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2011年1月

人が病気になる原因を解き明かす安保徹講演会

免疫学の第一人者・安保 徹さん(新潟大学大学院教授・医学博士)の講演会が、3月5日(土)に県松本文化会館で開かれます。演題は「人が病気になるたった2つの原因~低酸素・低体温の体質を変えて健康長寿!」です。
講演会を企画・主催する「信州・まつもと喜楽会」では、この講演会が「病気について理解を深め、自分の生き方を問い直してみるきっかけになれば」と、たくさんの方の聴講を呼びかけています。

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安保教授は、これまでとは違った視点から免疫学を長く研究を続けていて、その過程で多くの業績を積み重ね世界的に名を知られる免疫学者です。今回の講演はこれまでの研究の集大成ともいえる「人はなぜ病気を患うのか」という病気のメカニズムそのものに迫る内容がテーマになっています。
「私たちは60兆ある細胞の中に、性質の異なる二つのエネルギー工場を持っています。このエネルギー工場をうまく使い分けることで、人間はここまで進化してきたわけですが、じつはこの細胞のエネルギー系にこそ、人が病気になる決定的なカギが隠されていたのです」と、その著書のなかで語っています。

こうした内容をできるだけ平易に分かりやすく、直接本人から聴講できる絶好の機会ともいえます。

「安保 徹講演会 2011 in松本」は、同日14:00~16:00/同会館大ホール/入場料 当日券 一般2,500円 前売券 2,000円(平安堂書店などで取り扱い中)/問い合わせ先:信州まつもと喜楽会事務局 080-2269-9619、0263-52-5169

*ハーブスクエアでも、安保 徹さんの『「薬をやめる」と病気は治る』『「免疫を高める」とガンは自然に治る』などの著書多数を取り扱っています。どうぞ、ご利用ください。

*講演会についての詳細は、信州・まつもと喜楽会のHPでご覧ください。

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安曇野の屋根瓦-17  鬼瓦(その2 水文字)

「安曇野の屋根瓦-16 鬼瓦(その1)」で鬼瓦の変遷について書きましたが、明治以降は火事から家を守るために「水」の文字瓦が多く用いられるようになり、今でもそれは変わらないようです。

最近の水文字はどっしりとした太文字で、金箔を貼ったものなども見受けられます。

     17                                 (穂高・田中の民家)

鬼瓦を作る職人さんを「鬼師(おにし)」と呼びます。その鬼師たちが腕を競って作った水文字も、それぞれに個性があって、見ていて楽しいものです。

明科・荻原の民家ですが、力感のある水文字ではないでしょうか。

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市指定の有形文化財になっている穂高・等々力の「等々力家住宅」の鬼瓦です。鬼瓦がいつのものかは定かではありませんが、建物は江戸中期のものですので、鬼瓦もそのころのものかも知れません。

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下の鬼瓦は簡素なデザインですが、なんどか塗り替えられ、瓦部も赤くなっています。水文字は、白く塗られ目立つように施されています。   

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こちらは、屋号の上に両側の雲にはさまれる形で、水文字がデザインされています。

     Photo_2                                 (穂高・新屋の民家)

     Photo                               (穂高・矢原の民家の蔵)

民家だけでなく、消防分団の倉庫の屋根にも水文字の鬼瓦がありました。消防団の施設だけに、説得力と趣があります。

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           067                                                 (明科・矢ノ沢)

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姿を消そうとしいるコンクリ製3連アーチの常盤橋

穂高常盤と狐島地区の間を流れる穂高川に架かる常盤橋というコンクリート製の3連下路アーチ橋(ローゼ橋)があります。国道147号と同19号を結ぶ県道上にあり、全長100m余りの見た目に堅固ながっしりした橋です。

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この橋が架け替え工事に伴って、夏過ぎには取り壊される予定になっています。すでに昨秋から仮橋につなぐ仮設道路の工事も始まっています。仮橋はまもなく工事が始まり、夏ころまでに完成する見通しで、その後現在の橋が撤去され新しい橋の本格的な工事が始まるということです。

この常盤橋が完成したのが、今から50年前の昭和35(1961)年。白鳥飛来地、早春賦歌碑、「水色の時」道祖神なども比較的近くにあります。ですから半世紀にわたって市民はもとより観光で訪れた人々も、この橋から恩恵を受けてきたことになります。

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この常盤橋周辺は、以前からワサビ栽培が盛んであったところです。静岡に代わって主要産地となった安曇野のワサビ生産は、昭和35年に2千㌧を超し「ワサビ景気」が地域経済を潤しました。

常磐町交差点から常盤橋にいたる道の裏手に「狐小路」と呼ばれた450㍍ほどの通りがあります。界隈は、料亭、花街が軒を連ね夜な夜な賑わい「肩と肩を触れ合わせずには通れなかった」ということです。生産者や関係者が1日の仕事を終えた後、この橋を行き来したことでしょう。いわば、ワサビの隆盛とともに地域の歴史を刻んできた生活遺産としての3連アーチ橋ともいえるでしょう。

