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2011年4月

安曇野はカタクリも見ごろです

大型連休が始まりました。安曇野を訪ねて自然に触れ合おうと考えている方たちに、今の安曇野の春模様をご紹介します。一昨日撮ったものです。

安曇野の山野にカラマツを多く見ることができます。いま芽吹きの時を迎えていて、鮮やかな新緑を誇っています。    

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新緑の美しさは多くの人に春の訪れを知らせてくれますので、カラマツの若葉色はとりわけ親しまれます

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穂高牧の烏川渓谷緑地に群生するカタクリが一面花開いています。     

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カタクリの花は陽ざしが当たると赤紫の花を開きますが、曇っているとつぼんだまま可憐な花姿を見せてくれません。     

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自生するアマナも元気に開花しています。 草丈が10~15㌢㍍ほどですので見逃しやすい野草です。花は鐘形で白色に暗紫色のすじがあります。葉はご覧のように線形をしています。

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堀金須佐渡の湿地では、ザゼンソウの後を追うようにミズバショウが見ごろを迎えています。辺りは人の気配のないなか、近くに遠くに野鳥のさえずりが聞こえてきます。

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山野にはツクシも盛んに頭を出しています。

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おいしい山野草として人気のあるギョウジャニンニクも、積もった枯葉の中から柔らかい若葉をだしています。

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ニワトコも蕾が膨らみ、開花間近といったところです。

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安曇野のすがすがしい空気の中で、大自然の春の息吹に触れあうのもこの季節ならではの楽しみかも知れません。    

 


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安曇野はタラノメが芽吹いてきました

サクラが葉桜になると、安曇野は木の実のシーズンになります。寒く長かった冬の間じっと耐えていた木々たちや野草が次々と芽吹き始めます。

タラノメが大きく膨らんできています。タラノメが芽吹くとコシアブラ、ヤマウド、ゼンマイ、ワラビなどが山野に顔をだします。

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タラノメはやはり本格的な春の訪れを知らせる旬の味です。新芽を摘み取り、天ぷらにするとほんのりと香り、コリコリと歯ごたえもあり格別です。おひたしにしたり、金網で焼いて薄味の味噌ソースで食べてもおいしくいただけます。

タラノメがでる木を安曇野ではタランボと呼びますが、中には3~4㍍ほどに伸びる大木もあります。木には無数の鋭い棘がありますので、すぐに分かります。

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山野に自生する天然もののタラノメは、スーパーなどで販売しているものと違って天ぷらで揚げ冷めても、歯ざわり感はしっかり残りますので、やはり違います。

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タラノメを摘むのは二番芽までとして、後はタランボの木を生長させるため三番目以降は残します。摘み取るときはゆっくり枝を引き寄せます。

無茶をして幹を折ったりすると木が弱ってしまい、来春は摘めなくなってしますので注意が必要です。

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連ドラ「おひさま」に出てきた安曇野の風景 (4)~ソバ畑

安曇野が舞台のNHK朝のテレビ小説「おひさま」で放映された安曇野とその周辺の風景を紹介しているコーナーです。

* 掲載した写真で、左上に時刻表示の数字があるのは、テレビ画面を撮ったものです。


よくでてくるシーンの一つに、ソバの花が咲き誇っている場面があります。
東京から安曇野に転居してきた少女のころ、陽子は実母と真っ白いソバの花が咲く畑を散策する印象に残るシーンがありましたし…

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後年、大きく成長した陽子が女学校へ通学する途中、後に義母となる人と出会ったのも白く広がるソバの花が咲く小道でした。

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ソバは安曇野をはじめ信州の郷土食として、古くから食されてきた歴史があります。ですから安曇野でもあちこちでソバの花が咲いている畑を見ることができます。

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でも物語の時代設定は、昭和初期の安曇野。まだまだひなびた田舎です。

今の安曇野で撮るとなると、電信柱や鉄塔をはじめ現代的構造物が背景に入ってしまいます。このためこうしたものが映らないようソバの種を播いて、新たに畑を造ったそうです。

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造った場所は、大町市美麻新行(みあさしんぎょう)の中山高原です。ここは昔から「新行ソバ」の名で知られるおいしいソバが収穫できる集落です。

