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連ドラ「おひさま」にでてきた安曇野の風景(10)~陽子の父が勤めていた工場

安曇野が舞台のNHK朝のテレビ小説「おひさま」で放映された安曇野とその周辺の風景を紹介しているコーナーです。

* 掲載した写真で、左上に時刻表示の数字があるのは、テレビ画面を撮ったものです。


ドラマでは病弱な妻の療養のため、東京から水、空気、緑のきれいな安曇野に引っ越ししてきた須藤良一家族。しかし、介護の甲斐なく妻・紘子は、他界します。

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引っ越ししてから半年後の、昭和8(1933)年の春でした。

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良一は、それから3人の子どもたちを男手ひとつで育て上げます。

その良一の仕事は、東京にいた時は航空機開発に携わる研究者、安曇野に移住してから製糸工場へ勤務し、後にそこの工場長になりました。

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日本は明治時代の富国強兵の国策の下、養蚕、製糸業が急伸し、明治の末期には全世界の生糸輸出量の半分を占めたという歴史があります。

なかでも長野県は養蚕・製糸業が盛んで、昭和の初めまで蚕糸王国として全国にその名を轟かせたといいます。

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昭和9(1934)年、下諏訪町で生産を始めた旧昭和興業製糸場の跡が「松本歴史の里」に動態保存されていて、当時の製糸工場の様子をうかがい知ることができます。

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製糸工場で働く労働力の9割は女性で、10、20代の女性が担ったといわれます。

労働も苛酷で、寮生活で食事も満足なものが与えられず睡眠時間も5時間程度で早朝から夜遅くまで働かされたといいます。
そうした実態が『女工哀史』(細井和喜蔵著、岩波文庫)に詳述されています。    

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昭和4(1929)年の世界大恐慌のあおりで生糸市場の大暴落、製糸工場の倒産が続き、同10年ころから製糸産業は衰退の一途をたどります。

安曇野(旧安曇郡下)では、廃業に追い込まれたのが5工場、残った工場は9となったという記録があります。父・良一が勤務していた製糸工場はどうだったのでしょうか。

蚕糸に変わったのが、化学繊維のレーヨン(人絹、スフとも)や紡績でした。製糸は蚕の繭から取った生糸を撚って絹織物の原材料の繰り糸を作りだしますが、紡績は綿や麻の繊維を原料に糸を作ります。

その製造工場の呉羽紡績豊科工場(後に東洋紡績豊科工場)が、昭和12(1937)年に誕生しています。下の写真はその本部棟で、今も当時のまま残っています。

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操業最盛期には、ここで800人の人たちが働いていたといいます。

有能な良一ですから、紡績工場に迎え入れられたのかなと想像していましたが、脚本を書いている岡田恵和さんは良一の今後の人生に、別のサプライズを用意しているようですね。

豊科の旧繁華街の一角に、「豊科劇場」とかすかに読み取れる現在は雑居ビルになっている建物があります。

ここは昭和初期に、隣村からこの地に移築した「豊科座」という大衆芸能の演劇場(後に経営者が変わって「豊科劇場」に改名)です。

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戦前は演説会場として使われたり、戦中の昭和18年には戦禍を逃れて歌舞伎劇団の前進座が東京から疎開、ここを活動の拠点とした一時期もあったそうです。座長の中村翫右衛門はこの時の恩に報いるために、戦後の21年に豊科座で盛大な御礼興業を行ったといいます。

その後も映画館としてしばらく隆盛を誇りました。製糸、紡績工場で働いていた人々の多くもここに通い楽しんだことでしょう。

そして、すぐ近くの国道147号沿いの小公園の一角に「うろたえばし」と刻まれた石碑があります。昔、この近くを水路が流れ、そこに架かっていた小さな橋がそう呼ばれていました。今は舗装道の下を流れ橋はなく、石碑がかつてあった橋のあった場所を示しています。

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豊科駅からうろたえ橋あたりまで「豊科銀座」と呼ばれる繁華街で、夜な夜な賑わったということです。

給料袋を手にした紡績工場の労働者たちが、酔いが回って千鳥足になったり、あるいは「あの店で飲んで素寒貧になった」と橋の袂でうろたえる姿が見られたことから、この名が付いたそうです。

紡績工場華やかなりし頃を偲ばせるものが、今もわずかに残っています。

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