昔日の面影を残す常盤橋ですが、その命脈もあと僅かです。下路アーチ橋が全国的にそう多くなく、しかも鋼鉄製のものと違って、コンクリート製となると滅多に目にする機会も少なくなっただけに取り壊してしまうというのはとても残念なことです。

市内には豊科の犀川に8連アーチ橋(下の写真=田沢橋)が、取り壊されずに残っています。新しく架けられた橋を車道、8連アーチの旧橋は歩行者と自転車の専用として利用されています。

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この常盤橋もそのような“住み分け”で利活用することはできないものでしょうか。取り壊しや新たな歩道専用橋の設置費用も節減できるわけですし…。古いものをジャマもの扱いしないで、遺しながら活用する発想も必要ではないでしょうか。

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姿を消した安曇野の“山の学校”…明科・峯方分教場

元日のこと、横浜と東京から家族が集まりお雑煮とおせち料理をいただいたあと、恒例となっている初詣へ。そして、安曇野を散策しようと明科・潮沢の旧篠ノ井線の廃線敷きと赤レンガ造りの漆久保トンネルへ足を伸ばしました。

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廃線敷きは数年前から整備が進み、6キロほどのウォーキングコースとして生まれ変わりました。それによって新緑から紅葉の時期まで市内外から多くの人たちが訪れるようになっています。

トンネルが近づくにつれ、初めて見る懐かしく珍しい光景に、一目見て歓声が上がりました。中でも中学生と小学生の孫たちは、色褪せた赤レンガに触れて見たり、高い架線柱を見上げたりで大変好評でした。

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廃線敷きの下を流れる小川にも赤レンガ積みの隧道があるので降りてみました。川には薄氷が張っていて、恐る恐る棒でつっいたりして…。都会に住む子には、なかなか体験できないことを短い時間で味わってご満悦な表情。

たっぷり見学した後、ふと思いついて「近くに昔の小さな学校があるけど見てみる?」と聞くと、子どもたちからも「見てみたい!」ということで、さっそく出かけたのですが…。

ない、ないではありませんか! 入り口道にロープが張られ、奥の分教場はすでに取り壊され、さら地になっているではありませんか。

実はこのさら地に、下の写真にあるような木造2階建ての分教場があったのです。写真は昨年の夏、筑北村へ行く途中、目に留まり撮ったものです。

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この建物、明治20年ころに開設された分教場で昭和7(1932)年に改築され写真のような木造2階建ての造りとなって、昭和36年まで使用された歴史を持ちます。分教場閉鎖後も保育所や授産施設として、平成16年まで活用されていたといいます。

「老朽化が進んだため」というのが、取り壊した理由とか。いつも同じ説明です。昭和年代の建造物ですので、「老朽化」するのは当たり前。傷んだところに手を入れて、教育文化遺産として遺すことはできなかったのでしょうか。

例えばウォーキングを楽しんだ人たちの休憩所として提供するとか、映画撮影用の建造物(フィルムコミッションライブラリー)としての活用法などは考えなかったのでしょうか。

明治時代の面影を残す赤レンガ造りのトンネルと廃線敷き、昭和の時代を彷彿とさせる木造の山の分教場。遺ったものと取り壊されたもの、なにか大きなものを失ったようなさびしい気持ちを抱いた新年の幕開けでした。

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メディカルハーブ-5  マロウ・マルバ

マロウ・マルバ

初夏から夏にかけて、赤紫色の鮮やかな花を咲かすコモンマロウです。アオイの仲間で、メディカルハーブとして用いるのは、このコモンマロウとマーシュマロウになります。コモンマロウは、耐寒性があり土も選びませんので栽培は容易ですが移植は嫌います。

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鮮やかな赤紫色のなかに、アントシアニン系色素や粘液質などの有効成分を含みます。ですから使用部位は、主に花部になります。日が射すと次から次へと花芽をつけますので、開花したものをどんどん摘み取り、乾燥させます。

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粘液質の潤滑作用で粘膜の保護や傷んだ組織の修復を行いますので、胃潰瘍、胃炎、尿道炎などに使うほか、声を使いすぎたことによる喉の痛みや声枯れにも有効です。粘液質は水分を失った肌に潤いを与えますので、美容面からも欠かせないハーブといえます。

◆ 和名     ウスベニアオイ

◆ 学名     Malva sylvestris

◆ 主要成分  粘液質、フラボノイド、タンニン、アントシアニン系色素

◆ 作用     潤滑作用、去痰、利尿、緩下作用

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丑の刻参り~三郷・楡

むかし、決まった時間になると、震えがきたり熱が出たりする病気がはやり、「おこりの病」と呼び新明さま(住吉神社)に丑の刻(午前二時ころ)参りをすれば治るといわれていました。

楡(にれ)に住む市之助がおこりの病にかかり、長い間よくならないので近所の人のすすめで丑の刻参りをすることになりました。市之助は臆病なこともあり、真夜中に社(やしろ)にお参りするとあって、腰が引けた形でおそるおそる歩き社の草原まで来ました。