いつもは菜の花油を採るため菜の花を栽培している畑です。シーズンになると一面菜の花の黄花に埋まります。

収録が終わって今時分は、菜の花が茎を伸ばし始め一面青々としているはずですが、今年は下のような風景です。菜の花の葉が出はじめてまもなく鹿の食害に遭い、根だけ残して全滅状態になったということです。残念なことです。

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ところで安曇野で一面に広がるソバの花を見ることができるのは、夏蕎麦の6月中・下旬と秋蕎麦の9月中・下旬です。

ソバは種を播いてからおよそ70日で花が咲きます。そして開花の全盛期間は、5日間ほど。後はソバの実をつけるため、色が変わり花びらも散ってしまいます。

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そばの花を見るなら観光協会などから情報を取って、お見逃しないようお訪ねください。

* そばについては、以前にも載せています。こちらもご覧下さい。

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しょうぶ平の山姥~明科・下押野

むかし、下押野のしょうぶ平に、利助という百姓が住んでいました。山の北側の残雪も融け畑の端につくしが顔を出し始めました。利助は、杉林を抜けて畑を耕しに行きました。畑は、しょうぶ平の一番上にありました。

畑仕事に汗を流していると「カア、カア」といつものように時計の代わりをするカラスが鳴きました。「おや、もうお昼かい」といって、持って来たおやきを食べようとしたときです。

           072(利助が畑仕事に行くときに持って出かけた弁当入れは、こんな入れものだったと思われます=明科歴史民俗資料館蔵)

後ろから娘の声がしました。「もし、わたしは隣の村まで使いに出たのですが、道に迷ってしまいました。家を朝早く出たので、何も食べていません。お腹がすいて、もう歩けません。そのおやきを一つ恵んでもらえませんでしょうか」。

振り向いた利助の前に、庭に品よく咲く、菖蒲の花のような娘がいました。利助は、娘の美しさに驚きましたが「どうぞ、どうぞ」とおやきを娘に渡しました。食べ終わったころ、「これも食べな」といって、二つ目のおやきを渡しました。                                    

おやきをおいしそうに食べ終わった娘は「おかげさまで、元気になりました。お礼に仕事を手伝わせてください」といいます。旅の途中だというのに、感心な娘だなと利助は思いながら、鍬(くわ)を持ってきて渡しました。少しの間だけでも美しい娘が側にいてくれるだけでもいいと、内心、利助は思ったのです。

利助は、娘が畑を耕すのを見てふたたび驚きました。細い腕で鍬を軽々と振り上げて、どんどん耕しています。あっという間に、利助の耕した倍も耕してしまいました。娘は利助の畑を次から次へと耕し、仕事を終えたときは夕方になっていました。

     234(むかし畑仕事で使用した農具類。娘はこうした農具で利助を助けたのでしょう =堀金歴史民俗博物館蔵)

利助は娘にお礼をいって「今日はもう遅くなったから、おらんちに泊まっていったらいいだ」といいました。すると娘は、うなづき受けてくれました。娘を家に連れて帰った利助は、娘を置いて里まで魚を買いに出かけ、たくさん買って戻りました。                        

帰ってくる道すがら、あんなに器量が良くて働きものの娘なら、ぜひともおらの嫁になってもらいたいと利助は思い、夕飯がすんだらお願いしてみようと考えていました。家に戻ると娘は「お風呂をわかしておきました。どうぞ、汗を流してください」といいました。「本当に気が利く娘だ」とまたまた感心しながら、風呂に入りました。

湯ぶねでゆっくりしていると「や、やや。湯がどんどん減ってるぞ」と気がついて、風呂桶から出ようとしたとき、頭の上にふたを乗せられてしまいました。ふたを押しのけようとして押しても、大きな岩が乗っているような重さでビクとも動きません。                      

利助はえらいことになったと思っていると、風呂桶ごと動いて自分がどこかへ運ばれているようです。風呂のふたが少し動いたので、ふたの隙間から見ると、あの娘が風呂桶をかついでいます。利助は、なにがなんだか分からなくなってしまいました。目をこすって、もう一度よく見ました。

