善光寺詣での参拝客で大きく発展しました。

善光寺詣でには、前回記した稲荷山宿から篠ノ井追分宿~丹波島宿~善光寺宿を通って善光寺に着くことになります。追分宿から善光寺宿の間は「善光寺街道」との別称もあり信仰の道としても親しまれた街道です。

この善光寺街道(北国街道)に丹波島宿があります。

宿の入り口に、丹波島宿と村の産土神・於佐加(おさか)神社があります。社の前で道は直角に曲がります。枡形です。怪しいものが侵入できないように道を直角に曲げる工夫で、城郭建築に用いられる造りだそうです。

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丹波島宿が、幕府の公用にあてる馬を常駐させた伝馬宿として誕生して以来、今年で400年目になるといいます。地元ではこれを機に、「丹波島宿の遺産マップ」の案内板やチラシなどを宿内に置いて、訪問者に便宜を図っています。

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屋号の表札をつけたり、マンホールや排水溝の蓋なども整備しています。ここに「東日本では珍しく、鍾馗さんがまとまって見られます」(瓦鍾馗研究家のkiteさんの評)。

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宿場跡といっても、今は近代的な新しい住宅が建ち並びます。

建て物が現代的に姿を変えても、代々受け継いできた家(旅籠)の守り神・鍾馗さんが今でも数軒の小屋根に飾られています。この鍾馗さんが宿の西端の家にあります。

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小鬼を足で押さえているこの鍾馗さんも、アルミサッシ枠の窓の前に設置されています。こちらの鍾馗さんは、脇道の突き当たりの家に飾られています。  

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これも突き当たりにあります。

宿の出入り口や脇道から突き当たるところに面した家に掲げることによって宿場への疫病をはじめとした厄介者、邪気、悪霊の類を追い払うことに腐心しました。

この鍾馗さんの飾り方は、京都、奈良などでは珍しいことではないようですが、信州では道祖神を村の辻々に祀り、悪霊の侵入を防ぐという風習はありましたが、集落の入り口や辻々に瓦鍾馗を置いたというのは他に見当たりません。

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こちらは、脇道の角にあたる家です。

そして、ここにある鍾馗さんはいずれも壁面を背にした小屋根の上に飾られています。この飾り方も西日本ではよく見られるということです。

信州では屋根の一番高いところ、つまり大棟に設置されているのがよく見られるケースですが、丹波島宿は違い西日本風に飾られています。

そういう意味で、丹波島宿は信州のなかでも異質と言えるかもしれません。京都などの生活文化の強い影響を受けたのでしょうか。

それにしても上の鍾馗さん、随分と好男子に作られていませんか。

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丹波島宿の奥、つまり善光寺に近い宿の東端に5体目の鍾馗さんがありました。

瓦鍾馗の衣装は、ほとんどが着流しスタイルなのですが、この鍾馗さんはまるで甲冑でもまとっているかのように描かれています。

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そして東西6町(650㍍余)の宿が切れたすぐ近くの宅の蔵の上に、対で上がっている瓦鍾馗。この鍾馗さんが左手にしているのは、打ち取った鬼の首、なんともリアルです。

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反対側の小屋根にあるのが、こちらの鍾馗さん。視線の先に、成敗して転がっている小鬼を睨みつけているようです。止めを刺して、首を刎ねようとしているのでしょうか。

そのようにして見ると対で飾られている鍾馗さんは、同一の鍾馗さんを描いたもので連続的な姿を鬼師が意識的に制作したことが分かります。

地元で出している案内パンフには、「現在も4体が鎮座している」と写真入りで紹介されていますが、実際は7体あることが分かりました。

かつて地元の小学生が宿内の瓦鍾馗を調査した資料がありますが、それと比べると3体が姿を消しています。

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この蔵の大棟に対で乗っているのが、この装飾瓦です。よく見ると、鶴と亀(玄武)、松、打ち寄せる波涛、昇り始めた朝日を背に身構えた姿勢ででんと屈んで構えているのは何者でしょうか?

