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連ドラ「おひさま」にでてきた安曇野の風景(12)~松本50連隊と有明演習地

安曇野が舞台のNHK朝のテレビ小説「おひさま」で放映された安曇野とその周辺の風景を紹介しているコーナーです。

* 掲載した写真で、左上に時刻表示の数字があるのは、テレビ画面を撮ったものです。


陽子は安曇野高等女学校の帰路、街角で出征兵士を送る壮行会に出会ったりしました。

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昭和12(1937)年中国の北京近くの盧溝橋で日中両軍の衝突が拡大し、本格的な戦争が始まりました。宣戦布告のない8年にわたる長期戦へと突入したのでした。当初は、そのための兵役でした。

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ドラマ「おひさま」では、穂高の街から出征する場面がでてきましたが、昭和5~9年までの間、旧穂高町内から441人の青年たちが入営しています。

下の写真は、故郷を出立してきた兵士が松本に集結し、中国の前線へと向かうときの模様(昭和12年)です。

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昭和16年12月8日、日本はアメリカの海軍基地ハワイの真珠湾を急襲し、太平洋戦争が始まりました。陽子が「尋常小学校」から「国民学校」になった母校の有明山国民学校へ赴任し、新米教師として奮闘していた時でした。    

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校長が開戦を知らせ、全校集会で万歳を三唱しました。その前から続いていた戦争の中で、苦しみに耐え続けていて、真珠湾でのアメリカ太平洋艦隊に壊滅的な打撃を与えたということは戦争がまもなく日本の勝利で終わるだろうと明るい期待を抱いたからでした。

しかし、そんな願望とは裏腹に大戦の勃発は庶民にとって、さらに長く続く辛い日々の始まりとなったのでした。

安曇野市穂高有明に、戦線に送りだす兵士たちを教練した演習地と兵舎の跡があります。     

松本・安曇野地方に兵営が設置されたのは日露戦争後の明治41(1908)年で、松本市桐に誕生した陸軍歩兵第50連隊です。

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そして大正4(1915)年から昭和20(1945)年の終戦まで、安曇野市穂高有明に広がる45万坪(150㌶)の山林が、50連隊の演習地になりました。

上の写真は演習地の近くにある廠舎(しょうしゃ)の正門を出て、演習に向かう50連隊の兵士の行進です。有明演習地は当時、アカマツなどが生い茂り、その幹を射撃目標に撃ち込んだといいます。

下のような実弾演習を行うときは、赤旗を掲げ村民に危険を知らせたということです。実弾射撃の音は遠くの里にも響き渡り、終戦まで止むことがありませんでした。         

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ハーブスクエアの場所も当時の演習地内に含まれていて、ガーデン造成のため耕していると薬莢が土中からよく出てきたものです。

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秋には秋季大演習を隣村まで範囲を広げて行い、冬には耐寒行軍、そして夏には山地行軍、水泳訓練などが行われ年間を通して訓練計画がぎっしり組まれ、初年兵はここで徹底的に訓練されたそうです。訓練を受けた後、兵士たちは戦線へと送り込まれました。

幼なじみのタケオも甲種合格で召集されましたが、配属先は松本50歩兵連隊だったのでしょうか?    

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陽子が丸山和成とお見合いをしたのは、和成が召集解除となり松本50連隊から復員していた昭和18年でしたね。

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50連隊が演習で寝泊まりする廠舎は、9700坪余りの敷地に兵舎4棟のほか本部、厩舎、炊事場、営倉、弾薬庫など20棟がありました。

戦局が悪化し本土決戦に備え、50連隊は演習地で猛訓練を行います。そして、他の歩兵連隊も有明演習地で訓練を行うようになります。このため、兵士の宿泊は兵舎だけでは足りず、穂高、有明、隣りの松川村の各国民学校に分駐しました。

当然、陽子が勤務していた有明山国民学校にも兵士が寝泊まりしたわけです。このため学校は二部授業にするなど学童たちは、落ち着いて学習することもできなかったようです。

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兵舎は全く野戦向きの構造で、土間の通路を中央にとり両側に板張りの床があり、その上に敷きわらをして寝たそうですが、後に常備寝具に毛布が支給されました。

戦後、兵舎は取り壊されましたが、営門のあった正門跡地に案内板と土塁跡が残っています。

有明演習地は戦後、満州(中国東北部)から帰還した入植者に耕作転用され開拓が始まりました。しかし、昭和27(1952)年に保安隊(後の陸上自衛隊)松本駐屯部隊の演習地になる計画が持ち上がります。

穂高・有明地区を中心に危惧する声がわき起こり、根強い反対運動により計画は4年後に断念に追い込まれます。    

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かつての演習地一帯は、現在「豊里」と呼ばれる豊かな農業地と緑濃い観光地として生まれ変わっています。その一角に開拓に使用した動力機と開拓記念碑を見ることができます。

 

* 白黒写真は「写真記録 信州の昭和」などから撮ったものです。

 


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