     186       (山姥は架空の怪物ですが、こんな怖いイメージでしょうか?=穂高有明神社裕明門)

すると娘の姿は、恐ろしい鬼の姿に変わっていました。あの娘は、実は山姥だったのです。「なんとか出なけりゃ、食べられてしまう」と、ふたを足で蹴飛ばしましたが、だめでした。山姥は、どんどん山奥へ入っていきました。 

それからどのくらい山道を登ったのでしょうか。さすがの山姥も疲れたとみえて、松の根の岩に腰を下ろし休みました。利助がふたを少し開けて見ると、しばった縄がゆるんでいました。山姥は疲れからか、こっくりこっくりしています。

「今だ」。利助はそっと音を立てないように風呂桶から抜け出し、近くの大木の陰に身を隠しました。

                                   043(下押野には、今でも松の大木がたくさんあります。山姥が一息入れたのはどの辺りだったのでしょうか)

一休みして目を覚ました山姥は、また桶をかつぎました。「一休みしたので、えらい軽くなった。ありがてえ」といいながら、また山を登っていきました。                                    

利助は、矢のような速さで山姥とは反対の方向に、山を駆け下りました。山姥は三つ目の山奥に来たとき、縄がゆるんで桶が山姥の背から外れて落ち、桶が岩に当たり壊れてしまいました。中に利助がいません。

           007      (山姥が利助を閉じ込めて運んだ桶は、このくらいの大きさでしょうか=豊科・飯田の蔵久で)

「逃げたな」。山姥は真っ赤な顔をして追い返してきました。利助も転がるように山を下っていましたが、山姥にはかないません。山姥は、じきに利助に追いついてしまいました。                                    

利助のすぐ後ろで、山姥の足音が聞こえてきます。利助はともかく隠れることにしました。辺りを見まわすと、菖蒲がたくさん生えていて、よもぎも側に群がっていました。利助はそのなかに飛び込んで、身を隠しました。「ここで、人間の匂いが消えているぞ」と、山姥は道の両側を、大きい鼻でくんくん音をたてて利助を探しはじめました。

しかし、菖蒲とよもぎの匂いが鼻につくだけで、人間の匂いがしません。山姥はしばらく利助を探していましたが、匂いに負けて探し出すことをあきらめざるをえませんでした。そして「チエッ」と舌打ちを残し、山奥へ帰っていきました。

     2             (利助が山姥に追われ、とっさに身を隠した菖蒲の群落=明科・龍門渕公園)

菖蒲の原っぱの中で息をひそめていた利助は、「助かった」と、ほっとして起ちあがりました。すでに夜は明け、向かいの山からカッコウの鳴く声が聞こえてきました。

「菖蒲とよもぎが、山姥からおらを守ってくれた。ありがてえ、ありがてえ」と、菖蒲とよもぎの群れに手を合わせました。そして、菖蒲とよもぎを少し取ってきて、家の入り口に魔除けとして飾りました。

 

       * 『 明科の伝説 岩穴をほった竜 』(降幡徳雄著)を参考にしました。                                  

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いま安曇野は桜が満開です

春の陽ざしに誘われて、安曇野でも桜が満開の時季を迎えています。

堀金岩原にある枝垂れ桜です。朝の連ドラ「おひさま」にでてくる藁葺き小屋、水車のロケ地が近くにあります。

幹線道から少し離れたところにあるのですが、周りが畑地ですので見通しもよく、ポツンと一本華やかに咲き誇っているのが遠目からも分かります。

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まだ枝垂れ桜としては若木の部類でしょうが、なかなか均衡が取れた姿をしていて将来名木となる風格さえ漂わせています。

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風格があるといえば、豊科本村の枝垂れ桜は横綱級でしょう。樹齢250年で樹高は14㍍に及びます。

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太い幹から枝を四方八方に広げ、さらに小枝を垂れ下げています。どの角度から眺めても絵になっています。南北の枝張りは15㍍にもなります。

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穂高牧の枝垂れ桜も、近年風格がでてきたと見る人を楽しませています。