          058(天明六年=1786年頃の建立といわれる住吉神社。本殿は市有形文化財に指定されています)

すると向こうの方で、パチパチと火の燃える音がして、ボウッと明るくなっていました。「はて今ごろ、おかしいなあ。……誰ずら?」と思いながら近づくと、お宮の近くに住む半助が、麦からを燃やしていました。

「ばかに働くじゃねえか、丑の刻だっていうに」と声をかけると、半助は「風のねえ時に燃やさなけりゃ。火事をだしゃそれこそ、えれえことだでな。それよりおめえさん、こんなとこへ何しに来ただや」とたずねました。

          063(住吉神社は大きな杜の中にあり、推定樹齢1000年以上の檜をはじめ社全域が叢林となっています)

市之助はおこりの病で丑の刻参りに来たことを話すと、「おおそうかや。早く行けや。じきに丑の刻になるずら」と、半助はせかしました。市之助は社の前に行き、拝んでいると後ろのほうに人の気配を感じました。

振り返ると、なんと人の五倍もありそうな大きな坊さんが立っているではありませんか。「助けてくれー」と叫びそうになりましたが、半助がいたことを思い出し、恐ろしいのを我慢して半助が火を燃やしていたところまで戻りました。

「おぉーい、半助さ、いたかや。半助さやぁーい」と呼ぶと「「なんだや、えらくおどけた声出して、社になにかいただかや」と半助がたずねました。「いたの、いねえのってもんじゃねえわ。そりゃでっけえ坊さまが、おれの前に現れただ。肝冷やしたぜ」というと、「ほう、そうかや。その坊さまはこんくらいだったか」。

           054                                   (境内には小さな祠が数多くあります)

半助はそういったかと思うと、森の上へ出るくらいの大きな坊さんが立っていました。「ヒャーア」。市之助は悲鳴を上げると、腰をぬかさんばかりに驚いて走り出しました。どこをどう走ってきたか分かりませんが、つまずいては転び、はいずっては立ち、夢中で走って家にたどり着いていました。

ふとんをかぶって、寝ようとしましたが、体はガタガタと震え、歯はカチカチと鳴り続けていました。しばらくすると、疲れが出たのか、うつらうつらと眠ってしまいました。

「こら、市。いつまで寝てるだ。へえ、お昼だぞよ」。母親の声で市之助は、目を覚ましました。外で顔を洗っていると「市、えらい遅いお目覚めじゃねえか。おこりの病はどんなあんべえだや」と、半助の声がしました。

市之助は半助の頭のてっぺんから足の先まで、じっと見てしまいました。「おい、そんなにジロジロ見るなよ。何かついてるだかや」と、半助にいわれて、はっとわれに返った市之助は、昨夜のことを半助に問いただしました。

           057      (広い境内には池もあり、木陰のなかで遊ぶ子どもたちの姿もあります)

「おれがか、じょうだんじゃねえぞよ」と、半助はまったくキツネにつままれたような顔をしています。市之助はさらに半助にうそをついていないか話を聞こうと部屋に通しました。話をしていると市之助は、不思議にいつもの振るえがでてきません。話はしばらく続きましたが、振るえはついにきませんでした。

市之助の振るえは、その後も起こりませんでした。キツネに化かされたとはいえ、おこりの病が治ったことは良かったと市之助は喜びましたが、あのおそろしかったことを思い出しては、ときどき身震いしたということです。

 

            * 『あづみ野 三郷の民話』(平林治康著)を参照しました。

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肌の乾燥に、柚子(ゆず)の香りのボディローション

冬になって外気温が下がると、空気中の水分が減り大変乾燥した状態になります。湿度が低いということは、肌の水分も失われてしまいます。寒いので暖房機を使用しますが、エアコンによる暖房や電気暖房器具、温風ヒーターなどは室内の湿度を驚くほど低くします。

また、冬は温暖な時節と違って運動量が低下しがちです。皮脂や汗の分泌も少なくなります。中でも肌の角質層で、体内の水分の蒸散を防ぐバリアの役割を受け持つセラミド(細胞間脂質)の分泌量も低減します。

カサカサした肌に白い粉のようなものが見えるのは、新陳代謝が進まず古い角質が乾いたまま付着しているからです。

こうして、冬はどうしても肌が乾燥しがちです。乾燥した肌は、カサつく、かゆい、つやがないなどのトラブルに見舞われがちです。

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冬の乾燥肌を防ぐには、肌に十分な水分を与えること、室内の加湿に気を遣うこと、そして体の保湿を図るが必要です。また、身体をごしごし洗ってセラミドなどの大事な脂質分を失うようなことも要注意です。

肌の潤いを保つには、風呂上がりにボディローションを塗ることで皮脂膜を作り、体内の水分バランスを適正に保って肌の乾燥を防ぐことが大切です。

柚子ボディローション」は、肌になじみやすいシアバターと天然の潤い成分であるグリセリンを配合し、肌刺激を抑えています。植物性ワックス・カルナウバロウの働きで角質層の内部はしっとり、肌表面の感触はサラッとします。

