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安曇野に架かる橋(6)~わだつみの声を遺した乳房橋

穂高有明を流れる高瀬川に乳房橋が架かっています。昭和9(1934)年に竣工され同38年に改修されています。鉄筋の入ったコンクリート橋で、見るからに堅固な造りで、橋の長さは56㍍、橋幅は5.5㍍です。

橋が架かったのは、明治41(1908)年で手すり付きの木橋だったということです。その後、2度改修されコンクリート橋になりました。

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下の写真は、架け替えられた直後の昭和10年当時の乳房橋です。有明山の偉容も見えます。

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突然ですが『聞け わだつみの声』という本をご存知ですか? 読んだことはありますか?

第二次世界大戦時の昭和18年、敗戦色が見え始めるなかで兵役免除の特権がなくなり、学徒出陣で戦地に赴き学業半ば、若くして死を覚悟した若者たちの遺書などを集めた書簡集です。

この『わだつみの声』の始めに収録されているのが、慶応大学生だった上原良司の遺稿です。

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学徒出陣で陸軍特攻隊員として配属された上原良治は、突撃前に許された束の間の休暇を安曇野市穂高・有明耳塚の実家で過ごします。

そして「日本は敗れる。俺が戦争で死ぬのは愛する人達のためだ。戦死しても天国に行くから靖国神社にはいないよ」と、家族に言い残したといいます。

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軍隊に戻るとき、見送る家族の姿が遠くになった乳房橋のたもとから、「さょうなら」と三度も繰り返し、別れを告げたといいます。開業医の実家から、乳房橋は300㍍ほどの距離です。

良司の母親は、それまでに聞いたことのない大きな声に「良司は死ぬ気でいるんだな。最後の別れに来たんだ」と悟ったといいます。

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良司は、終戦3カ月前の5月11日の午前、命を受け鹿児島の知覧飛行場から出撃し、沖縄の北にいる敵艦隊に突撃して散華しました。22歳でした。

その一年後に小さな壺に入った良司の遺品が乳房橋を渡って、故郷に戻ったといいます。

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悲しい別れを刻んだ高瀬川に架かる乳房橋です。

ニジマス釣りの解禁期間は、橋のすぐ近くで糸を垂らす釣り人の姿も見られます。良司も少年時代、この乳房橋から釣り糸を垂らしたことがあったのでしょうか。

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乳房橋の先には、豊かな田園風景が広がります。

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