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桃の花かと見まがうばかりの豊科北中学校の校庭に咲く「御殿桜」です。

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ソメイヨシノよりも色の濃いオオヤマザクラ(エゾヒガンザクラ)とコヒガンザクラの交配により作出された桜木ですが、毎年よりピンク色の鮮やかな桜花をつけます。

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堀金中堀の拾ヶ堰(農業用水路)にソメイヨシノの並木も真っ盛りとなっています。晴れた日は遠くに雪の被った常念岳が正面に望め、絶好の撮影ポイントとして人気があります。

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安曇野には多くの種類の桜木があり、名木、古木、大木がたくさんあります。

この時季、各地から撮影や見物に訪れる方たちも多いのですが、これらの木々は個人所有の庭や畑地などに植え込まれているのが多くあります。畑地などに入らない、ゴミを落とさない、そして今は春耕の時期ですので作業の邪魔にならないなどのマナーが必要ですね。

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連ドラ「おひさま」に出てきた安曇野の風景 (3)~街並み

安曇野が舞台のNHK朝のテレビ小説「おひさま」で放映された安曇野とその周辺の風景を紹介しているコーナーです。

* 掲載した写真で、左上に時刻表示の数字があるのは、テレビ画面を撮ったものです。

陽子が安曇野女学校へ自転車で通学する往復路、安曇野の街中を通るシーンがよくでてきます。この昭和初期を彷彿とさせる街並みは、安曇野には残っていません。

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これらの場面は、木曽路の宿場・奈良井(塩尻市)で収録されました。軒を連ねる奈良井の街を、安曇野の昭和初期の街並みに変身させました。     

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奈良井は、妻籠、馬篭などと並ぶ旧中山道に十一あった宿場の一つで、今でも約1キロ㍍にわたり宿場の面影を残す木造建屋が並びます。

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美しい町並みは、重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

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陽子が永遠の友人として契りを結んだ真知子、育子と女学校の帰路、安曇野の商店街にある飴屋にこっそりと(当時の女学生は入店ご法度でした)立ち寄るシーンがよくあります。

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現在の奈良井は街並みが古いだけでなく、店の中をのぞくとドラマの小道具にも使えるような骨董品なども並んでいます。往時を思い起こさせますね。

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手焼きせんべいも、昔ながらの木製ケースに入って販売されています。

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最近放映された場面では、出征兵士を見送るシーンも奈良井で撮られています。    

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奈良井は、上町、中町、下町の三街区に分かれますが、出征行進は上町でロケが行われました。

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奈良井の民宿に木彫りの鍾馗が残っていました。この鍾馗さんに家内安全に合わせ、戦中は武運長久も祈ったかも知れませんね。

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強い日射しから肌を守るエスケアウォーター

「日焼けによるシミなど肌のトラブルは、すばり肌の水不足が原因」との研究から作られた日焼け、シミ防止の全身用化粧水があります。

エスケアウォーター」といい、肌にたっぷりスプレーして使うことにより、水の潤いベール(皮膜)を作り強い太陽光から肌を守ります。

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水といっても通常の飲料水と違って、細胞水の研究から生まれた生体水に近い“水”で、肌細胞との親和性と浸透力に優れています。また肌のペーハー(ph)バランスをやさしく保つ特性があります。

肌の乾燥やアレルギーなどの原因となる紫外線反射材や、シミ、シワ、くすみなどの原因となる紫外線吸収剤などの保存料は一切含まれていませんので、安心してお使いいただけます。

朝のお手入れの最後に、またはメイクの上から使用すると化粧崩れを防ぐ効果もあります。強い日射しの下では、数回、繰り返し使うと効果が上がります。

          〔 エスケアウォーター
                    100ml入り    1,575円(税込み)

* 〔 エスケアウォーターウォーター  〕は、ハーブスクエアで通常販売しているほか、通信販売でも取り扱っています。  詳しくは、TEL 0263(83)7782へお問い合わせください。

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メディカルハーブ-9   マロウマルバ

マロウ マルバ

和名でウスベニアオイと呼称しますが、日本のアオイとは別種になります。マロウは古代ギリシャ・ローマ時代から食用野菜として、また消炎、鎮痛の効果が知られお茶として利用されてきました。