これは人の心を見計らって悪戯をしかける子鬼「天邪鬼」(あまのじゃく)を表しているのだそうです。この子鬼の性格から転じて、本心に素直になれず周囲と反発する人のことをあまのじゃくと揶揄するようになったということです。

蔵の持ち主の話では、瓦の葺き替えや蔵の維持管理が費用も嵩むうえ、瓦葺き職人もいなくなったことから次の代に継ぐのは難しいといってました。

継げないということになると、これらの瓦はどうなってしまうのでしょうか。

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丹波島宿から少し離れたところに、鯉の滝上りの飾り瓦があります。流れ落ちる滝、遡ろうとしている2匹の鯉のほかに、向こう側(右手)にも1匹の鯉がいます。

丹波島宿が善光寺参詣の入り口にある宿場として、かつて栄えていたころを偲ばせる装飾瓦といってもいいでしょうか。





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今月と冬期間の営業時間について

今月23日(勤労感謝の日で祝日)は定休日の水曜日にあたりますが、23日は通常営業し翌24日(木)を、振替休日とさせていただきます。どうぞ、ご利用くださいませ。

また、12月から明年2月末日までは、冬期間の営業時間となり午前10時~午後5時になります。
ご了承のほど、よろしくお願い申し上げます。

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美しいブロンズリーフのピンオーク

先だってガーデン内の真っ赤に染まったスズランノキをご紹介しましたが、スズランノキが葉を落とし始めるのに替わって、ピンオークが見事なブロンズカラーに染まってきています。

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ピンオークも葉に光沢がありますので、陽が当たるとより赤みを増します。

数年前、定植場所を変えるため移植したのですが、しっかり根付き夏は青々とした葉を茂らせここに来て一気に色づき始めました。

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オークは和名のナラ、カシワの仲間ですが、その多くは葉の先に円い裂片ができます。ピンオークは深い切れ込みができ先端に鋸歯(のこぎりは)ができるのが特徴といえます。

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ブナ科に属する広葉樹で、カナダ南東部からアメリカ東部に分布します。生長すると25~40mになります。

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例年、ピンオークが色づき始めると晩秋の装いが深まるのですが、今年は安曇野も温暖な天候が続いています。

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メディカルハーブ-20   バーベイン

高さ30~80㌢㍍ほどで、細いもののしっかりした茎が立ちあがり、上部で枝分かれします。葉は3つに切れ込み、枝先に細長い穂状花をつけます。

花は、まばらに淡紫、ピンク色の小花をつけます。キリストの出血を止めた薬草として神聖化され、神事にも使われたそうです。      

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メディカルハーブとしては、開花時の全草を日陰干し乾燥して使用します。

葉に消炎、鎮静、発汗などの作用があり、洗眼、うがい用にも利用されます。消化を助けることでも知られ、食物の吸収を促進します。葉の煎剤は、過食時に特に有用です。

頭痛をはじめとする疼痛にも用います。

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◆ 和名     クマツヅラ

◆ 学名     Verbena officinalis   V. hastata 

◆ 主要成分  精油(シトラール)、イリドイド配糖体(ベルベナリン)、苦味質、タンニン、アルカロイド

◆ 作用     鎮痛作用、消炎作用、鎮静作用、発汗作用、神経系への強壮作用、消化促進作用、通経作用、催乳作用

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本年のハーブ・モカソフトの販売を終了しました

ご好評いただきましたハーブ・モカソフトクリームの本年の販売を終了いたしました。
ご愛顧いただきまして、誠にありがとうございました。

冬期間お休みさせていただきまして、明年は3月17日(土)より販売を再開する予定です。しばらくの間、お待ちくださるようお願い申し上げます。

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信州の街道筋に鍾馗さんを探して-3  善光寺西街道(麻績宿~稲荷山宿)

青柳の大切通しを抜けて麻績宿(麻績村)へ向かう下り坂を降り切った時、目に飛び込んできたのが小屋根の壁面に据えられた鍾馗さん。

信州では関西で見られるのと違って、こうした位置にあるのはそう多くはありません。珍しい飾り方です。

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古いものではなさそうですが、小鬼を捕まえています。小鬼を捕まえている鍾馗さんも信州では、そう多くは見られません。