柚子の果皮から抽出した精油がブレンドされていて、さわやかな柑橘系の香りが楽しめます。乾燥による肌のカサカサやかゆみを防ぐ全身用乳液「柚子ボディローション」で、肌の潤いを守ってください。

 〔  柚子ボディローション  〕 
               300ml入り   1,470円(税込み )  

                

* 〔 柚子ボディローション 〕は、ハーブスクエアで通常販売しているほか、通信販売でも取り扱っています。  詳しくは、TEL 0263(83)7782へお問い合わせください。


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安曇野の真冬の風景です

列島全体が厳しい寒気に被われた16、17の両日、安曇野も2日連続で雪が降り続きました。断続的に強く降り16日は8cm、17日は10cmの積雪となりました。ハーブスクエアの店舗やガーデン周辺は、こんな具合です。

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庭の木にもこんなに着雪しました。

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明科の御宝田遊水池に飛来しているオナガカモやホシハジロなどの冬鳥たちも、身を丸めて寒さをしのいでいるようです。

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気温も上がらず、最高気温は氷点下で真冬日が続きました。穂高宮城の有明山神社の手水舎の水も、凍りついてしまいました。大寒前の冬の景色です。

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凍りついたのは、穂高狐島のふゆ水田んぼも同じで、飛来してここで越冬生活を送っているコハクチョウたちも足を滑らせたり、慎重に足を運んでいたりしている姿が見られました。

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ちなみに頭頂部から首にかけて黒ずんだ色をしているのは昨年生まれた幼鳥で、親鳥とともにシベリアから遥かな旅をして安曇野へやって来ました。この日までに確認されているコハクチョウの飛来数は、547羽になっています。

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バラエティーなカレーが楽しめます…「キッチン ぶたのしっぽ」

ハーブスクエアの前の通り(山麓線)を車で6、7分北へ走ると、松林の道沿いの右手に「キッチン&やど ぶたのしっぽ」の看板があります。今日ご紹介するのは、ここの豚生姜焼きとカレーです。

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「ぶたのしっぽ」は、イギリスなどでよく見られるB&B(ベッド&ブレックファスト)スタイルのペンションです。ですから、リーズナブルな料金で泊まれるし、食事もできます。

このペンション名、少し風変わりですが横文字はやめようと考えて命名したそうです。「ぶた」にも「しっぽ」にも特別の意味はないということですが、かえって親しみが持てインパクトがありますね。

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店内のあちらこちらに、店名にちなんだ豚のかわいいグッズが飾られたり置かれていたり…。子どもさんも喜ぶでしょう。

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豚しょうが焼きは、薄切りの豚バラ肉に生姜をほどよく入れ、バランスのいい味付けし、やわらかく焼き上げてくれます。生姜焼き好きにはたまらないおいしさです。一食分としてはたっぷりな量ですが、プラス低料金で大盛りの生姜焼きもオーダーできます。

生姜焼きセット(ご飯、味噌汁、サラダ付き)は、850円です。

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なんといっても、ここのメインは10種類のカレーです。タマネギを形が消えるまでバターで炒め、スパイスを加えたものがベースになります。

チキンカレー、コロッケカレー、チーズカレーから安曇野産虹マスの切り身の入ったココナッツミルクベースのタイ風カレー、味噌ベースの和風カレーまであります。(写真は赤玉の高級卵で知られる岡崎おうはん卵を使用したオムカレー)。

なかでも女性に一番人気なのが、旬の野菜をふんだんに使った「野菜カレー」。ニンジン、ナス、トマト、キノコ類、カボチャ、ブロッコリー、ピーマン等々の新鮮な野菜が入っています。スパイシーな香味に、たっぷりの野菜、ヘルシーでおいしいとなるとナンバーワン人気もうなづけますよね。

〔キッチン ぶたのしっぽ〕 安曇野市穂高有明2186-157/TEL 0263-83-5958 /営業時間12:00~14:00、18:00~20:00/定休日 毎水曜日、毎第1・3木曜日

メニューは、バラエティーです。くわしくはこちらです。

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御殿林のキツネ~豊科・新田

新田の氏神さまの周りは、むかしは大きな林でした。北側は、与平衛が藩からいただいた林だというので、御殿林、その南側は徳蔵という人の持ち物だったので徳蔵林が広がっていて、子どもたちがよく遊んでいました。

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ところが、いつのころからか、林で青白い火の玉が、ポワンポワンと浮いていたとか、大小の火が列をなして行くのを見たという話がささやかれるようになりました。それも、いつも、雨降りの暗い晩や雨上がりの蒸し暑い夜に現れるというのです。

「もしかして、ありゃあ、キツネ火じゃねえかや。キツネ火ってもんは、決って雨降りに出るって年寄りに聞いたことあるがせ」。「そうせ、キツネが雨降りに生骨や尻尾を振り回して、火の玉見せるってことも言うじ」。「そうすりゃ、ありゃ御殿林のキツネのしわざに違えねえ」ということになりました。