花姿も美しいことから園芸用としても品種改良され、現在では変種も1000種に及ぶといわれています。

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お茶としていれますと、初めは鮮やかな青色に、時間が経つと紫色に変わり、レモン汁を3~4滴加えると、さわやかなピンク色にパーッと変わり色の変化も楽しめます。

有効成分の粘液質を含むことから、潤滑作用による粘膜の保護と緩和に役立ちます。このため胃炎、胃潰瘍、尿道炎などに用いられます。                 

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また、喉や気管支の炎症にも効果があります。喉が痛むとき、咳がとまらないとき、痰がからむときに飲むと症状を楽にします。声楽家やアナウンサーなど喉をよく使う方たち、あるいはタバコの吸い過ぎが気になる方にも欠かせないハーブです。

◆ 和名     ウスベニアオイ

◆ 学名     Malva sylvestris   

◆ 主要成分  粘液質、アントシアニジン(デルフィニジンなど)、タンニン

◆ 作用     皮膚・粘膜の保護(潤滑作用)、刺激緩和





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連ドラ「おひさま」に出てきた安曇野の風景 (2)~常念岳

安曇野が舞台のNHK朝のテレビ小説「おひさま」で放映された安曇野とその周辺の風景を紹介しているコーナーです。

* 掲載した写真で、左上に時刻表示の数字があるのは、テレビ画面を撮ったものです。


安曇野といえば、北アルプスの峰々を連想される人も多いと思います。連山の中でもひと際美しい山容をみせるのが、常念岳です。ドラマの背景にもたびたび姿を現します。

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麓から見た最近の常念岳の表情はこんな具合です。(冠雪している左側の山です)

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望遠で大写しすると…

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山は見る位置で違った姿を見せますが、もう少し北側から見るとこのように見えます。

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頂上部に二つのコブが見えますが、左の山を前常念岳、右手を後常念岳といいます。

第5回放映では、この常念岳に陽子と同学年の子どもたちが登山する場面が登場しました。

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物語では、 陽子たちは頂上から日の出を仰ぎました。そして、陽子はこの時、病気の母が亡くなったことを悟り、涙を流しながら「おかぁ~さ~ん」と叫びましたね。

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東から日が登り、常念岳に朝陽が当たると神々しいまでの姿を見ることができます。

陽子が頂上に立ったときの常念岳を麓から見ると、このような朝陽に染まった姿(モルゲンロート)で輝いていたかも知れません。

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しかし、ドラマのロケで実際に登ったのは常念岳ではなく、松本市入山辺の美ヶ原王ケ鼻を使ったということです。



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安曇野もサクラの季節を迎えました

気温が上昇したこともあり、昨13日に安曇野でもサクラが開花しました。咲き始めたのは、毎年他のサクラよりひと足早く咲きだす豊科の田淵行男記念館前のエドヒガンザクラで、地元で「百楽桜」と呼んでいるサクラです。

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昨年と比べ1週間ほど遅れた開花です。晴れ渡って広がる青空のもと、彩り鮮やかなピンク色が際だっています。

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ラジオでは被災した仙台、福島でも桜が開花したと伝えていました。

おそらくは毎年人々を楽しませていた東北の桜の木の多くも、津波が呑み込んだのではないでしょうか。

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この百楽桜のすぐ近くで、先だって咲きだしたことをお知らせしたリュウキンカが最盛期を迎えていました。

安曇野のサクラは、百楽桜の開花を皮切りにこれから市内各所のシダレザクラ、 ソメイヨシノ、ヤマザクラなとが次々と咲きだします。

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安曇野を南北に流れる犀川の川べりに群生しているヤナギも芽吹いて、青くなって来ました。晴れ渡った先には、常念岳をはじめとする北アルプス連峰の美しい姿を望むことができます。

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安曇野の屋根瓦-23 天女がいる大手門と屋敷林

堀金・南原のAさん宅の正門の屋根に、珍しい羽衣をたなびかせた天女の飾り瓦があります。

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アップすると、実に柔和な表情が見てとれます。瓦は野ざらし状態になりますので苔蒸していて、作られた年代の古さがうかがい知れます。

長い年月のなかで左の手首が破損して無くなっています。手首があると、この天女はどのような所作をしていたのでしょうか?

