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安曇野に架かる橋(13)~壮観な8連アーチの田沢橋

安曇野市豊科の犀川に架かる田沢橋です。田沢と豊科中心部を結んでいます。犀川は、この橋の少し上流部で奈良井川、梓川と合流し水量を増して、新たな流れとなって下ってきています。

田沢橋は正確に言うと、2本架かっています。上流側にあるのが昭和55(1980)年に開通した新橋で、車専用の橋として、下流側に歩行者と自転車が通れる橋として使い分けています。

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この歩行者専用橋は、コンクリート製のアーチ橋になっています。アーチ(ローゼ桁)は8連あり、壮観です。

旧橋は、昭和30(1955)年に竣工していますので、半世紀を超え今でも現役で活躍しているわけです。全長361㍍あり、この地域の生活遺産としての価値がしのばれます。

新橋になってから乗合バスも走るようになり、JR大糸線の豊科駅と篠ノ井線田沢駅間が結ばれ東西の交通の利便性が増しました。通学、通勤での便に利用されています。

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下の写真は、8連アーチ橋ができた翌年の昭和31(1956)年当時、水量豊富な犀川で投網漁をする模様を田沢橋のふもとで記録撮影しているのものです。

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もっとも橋のなかったころは、舟が両岸を行き来していました。渡し舟です。田沢橋の上流域の熊倉地区に川幅が上下流と比べて狭いところがあり、そこに渡し場があり、「熊倉の渡し」と呼ばれていました。

熊倉の春日神社の裏手に渡し舟が保存されています。

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江戸時代、松本藩の高年貢に苦しんでいた農民の惨状を見て、庄屋の多田加助が命を賭けて直訴に上りますが、家族に見送られて犀川を渡ったのが、この渡し場でした。

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いま、「熊倉の渡し」を示す記念碑が残っています。

* 白黒写真は「懐かし写真館 昭和の街角 大町 安曇野 北安曇」(郷土出版社)から撮りました。

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