この話は、林で遊ぶ子どもたちにも広がりました。「うちのおじじは、ありゃキツネの嫁入だって言ってたぞ。おらの姉ちゃんも嫁入りのとき、行列連ねて行ったでな」と、正吉が言いました。

「そんじゃ、キツネも、正吉の姉ちゃんみてえな嫁入り行列して、この林を通って行くことかやあ」。そして、「こんだ雨降った夕方にゃ、ここへ集まるだぞ、いいか」と、こわいもの見たさも手伝って、子どもたちは約束しました。

     066_2(嫁入り行列のときは、紋付、袴(はかま)姿で、列をなして嫁ぎ先へ向かいました=明科歴史資料館蔵))

それからしばらくした雨上がりの夕方、約束の場所に来たのは、正吉ひとりだけでした。「なんだ、ほかのもんは、おっかねくなって来ねえだな。いくじねえもんだ」と、言ってはみたものの、やっぱり心細くなって正吉が家に帰ろうとした時でした。

御殿林の奥の方に、ポワンと火の玉が浮かび上がりました。「アーッ!」。息を飲んだ正吉は、棒のように突っ立ったまま動けなくなりました。

           085(嫁入り儀式は夕暮れに多く、行列は提灯で足元を照らしながら進みました=明科歴史資料館蔵)

二つ、三つ、六つ、七つ……火の玉は、点いたり消えたりしながら長い列になると、チラチラ揺れながら進んできました。それは、まるで大勢の人が手に手に提灯を持って歩いてくる行列のように見えました。ガヤガヤと祝い酒を飲んだ行列の人たちの、にぎやかな話し声までが聞こえてきました。

そして、紋付羽織に白足袋(たび)の人たちが、次々と目の前を通り過ぎて行きました。長持ちやら箪笥(たんす)やらが、ずらっと並んで続く、長い行列の真ん中あたりに、お籠に乗った嫁さまの姿がちらりと見えました。色の白い、それはそれはきれいな嫁さまでした。

去年、嫁にいった姉ちゃんの顔が浮かんだとき、パラパラと雨が降りだしました。ぶるっと身震いした正吉が、辺りを見回したときには、行列も嫁さまも消えて、林の中はシーンとして真っ暗やみでした。

     030(穂高・有明山神社の裕明門の天井に描かれている極彩色のキツネ。金網ネットで保護されているため、檻に入っているようです。正吉が見た色の白いお嫁さんは、白キツネだったのでしょうか)

正吉の話しを聞いて、源兵衛が御殿林のキツネをつかまえてやろうと考えました。「キツネにゃ通り道があるに違えねえ。そいつをめっけりゃ、とっつかまえら れるぞ」と、キツネ火が現れるのを待ちかまえました。しばらくした雨の夜、源兵衛は、徳蔵林から赤い提灯が並んで来るのを見つけました。

「出たぞ。あの辺りだな」。木の陰から源兵衛が、その場所を確かめると、行列はパッと消えました。「まだ、まだだぞ。次はどこに出る気だ」。源兵衛が目玉だけ動かして探っていると、なんと、行列は反対側の御殿林に現れました。「ようし、これで分かったぞ」。

次の日、源兵衛はキツネの好きな油を持って林に行きました。そして、見当つけた場所立って、御殿林から徳蔵林まで歩きながら、タラリ、タラリと油をたらしていきました。徳蔵林にある茂みにつくと、そこに穴を掘って上に草をかけ「これでよし。仕掛けは上々じゃ、仕上げは明日の朝というもんせ」と、にんまり笑って帰っていきました。夜明けを待って行って見ると、案の定、キツネが一匹、穴の中に落ちていました。

それからは御殿林で、怪しい火の玉を見たという話は聞かれなくなったということです。

 

                * 『 あづみ野 豊科の民話  』(あづみ野児童文学会編)を参考にしました。

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安曇野の屋根瓦-16  鬼瓦(その1 鬼面)

建物の大棟などの末端を飾る瓦を、鬼瓦と呼びます。雨水が家の中に入り込んでくるのを防ぐために取り付けられています。

     3                          (豊科・飯田の「蔵久」)

雨水が浸透しないよう装飾が施され、初めはハスの花模様をあしらった平面的なものが多く見られたそうです。

時代を経る中で、魔除けとして強さ、恐ろしさを強調するものに取って代わり、江戸時代になると立体的な鬼面が主流になり、武家の家だけでなく一般の民家にも取り付けられるようになったということです。

鬼面は、天地すべての悪霊を追い払うと信じられていましたので、この時代盛んに用いられ鬼瓦という呼称も定着しました。

上の「蔵久」の鬼瓦は、築200年の蔵を現在地に移築したもので、悪霊が寄りつくのを強く拒む形相の鬼面は、意匠からいっても相当古い年代ものではないでしょうか。

          002                             (穂高・牧の民家)