おそらく横笛をもって美しい音色を奏でていたのではないでしょうか。ですから、横笛も欠落したのではないかと…。

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天女がいるのは、この門の上です。分かりますでしょうか?

実はこの門、由緒あるものです。国宝になっている松本城の旧大手門なのです。国宝指定になる以前の明治年代、民間に払い下げられAさん宅に移築されたという経緯があります。

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その記録も残っていますし、鬼瓦部にある「離れ六つ星」の家紋が裏付けています。この家紋は、松本城最後の藩主だった戸田家の紋章になります。

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さらに、この大手門を遠くから俯瞰すると、このお宅が屋敷林であることが分かります。屋敷林とは、敷地の周りに樹木を植え込んでいる伝統的な建築空間で、屋敷森ともいいます。

樹木が冬の風雪から母屋をはじめとする家屋を守り、夏の暑いときは木陰が強い日射しをさえぎってくれますので涼やかに暮らすことができます。

安曇野を代表する昔ながらの景観で、今でもあちこちに残っています。富山県・砺波平野の散居村、埼玉から多摩にかけての武蔵野の丘陵地帯でも見ることができます。

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このお宅の前には、二十三夜塔、庚申塔などの民間信仰の石碑も残っていますし、遠くに北アルプスの秀峰・常念岳が望めます。周りは豊かな田園が残り、のどかな安曇野の風景のなかに天女がいます。

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連ドラ「おひさま」に出てきた安曇野の風景 (1)~水車小屋、道祖神など

NHKの連続テレビ小説「おひさま」の放映が始まり、視聴率も好調な滑り出しをみせているようです。ドラマの舞台は安曇野です。

「おひさま」を見て安曇野に関心が向き、訪れる方たちにドラマの場面にあわせ収録した野外撮影の現場とその周辺をご紹介したいと思います。(写真の左上に時刻表示があるのがテレビ画面を撮ったものです)

まず、よく画面に出てくる水車小屋、資材置き場と藁葺きの民家、そして2体の道祖神の風景です。

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第1回で主人公の陽子家族が母の療養のため、東京から新天地・安曇野に転居してきた冒頭場面にでてきました。リャカーに母を乗せ、家族が新居へ向かう途中でこの風景が映っていました。

国営あづみの公園の敷地内に造った野外セットです。

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第5回では母の容体が急変し緊急入院したものの先の長くないことを悟って家族のいる家に帰りたいと夫に願い、朝もやの中、やはりリャカーに乗せられて家に戻るときも同じ道を通りました。

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陽子が村の子どもたちとなじみ、村の守り神・道祖神の祭りの日、みんなと一緒に道祖神を絵具で彩色した場面がありました。

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その道祖神が水車小屋の前にただずんでいます。ロケのときから日にちが経ちましたので、少し色が落ちてきて風情が出てきています。 

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この屋外セットはドラマにたびたび登場していますね、陽子が成長し女学校へ自転車で通うときも、ここを颯爽と風に髪をたなびかせ走っていました。

この道祖神を振り向くと、つまり対面の風景はこんな具合です。安曇野と遠くに松本の家並を見ることができ、美ヶ原など東方の 山並みが連なっています。

この景色を見ながら、撮影が進んだことになります。   

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陽子が学校の遠足で出かけた大きな樹木のある山の広場がありました。

ここは、隣の池田町にある大峰高原で撮影されました。

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大きな樹は、七色カエデといって秋の紅葉の時期に赤、黄、緑の色が濃淡をつけ七色に輝くことから名付けられました。

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高さ11㍍、、直径が15㍍、樹齢250年という大木です。

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鮮やかな色で咲き誇るサンシュユの花

街中を歩いていて、あまりにもみごとに咲き誇っているサンシュユの木に出あいました。

市内堀金・中堀の広い庭の一角で、晴れ渡った青空のもと、際だった鮮黄色で人目を惹くように咲いていました。

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サンシュユは、高さが3~5mほどになる落葉小高木ですが、なかには10mほどになるものもあるそうです。