「こちらは、関西の出身かな?」などと勝手な思いをめぐらせたりして…。

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いよいよ麻績宿に着きました。

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麻績一帯は、戦国の頃は武田・上杉両軍の緩衝地帯で、江戸期になって幕府の天領となりました。麻績宿がおかれ善光寺への参拝やお伊勢参りに行く人々の往来があり、賑わいました。

麻績が宿駅となったのは慶長18(1613)年のことで、安政元年(1853)には東西710㍍に本陣のほか問屋2、旅籠屋29を数えたといいます。

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かつての宿場の匂いを漂わせる通りに面した大きな民家の越屋根(煙出し)に、剣の切っ先を前に向けた鍾馗さんがいました。

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そのすぐ近くに、もう一体の瓦鍾馗が。

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こちらは刃が落ち、大きな鍔際(つばぎわ)が残っています。残っている鍔際からすると、この鍾馗さんも刃は正面方向に向けていたのでしょうか。

 

善光寺西街道は、麻績宿をでると標高1,252㍍の聖高原の山越え(猿ケ馬場峠)をし、桑原宿(千曲市)へと向かいます。

聖高原の頂上に人造湖で、かつては馬場ケ池と呼ばれていた聖湖(ひじりこ)があり、夏はさわやかな風が吹き抜け魚釣りなどで遊ぶ人の姿も見受けられます。

かつては正岡子規をはじめ、多くの文人墨客も旅でここを通っています。竹久夢二や若山牧水の歌碑も建ちます。

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途中、芭蕉や一茶、蕪村も句にした「田毎の月」で有名な棚田を横に見ながら峠を下ります。

棚田は姨捨(おばすて)伝説が残る冠着山(姨捨山)から、段々状に続く大小2,000枚に及ぶ不揃いな田んぼで、江戸中期から開田が始まったといいます。

棚田の先には、広々とした善光寺平が見渡せます。旅人たちは、善光寺ももうすぐと感極まり念仏を唱えたといいます。

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棚田を過ぎると、やがて桑原間宿に着きます。  

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桑原宿で瓦鍾馗は目にすることはできませんでしたが、猫面瓦がありました。

ところで、雷がなっているときに「クワバラ、クワバラ」と呪文(?)を唱えると、そこには落雷しないという伝承がありますね。昔、雷が轟いていた時、ここの領主が村人を怖がらせる雷をつかまえ、懲らしめたそうです。再び落ちて来ないことを条件に許したたことから、その時以来、「くわばら」の声が聞こえるところを雷は避けるようになったという民話が残ります。

桑原宿を過ぎると、次の宿場は稲荷山宿(千曲市)になります。稲荷山宿は善光寺西街道の最大の宿場町で、文久2(1862)年の記録では、家数436軒1,625人であったといいます。

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この宿場は呉服問屋も多く、ひと月に9日市が立ち、商人の往来が多く賑わったそうです。明治以降も昭和恐慌のころまで、繭(まゆ)や生糸、絹織物で隆盛を極めた歴史があります。

今も往時の面影が色濃く残り、かつての商家や旅籠の雰囲気を残す白漆喰になまこ壁の家並みが続く中に…

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不思議なものがありました。瓦製でよく見ると、KICHの文字が刻まれています。

木窓の前に飾られていますので、魔除けなのでしょうか。

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この近くに激流の滝を登ろうとする鯉がいました。鯉瓦はこれまでにも数多く見てきたのですが、滝まで描いたものは初めて見ました。     

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瓦鍾馗は宿場では目にすることができなかったのですが、少し離れた鳶職人さんの宅で見ることができました。

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この鍾馗さん、目もと涼やかでイケ面風、いかつさはありません。美男におわす鍾馗さんは、屋根上から玄関口を見下ろし、怪しい侵入者がいないか見張っているかのようです。

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