しかし、鬼面は近隣や来客ににらみを利かすという理由で、だんだん採りいれられなくなり縁起のいい動物や、家が火災に遭わぬように「水」という文字瓦が流行するようになりました。

     261                            (池田・渋田見の民家)

ですから、鬼瓦の部分に鬼面があるのは、現在ではそう多くはありません。でも、鬼瓦という名称は残ったというわけです。

     057                        (明科・塩川原の高根神社)

          095                        (掘金・中堀の民家)

          009                        (穂高・狐島の民家)

     024                        (筑北・乱橋の民家)


 

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安曇野の各地区で「三九郎」が執り行われています

安曇野に伝わる小正月の行事をもう一つご紹介します。

正月飾りを燃やして、この年の無病息災を願う「三九郎」が安曇野各地区で行われています。三九郎とは、通称「どんど焼き」とよばれる小正月の伝統行事ですが、安曇野、松本地方では昔からこの名で呼ばれています。

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「三九郎」は、松の取れた8日ころから始まり今月15、16日ころまで、各地区で取り組まれます。今年は、9、10日の連休がピークとなりました。

10日、安曇野市堀金・多田井でも、地区の子どもたちと家族40人余りが参加して行われました。
冬枯れした畑に4メートルほどの青竹で作った柱にわらや松、杉の小枝でやぐらを組み上げました。それに子どもたちが朝早くから各家庭を回って集めたしめ縄、門松などの正月飾りやダルマを取りつけます。

陽が山の端に傾いたころ、やぐらに火を付けるとモウモウと煙りが立ち上がり、まもなく火の手が瞬く間に燃え広がって竹が弾けて大きな音を立てると子どもたちから歓声が上がりました。

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火が鎮まると、それぞれ持ち寄った柳の枝などに刺したまゆ玉団子や餅をおき火にかざして焼き上げ、火で赤く火照った顔をしながら口にほうばっていました。

焼いた餅やまゆ玉を食べると、この1年病気をせずに暮らせると親から子へと代々語り継がれてきた新春の伝統行事が今も安曇野に残っています。

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安曇野市穂高で、伝統行事「御柱立て」が催されました

安曇野市穂高・塚原で9日、小正月の伝統行事「御柱立て」が行われました。地区の無病息災と五穀豊穣を祈って、、御柱の周りにいろいろなものを飾り付けます。

寒風が吹き抜ける中、この正月明けの行事に地区の人々、30人余りが参加しました。

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7㍍ほどの柱に横組みに骨を組み、手作りした色とりどりの小豆やもみ米を詰めたお手玉や御弊紙を取りつけます。柱に福俵、お多福面、そしてきらびやかな扇を飾り付けます。

飾りつけが終わると、「セエノォー」の掛け声のもと息を合わせ、少しずつ柱を立ち上げていきます。御柱は、決って地区の守り神である道祖神の側に立てられます。

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骨を組んでから1時間余りして、御柱が立ち上がりました。

御柱は一週間後に倒され、飾り付けられた福俵は、前の年、婚礼・出産・新築などの慶事のあった家庭に奉納され、お手玉は子どもたちに配られ、それを家の軒先に吊るし健康を祈念するという習わしが続いています。

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安曇野市内でも、この御柱立てが見られるのは数カ所に限られ豊科成相と、この塚原地区だけということです。

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メディカルハーブ-4  コモンセージ

セージ

園芸植物として人気の高いサルビアの仲間で、薬理作用のある種がセージとして分類されます。古代ローマ時代から広く利用されてきた薬用殖物になります。

写真はコモンセージ(ガーデンセージ)ですが、セージには多くの変種がありさまざまな利用法があるほか、観賞用としても栽培されます。           

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葉に芳香のあるいくつかの精油成分や有効成分を含みます。抗菌作用が強いことから咽頭炎、歯肉炎、口内炎など口腔粘膜の抗炎症に使用したり、ホルモンの分泌調整作用がありますので、異常発汗、ほてり、イライラをはじめとした更年期の諸症状に用いると症状緩和に役立ちます。

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葉の収穫は、開花の始まる時期の午前中に、茎の上部を刈り取るか、葉だけを摘み取って乾燥させて使います。

イギリスなどでは、家庭の庭に必ずといってよいほど栽培されていて、ハーブティーや料理に利用されているのを見かけます。

 

◆ 和名     ヤクヨウサルビア

◆ 学名     Salvia officinalis

◆ 主要成分  精油(ツヨシ、シオネール、カンファーほか)、フラボノイド、縮合タンニン、ホルモン様物質

◆ 作用     抗菌、収斂、内分泌調整

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安曇野は今、鮮やかな朝焼けを見ることができます

安曇野は連日、朝の冷え込みが厳しく氷点下を記録しています。5日から6日にかけて新たに雪も降り、山間部には消えずに残っています。

冷え込んだ朝は、雪の結晶が朝日に照射されキラキラと輝きを放っているのを目にすることができます。

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そんな冬らしい日々が続く中、この時期、朝日があたって茜色に染まった雲がたなびいている光景も望めます。  