サンシュユはこの時季に咲く花の鮮やかさから、別名ハルコガネバナとも呼ばれます。

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秋になると熟して実をつけます。紅色で楕円形のおいしそうな実でアキサンゴの異称もあります。しかし、実は渋くて生食には向きません。

実から種を取り除き乾燥させ、乾燥皮を果実酒として漬け込み、滋養強壮、疲労回復に用いられてきています。

生薬として、あるいは八味地黄丸、牛車腎気丸などの漢方製剤にも使われています。

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漢字で山茱茰と書きますが、茰の字はグミと読みサンシュユはヤマグミと呼ばれることもあります。

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いち早くダンコウバイが咲き出しました

毎年、ガーデンに春の訪れを知らせてくれるダンコウバイが咲きだしました。他の花木に先がけて、黄花をたくさんつけます。

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漢字で壇香梅と書きます。壇香はあの芳香を放つビャクダンの漢名で、材に香りがあることから壇香の字が当てられたようです。

ですから、枝を折ると芳香がしますし、種子も強く匂います。葉も揉むとわずかに香ります。

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ダンコウバイの花は葉が出る前に開花しますが、やがて出てくる葉は幅広い楕円形をしていて、先端が浅く三裂します。  

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ガーデンはダンコウバイの開花に促されるように、植え込んである草木がこれから次々と芽をだし生育を始めます。

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安曇野発のドラマ「おひさま」が、人々を明るくしてほしい

NHKの連続テレビ小説の新しい番組「おひさま」が、昨日4日から始まりました。大震災報道の影響で予定より1週間遅れてのスタートになりました。

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戦争をはさむ昭和の時代に、おひさまのような笑顔で周りの人たちを明るく照らし続けた陽子(井上真央)が主人公で、安曇野が物語の主な舞台になります。

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第1回目の放映では、安曇野の風景が野外ロケとともに随所で流れていました。

このドラマの脚本を書く岡田恵和さんは、舞台となる安曇野を「水がきれいな土地なので気持ちもきれいになるような気がするし、四方を山に囲まれていて、常に山が見える景色は人を落ち着かせますよね」と語っています。

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そして、このドラマが「名作となる予感がする」とも…。

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ドラマはこれから、病気の母から「つらい時には笑うのよ」と優しく教えられた陽子が、戦前、戦中、戦後の激動の時代を明るく生きていく姿を描いていくということです。

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新聞のラテ面に、ドラマは激動の時代を普通の人が泣いたり笑ったりして生きていく様を繊細に描き「小さな感動が積み重なり、(東日本大震災の)3・11後の日本を温かく包む予感がする」と書いていました。

余りにも過酷で重い震災の現実に直面した方たちにも、このドラマが少しでもやすらぎと希望の陽ざしを与えてくれるといいですね。

* 写真はいずれも、4日朝に放映された番組から撮ったものです。

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野沢の水神さま~三郷・野沢

むかし、野沢に権六、みちの夫婦が住んでいました。二人は働き者で、朝早くから夜遅くまで、少しの暇(ひま)も惜しんで、それはそれはよく働きました。その甲斐あってか、暮らしにも少し余裕が持てるようになってきました。

そんなある日、権六がみちにポツリといいました。「これまで脇目もくれず働いてきたが、どうも子どものいねえのがさびしいなあ」。次の日からみちは暇があると、近くの道祖神にお参りしては、子宝を授かるようにと祈りました。

          019      (権六、みち夫婦が子宝を授かろうと願掛けしたのは、どんな道祖神だったのでしょうか)

ある日のこと、みちはいつものように道祖神にお参りに行くと、ねんねこに包まれた男の赤ん坊が捨てられていました。泣く力もなく、ぐったりとして眠っています。誰がこんなかわいそうなことをと思い、家へ連れて帰りました。

権六も「かわいそうにな。親が見つかるまで育ててみるか」といったので、二人で大事に育てることになりました。

二人はこの子に助六という名をつけて、自分の子のようにかわいがりました。権六は前よりもいっそう仕事に精を出し、みちは助六のお守をしながら家事をしていました。やがて助六はすくすくと大きくなり、この家へ来てから三年が過ぎようとしていました。

