しょうぶ平の山姥~明科・下押野
むかし、下押野のしょうぶ平に、利助という百姓が住んでいました。山の北側の残雪も融け畑の端につくしが顔を出し始めました。利助は、杉林を抜けて畑を耕しに行きました。畑は、しょうぶ平の一番上にありました。
畑仕事に汗を流していると「カア、カア」といつものように時計の代わりをするカラスが鳴きました。「おや、もうお昼かい」といって、持って来たおやきを食べようとしたときです。
(利助が畑仕事に行くときに持って出かけた弁当入れは、こんな入れものだったと思われます=明科歴史民俗資料館蔵)
後ろから娘の声がしました。「もし、わたしは隣の村まで使いに出たのですが、道に迷ってしまいました。家を朝早く出たので、何も食べていません。お腹がすいて、もう歩けません。そのおやきを一つ恵んでもらえませんでしょうか」。
振り向いた利助の前に、庭に品よく咲く、菖蒲の花のような娘がいました。利助は、娘の美しさに驚きましたが「どうぞ、どうぞ」とおやきを娘に渡しました。食べ終わったころ、「これも食べな」といって、二つ目のおやきを渡しました。
おやきをおいしそうに食べ終わった娘は「おかげさまで、元気になりました。お礼に仕事を手伝わせてください」といいます。旅の途中だというのに、感心な娘だなと利助は思いながら、鍬(くわ)を持ってきて渡しました。少しの間だけでも美しい娘が側にいてくれるだけでもいいと、内心、利助は思ったのです。
利助は、娘が畑を耕すのを見てふたたび驚きました。細い腕で鍬を軽々と振り上げて、どんどん耕しています。あっという間に、利助の耕した倍も耕してしまいました。娘は利助の畑を次から次へと耕し、仕事を終えたときは夕方になっていました。
(むかし畑仕事で使用した農具類。娘はこうした農具で利助を助けたのでしょう =堀金歴史民俗博物館蔵)
利助は娘にお礼をいって「今日はもう遅くなったから、おらんちに泊まっていったらいいだ」といいました。すると娘は、うなづき受けてくれました。娘を家に連れて帰った利助は、娘を置いて里まで魚を買いに出かけ、たくさん買って戻りました。
帰ってくる道すがら、あんなに器量が良くて働きものの娘なら、ぜひともおらの嫁になってもらいたいと利助は思い、夕飯がすんだらお願いしてみようと考えていました。家に戻ると娘は「お風呂をわかしておきました。どうぞ、汗を流してください」といいました。「本当に気が利く娘だ」とまたまた感心しながら、風呂に入りました。
湯ぶねでゆっくりしていると「や、やや。湯がどんどん減ってるぞ」と気がついて、風呂桶から出ようとしたとき、頭の上にふたを乗せられてしまいました。ふたを押しのけようとして押しても、大きな岩が乗っているような重さでビクとも動きません。
利助はえらいことになったと思っていると、風呂桶ごと動いて自分がどこかへ運ばれているようです。風呂のふたが少し動いたので、ふたの隙間から見ると、あの娘が風呂桶をかついでいます。利助は、なにがなんだか分からなくなってしまいました。目をこすって、もう一度よく見ました。
(山姥は架空の怪物ですが、こんな怖いイメージでしょうか?=穂高有明神社裕明門)
すると娘の姿は、恐ろしい鬼の姿に変わっていました。あの娘は、実は山姥だったのです。「なんとか出なけりゃ、食べられてしまう」と、ふたを足で蹴飛ばしましたが、だめでした。山姥は、どんどん山奥へ入っていきました。
それからどのくらい山道を登ったのでしょうか。さすがの山姥も疲れたとみえて、松の根の岩に腰を下ろし休みました。利助がふたを少し開けて見ると、しばった縄がゆるんでいました。山姥は疲れからか、こっくりこっくりしています。
「今だ」。利助はそっと音を立てないように風呂桶から抜け出し、近くの大木の陰に身を隠しました。
(下押野には、今でも松の大木がたくさんあります。山姥が一息入れたのはどの辺りだったのでしょうか)
一休みして目を覚ました山姥は、また桶をかつぎました。「一休みしたので、えらい軽くなった。ありがてえ」といいながら、また山を登っていきました。
利助は、矢のような速さで山姥とは反対の方向に、山を駆け下りました。山姥は三つ目の山奥に来たとき、縄がゆるんで桶が山姥の背から外れて落ち、桶が岩に当たり壊れてしまいました。中に利助がいません。
(山姥が利助を閉じ込めて運んだ桶は、このくらいの大きさでしょうか=豊科・飯田の蔵久で)
「逃げたな」。山姥は真っ赤な顔をして追い返してきました。利助も転がるように山を下っていましたが、山姥にはかないません。山姥は、じきに利助に追いついてしまいました。
利助のすぐ後ろで、山姥の足音が聞こえてきます。利助はともかく隠れることにしました。辺りを見まわすと、菖蒲がたくさん生えていて、よもぎも側に群がっていました。利助はそのなかに飛び込んで、身を隠しました。「ここで、人間の匂いが消えているぞ」と、山姥は道の両側を、大きい鼻でくんくん音をたてて利助を探しはじめました。
しかし、菖蒲とよもぎの匂いが鼻につくだけで、人間の匂いがしません。山姥はしばらく利助を探していましたが、匂いに負けて探し出すことをあきらめざるをえませんでした。そして「チエッ」と舌打ちを残し、山奥へ帰っていきました。
(利助が山姥に追われ、とっさに身を隠した菖蒲の群落=明科・龍門渕公園)
菖蒲の原っぱの中で息をひそめていた利助は、「助かった」と、ほっとして起ちあがりました。すでに夜は明け、向かいの山からカッコウの鳴く声が聞こえてきました。
「菖蒲とよもぎが、山姥からおらを守ってくれた。ありがてえ、ありがてえ」と、菖蒲とよもぎの群れに手を合わせました。そして、菖蒲とよもぎを少し取ってきて、家の入り口に魔除けとして飾りました。
* 『 明科の伝説 岩穴をほった竜 』(降幡徳雄著)を参考にしました。
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