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安曇野に架かる橋(11)~穂高神社内の神橋

穂高の中心市街地に位置する穂高神社の中にも、橋があります。

拝殿の裏手に池があり、流れ込む小川に加え湧水が池の水量を増やしています。その池から新しい小川が境内を流れます。

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境内を流れる小川は御手洗川と名があり、この川に「神橋」という石橋が架かっています。

橋といっても長さ2.3m、幅5m、高さが1mですので、うっかりすると気づかずに渡ってしまいます。

往時の千国街道で、参詣者はこの神橋を渡ってお参りしたことでしょう。

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石橋としては、市内で最も古い明治16(1883)年造立になります。ですから、すでこの頃には湧水からの水が流れ出ていたことになります。

橋の両袖に寄進した人たちの名前が刻まれています。

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この石橋の欄干の両側に、龍の透かし彫りがあります。雲龍の意匠は、それぞれ違った図柄になっていて、市の有形文化財に指定され保存されています。

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千国街道は、「塩の道」とも呼ばれ糸魚川(新潟県)と塩尻(長野県)を結んだ生活道で、日本海側から塩や海産物が、信州から麻や煙草、農産物が行き来した山国・信州にとってはかけがえのない道でした。

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この神橋のすぐ近くに「ものぐさ太郎」の石碑や日光小太郎の青銅像がありますし、飲用できる「安曇の銘水」、拝殿前にはパワースポットのご神木・孝養杉などもあります。

* 塩の道とは……戦国時代、山国の甲斐、信濃一帯を治めていた武田信玄が、駿河の今川義元と対立したことから生活必要物資の塩を止められ難渋していまし た。そうした時期、信玄と北側で相対峙していた越後の上杉謙信が、「争うべきは弓箭(ゆみや)にあり、米・塩にあらず」として敵に塩を送ったという故事があり、越後の糸魚川から松本、塩尻まで牛馬が塩を運んだ道のことをいいます。


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