ある雨の日、みちが夕食のしたくをしていた時、いつも側にいる助六がいないことに気づきました。外へでて遊んでいるのかなと思って、外に出て見ましたが、助六の姿は見えません。

「もしかしたら、堰(せぎ=農業用水路)に」との思いがよぎりました。道を横切り、急いで温堰(ぬるせぎ)のところへ来ました。前の日から降り続いている雨で堰は水かさを増し、濁った水がどうどうと流れていて、ところどころで渦を巻いていました。

水を汲んだり、洗いものをするために作った一段低い足場は水の下に隠れていますが、雨で濡れた土のところに小さな下駄の跡がくっきりと見えました。

              3        (堰は用水を満々と張って、周辺の田へ水を運びます)

「子どもが流されたー。助けておくれ!」とみちは大声でなんども叫び、下流の方へ走ります。その声に気づき、近所の人たちがみちの後について何人か走ってきました。

温堰と小田多井堰が分かれるところまで来たみちは、水の上に浮かんでいる助六を見つけました。「助六、助六」と叫ぶが早いか堰へ入り、よろよろと歩きだしました。

「あふねえぞー。流されちまうぞー」と後を追ってきた人の声も耳に入らず、みちは強い流れに押されながら浮かんでいる助六のもとへいこうと必死です。やがて、みちはよろよろしたかと思うと、そのまま水の中にバターンと倒れてしまいました。

          012_2(堰が流れる近くに、子を抱いた石像が立っているのを目にすることがあります。=写真とこの話は直接関係はありません)

みちと助六が水から引き揚げられた時には、二人とも冷たくなっていました。権六は二人のなきがらを前にして、ぼう然と立ち尽くしてしまいました。

権六にとって二人を失った悲しみは大きく、何日も仕事につけなかったのですが、やがて二人の供養として小さな祠を建てました。

その後、この堰に子どもが落ちて亡くなるようなことがなくなったといわれています。

 

           * 『 あづみ野 三郷の民話 』(平林治康著)を参考にしました。

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妊娠線予防のアロマボディケアオイル

妊娠してお腹が大きくなってくると、お腹に赤紫色のひび割れをしたような線が現れるのを妊娠線といいます。

妊娠が進むにつれ子宮や乳房が大きくなり、皮膚組織も伸びてきます。皮膚の伸びに皮下組織がついていけなくなると皮下組織に断裂を起こしてしまいます。断裂を起こした部分の皮膚は委縮し固くなり、瘢痕(はんこん)のように残り赤みを帯びて見えるようになります。

一度できてしまうと産後も、時間の経過とともに目立たなくはなるものの完全には元に戻らないといいます。

ですから、妊娠線が現れる妊娠6~7ヵ月以前のケアが大事になってきます。そこで妊娠線予防のボディケアオイル「ストレッチマーク  トリートメント」をご紹介します。

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このマッサージオイルは、スイートアーモンド、アプリコットカーネルオイルなど9種類の植物油にラベンダー、フランキンセンス、サンダルウッドの精油をブレンドし、肌の伸縮性を促進しストレッチマーク(妊娠線)を予防します。100%天然成分のみで作られていますので、妊娠期間を通してお使いいただけます。

ブレンドオイルを適量を手に取り、時計回りにお腹全体にやさしくマッサージします。同じように妊娠線のできやすい腿全体とヒップもオイルマッサージします。浸透性がよくベトツキがありません。

赤ちゃんが生まれるまで毎日、朝夕2回マッサージしますと、ママになっても美しいボディを保つことが期待できます。乾燥した肌の保湿に妊娠中はもちろん、産後も安心して使うことができます。

ボディケアオイル ストレッチマーク  トリートメント  〕 
               100ml入り   2,940円(税込み )                   

* 〔 ストレッチマーク  トリートメント  〕は、ハーブスクエアで通常販売しているほか、通信販売でも取り扱っています。  詳しくは、TEL 0263(83)7782へお問い合わせください。

 

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