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日が登る少し前から、そして登り始めてからの短い間、きれいな朝焼けを見ることができます。

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鮮やかな朝焼けが輝くときは、山肌に反射して雪を被った峰々が赤く染め上がります。こうした現象を山を登る人の間では、モルゲンロートと呼ぶそうです。         

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日が登ってからも、しばらく朝焼けが続いている日もあります。

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安曇野で見事な朝焼けを見ることができる日が、今しばらく続きます。


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子どもの好きなお薬師さま~明科・清水

清水の光久寺に、そのむかし、行基(ぎょうき)というたいそう位の高いお坊さんが作ったと伝えられる、立派なお薬師さまがありました。

けれども、その後の長い戦乱で寺が焼かれたり、裏山の地滑りに遭って寺に土砂が流れ込んだりして、たいへんな目にあって来ました。江戸・元禄時代になって薬師堂が再建され、新しくお薬師さまをお迎えしました。

     072                                (江戸・元禄期に再建された薬師堂)

この新しいお薬師さまは、なんとも子どもの好きなお薬師さまでした。子どもたちが元気に遊びまわっている姿をながめることが、一番の楽しみでした。薬師堂の境内は、子どもたちにとって、いつも楽しい遊び場でした。

土に字や絵を描いたり、扉にぶら下がってギーギー動かして遊びました。かくれんぼをして床下にもぐりこんだり、天井裏へよじ登ったりしたこともありました。あまりにもやりたい放題やったので、お堂はすっかり傷んでしまいました。     

     082                                               (薬師堂の額)

村の人たちは和尚さんに「もう、子どもたちを遊ばせるのはやめときましょや。加減ってものをしらねえで、天井も板壁もささらほうさら(ひどい状態)だわ。直すのもあだ(容易)じゃねえに」といいました。

ところが、和尚さんは「それがなあ、あのお薬師さまは、ことのほか子どもがお好きでな。天気が悪かったりして、子どもが来ねえ日にゃ、ご機嫌ななめになるだわね。だで、壊れたところを直してむらえりゃ(もらえれば)大助かりだわ」というのです。

     079     (子どもたちは境内の石像や木の陰に隠れて、かくれんぼなどして遊んだことでしょう) 

和尚さんが叱らないものだから、子どもたちは、だんだんやることが荒っぽくなり、とうとうお薬師さまをお堂から持ちだして、縄で引っぱりまわしたり、かくれんぼの仲間としてどこかに隠し、鬼に探させたりしました。

ある時、鬼が目をつぶっている間にお薬師さまを隠そうとしていた子が、ちょうどいい窪みを見つけました。そこにお薬師さまを隠し、見つからないように落ち葉を手で集め、何回も上にかぶせました。すると、そこは落ち葉の吹だまりのようになって、だれもお薬師さまが隠されているようには見えませんでした。   

秋の日はつるべ落としで、鬼の子が隠れていた子を全部さがしだすころには、もう薄暗くなっていました。そこで今日の遊びはここまでということになって、お薬師さまが隠れていることなどすっかり忘れて、みんなはそれぞれ家に帰って行きました。

次の日は冷たい雨が降り、その次の日は雪に変わりました。雪が積もっても、子どもたちはやって来ました。雪投げをしたり、雪を転がして大きな玉を作ったり、薬師堂のぬれ縁であやとりなどをして遊びましたが、雪の下にお薬師さまが、まだ隠れたままでいることなど、すっかり忘れていました。

             073(かって、俳人・松尾芭蕉も光久寺を訪れ、一句詠んでいます。「さざれ蟹 足這いのぼる 清水かな」の句碑が残っています)

暮れになって、お堂の大掃除にやってきた和尚さんは驚きました。お薬師さまがいないのです。遊んでいた子どもたちにたずねました。「おらたちも、ここんとこお薬師さまと遊んでねえなあ。おら知らねえじ」と口々にいいます。「正月も近いだに、お前たち、手わけして探してりょ。わしも探すでな」。

こうして和尚さんと子どもたちは、天井裏、床下、境内のあちらこちらを探しましたが、お薬師さまを見つけることはできませんでした。

     077                            (芭蕉が清らかさに感激した清水が、境内を流れます)

それから、十年ほど経ちました。子どもたちも大きくなり、大人と一緒に働くようになった子もいます。なによりも、お薬師さまのことを一番案じていた和尚さんは亡くなり、次の和尚さんに代わっていました。ある夜のこと、その若い和尚さんの夢枕にお薬師さまが立たれました。

「わたしは、子どもたちと遊び過ぎて、こんなところに閉じ込められてしまった。苦しくていかん。早く出しておくれ。さもなけりゃ、このまま土に還るぞよ」といわれるので、「どこにおいでなさるんで…」と、たずねたところで目が覚めました。朝になるのを待って、村の人たちに集まってもらい、夢の話をしました。   

