子どもの好きなお薬師さま~明科・清水
清水の光久寺に、そのむかし、行基(ぎょうき)というたいそう位の高いお坊さんが作ったと伝えられる、立派なお薬師さまがありました。
けれども、その後の長い戦乱で寺が焼かれたり、裏山の地滑りに遭って寺に土砂が流れ込んだりして、たいへんな目にあって来ました。江戸・元禄時代になって薬師堂が再建され、新しくお薬師さまをお迎えしました。
この新しいお薬師さまは、なんとも子どもの好きなお薬師さまでした。子どもたちが元気に遊びまわっている姿をながめることが、一番の楽しみでした。薬師堂の境内は、子どもたちにとって、いつも楽しい遊び場でした。
土に字や絵を描いたり、扉にぶら下がってギーギー動かして遊びました。かくれんぼをして床下にもぐりこんだり、天井裏へよじ登ったりしたこともありました。あまりにもやりたい放題やったので、お堂はすっかり傷んでしまいました。
村の人たちは和尚さんに「もう、子どもたちを遊ばせるのはやめときましょや。加減ってものをしらねえで、天井も板壁もささらほうさら(ひどい状態)だわ。直すのもあだ(容易)じゃねえに」といいました。
ところが、和尚さんは「それがなあ、あのお薬師さまは、ことのほか子どもがお好きでな。天気が悪かったりして、子どもが来ねえ日にゃ、ご機嫌ななめになるだわね。だで、壊れたところを直してむらえりゃ(もらえれば)大助かりだわ」というのです。
(子どもたちは境内の石像や木の陰に隠れて、かくれんぼなどして遊んだことでしょう)
和尚さんが叱らないものだから、子どもたちは、だんだんやることが荒っぽくなり、とうとうお薬師さまをお堂から持ちだして、縄で引っぱりまわしたり、かくれんぼの仲間としてどこかに隠し、鬼に探させたりしました。
ある時、鬼が目をつぶっている間にお薬師さまを隠そうとしていた子が、ちょうどいい窪みを見つけました。そこにお薬師さまを隠し、見つからないように落ち葉を手で集め、何回も上にかぶせました。すると、そこは落ち葉の吹だまりのようになって、だれもお薬師さまが隠されているようには見えませんでした。
秋の日はつるべ落としで、鬼の子が隠れていた子を全部さがしだすころには、もう薄暗くなっていました。そこで今日の遊びはここまでということになって、お薬師さまが隠れていることなどすっかり忘れて、みんなはそれぞれ家に帰って行きました。
次の日は冷たい雨が降り、その次の日は雪に変わりました。雪が積もっても、子どもたちはやって来ました。雪投げをしたり、雪を転がして大きな玉を作ったり、薬師堂のぬれ縁であやとりなどをして遊びましたが、雪の下にお薬師さまが、まだ隠れたままでいることなど、すっかり忘れていました。
(かって、俳人・松尾芭蕉も光久寺を訪れ、一句詠んでいます。「さざれ蟹 足這いのぼる 清水かな」の句碑が残っています)
暮れになって、お堂の大掃除にやってきた和尚さんは驚きました。お薬師さまがいないのです。遊んでいた子どもたちにたずねました。「おらたちも、ここんとこお薬師さまと遊んでねえなあ。おら知らねえじ」と口々にいいます。「正月も近いだに、お前たち、手わけして探してりょ。わしも探すでな」。
こうして和尚さんと子どもたちは、天井裏、床下、境内のあちらこちらを探しましたが、お薬師さまを見つけることはできませんでした。
それから、十年ほど経ちました。子どもたちも大きくなり、大人と一緒に働くようになった子もいます。なによりも、お薬師さまのことを一番案じていた和尚さんは亡くなり、次の和尚さんに代わっていました。ある夜のこと、その若い和尚さんの夢枕にお薬師さまが立たれました。
「わたしは、子どもたちと遊び過ぎて、こんなところに閉じ込められてしまった。苦しくていかん。早く出しておくれ。さもなけりゃ、このまま土に還るぞよ」といわれるので、「どこにおいでなさるんで…」と、たずねたところで目が覚めました。朝になるのを待って、村の人たちに集まってもらい、夢の話をしました。
そして、みんなでお堂の中から境内の隅々まで、くまなく探しまわりました。それでも見つけだすことはできません。みんな疲れたので、ひと休みすることになりました。大人たちの向こうに、子どもたちが数人集まっています。
「なにか、あったかや」と声をかけると「この辺で、なんか声が聞こえるだいね」というので、大人たちが駆け寄りました。そして耳を傾けましたが「なんにも聞こえねえわい」。「聞こえるよー」。子どもたちが聞こえるというので、大人たちはそこを掘ってみることにしました。
(光久寺の境内に、かって子どもたちの教育の場となった分教場が残っています。その入り口の上に光久寺の額が掲げられています)
すると、いきなりお薬師さまが現れました。「おーっ!」と歓声が上がり、「お薬師さまが帰って来られた」と拍手が起こりました。けれども、和尚さんが土の中から取り出したお薬師さまの手と足は、もう土に還っていました。鼻先も少し欠けていました。
それでも「子どもたちは、まだ遊びに来ないかなあ?」とやさしいお顔で待っているように微笑んでいたといいます。
* 『あづみ野 明科の民話』(あづみ野児童文学会編)を参考にしました。
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