そして、みんなでお堂の中から境内の隅々まで、くまなく探しまわりました。それでも見つけだすことはできません。みんな疲れたので、ひと休みすることになりました。大人たちの向こうに、子どもたちが数人集まっています。

「なにか、あったかや」と声をかけると「この辺で、なんか声が聞こえるだいね」というので、大人たちが駆け寄りました。そして耳を傾けましたが「なんにも聞こえねえわい」。「聞こえるよー」。子どもたちが聞こえるというので、大人たちはそこを掘ってみることにしました。

          081(光久寺の境内に、かって子どもたちの教育の場となった分教場が残っています。その入り口の上に光久寺の額が掲げられています)

すると、いきなりお薬師さまが現れました。「おーっ!」と歓声が上がり、「お薬師さまが帰って来られた」と拍手が起こりました。けれども、和尚さんが土の中から取り出したお薬師さまの手と足は、もう土に還っていました。鼻先も少し欠けていました。

それでも「子どもたちは、まだ遊びに来ないかなあ?」とやさしいお顔で待っているように微笑んでいたといいます。

 

                            * 『あづみ野 明科の民話』(あづみ野児童文学会編)を参考にしました。      

   

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安曇野の屋根瓦-15 兎、鯛、鯉

新年を迎え、「安曇野の屋根瓦」も今年の干支にちなんでウサギの瓦からご紹介いたします。

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三郷・及木の伍社の社務所の屋根にあります。

兎は草原を跳ねることから飛躍に通じますので、縁起物として飾られることがあります。

また、耳が長いことから周りの人の言うことをよく聞き調和することに長けているとして、これを人の世でも築くことが肝要との戒めを込め、飾られるという話を聞いたことがあります。

次は、「おめでたい」ことに因んだ瓦です。

こちらは、池田・渋田見の民家で見かけた波間を泳ぐ鯛です。

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鯛は祝い事に用いられる魚ですが、「めでたい」の語呂に合わせ慶事来福の願いを込めて飾っているのでしょう。  

小さなころに歌った唱歌『こいのぼり』のなかに、「百瀬の滝を 登りなば たちまち龍になりぬべき」という歌詞があります。これは、黄河上流をさかのぼり龍門という滝を登り切った鯉は、龍になって天に登ったという故事をうたっています。

立身出世の道を勢いよく進むことを「鯉の滝登り」といいますが、急流をさかのぼるピチピチとした鯉が北安曇・池田2丁目の民家の屋根にいました。こうしたいわれを願って飾っているのでしょうか。

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また、龍は口から大量の水を吐き出すといわれ、滝を登った鯉が龍になって火を伏せる、すなわち火災から家を守るという願いが込められているのかもしれません。下は堀金の民家に刻まれた鯉です。

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感染症の予防にティートリーハンドソープ

明けましておめでとうございます。健やかに新たな年をお迎えのことと存じます。

本日より新年の営業を再開いたしました。どうぞよろしくお引き立てのほど、お願い申しあげます。

ブログ「安曇野ハーブスクエアだより」も、今日から再開いたします。今後とも引き続きご覧下さるようお願いいたします。

今年の1回目は、「安全・安心の取扱商品」として、ティートリーハンドソープをご紹介いたします。

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この時期、風邪やインフルエンザ、あるいはノロウイルスによる急性胃腸炎などの感染症が流行します。
こうした感染を引き起こさないためのもっとも効果的な予防法の一つが、家に戻ってからの手洗いです。手洗いに最適の「ティートリーハンドソープ」のご案内です。

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ティートリーは、オーストラリア原産のハーブの一種で樹高6㍍ほどになる低木です。この葉から抽出した精油は、さまざまな特性を持っていますが、その一つに強力な殺菌消毒力、抗ウイルス特性があります。

ティートリーハンドソープ」は、この精油をグリセリンなどと配合し、肌刺激を抑えていますので、敏感肌の方や小さなお子さんからお年寄りの方まで安心して使うことができる液体ハンドソープといえます。ウッディ系のさわやかな香りが特徴で、少量手に取り、水に溶かしますとクリーミーな泡が立ちます。

感染症は、手や食べ物についた菌やウイルスを吸い込むことによって感染します。ですから、感染した人が作った料理を通してうつる場合もありますし、触ったドアノブやタオルなどに菌やウイルスが付着して他の人にうつることがありますので、身近な人が感染した場合は気をつけなければなりません。

なによりも外出から戻った時や調理や食事の前、トイレの後に必ず手洗いをすること、そして手洗いは「ティートリーハンドソープ」のような液体石けんで念入りに行うことが一番といえます。

  〔 ティートリーハンドソープ  〕 
        300ml入り・ノズル付き(写真右)      525円(税込み )  
        詰替用 280ml入り(写真左)         399円(税込み )             

* 〔 ティートリーハンドソープ 〕は、ハーブスクエアで通常販売しているほか、通信販売でも取り扱っています。  詳しくは、TEL 0263(83)7782へお問い合わせください。

 

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