赤沢稲荷~三郷・室町
黒沢川の近くに住む半十は、畑を耕したり、里へ下りては田んぼの仕事を手伝い、また山に行っては炭焼きをするなどよく働きました。
やがて、半十は里の方からいねを嫁さんに迎え、いっそう精を出して働きました。そのうち、なつ、さきの娘も生まれ、幸せに暮らしていました。
ある時のこと、仕事から帰ってきたいねに娘のなつが泣きながらいいました。「おらの手や足にこんなものができちゃつたで、見とくれや。みんながはやり病だで遊んでくれねせ」。
手や足を見たいねは「たんとできてるなあ。こりゃ、いぼってもんだで気にしなくてもいいわ。悪りぃもんじゃねえで」といいました。
「ふーん。そんならいいが。さきにだってできてるんね?」「ありゃ、うつるでなあ。おっかあが、子どものころにやったように、川原の石を拾って『いぼいぼ、うつれ。この石にうつれ』って言って、いぼをこすって川へ流してりゃ、もしかしたら治るかもしれんぞ」と、答えました。
そう聞いたなつは、次の日、妹のさきをつれて黒沢川へ行きました。おっ母から聞いたとおり、川原の石でこすりながら唱えました。次の日も、次の日も続けました。しかし、いぼは減るどころか、かえって増えてきました。
「おっ母さま、おらのいぼ、ちっとも取れねえで、増えたようだんね」と、困ったように言いました。そう言われて、おっ母はなつの手足を見ました。すると、手の甲ばかりでなく背中の方までできていました。
驚いたいねは、妹のさきの体も調べてみると同じように出来ているではありませんか。半十に「このままじゃ、かわいそうだんね。なんとかしてやらなけりゃ」と相談しました。
じっと考えていた半十は、あちこちにいぼ取りのお宮やお寺のあることは知っていましたが、ここからでは遠くていけないし、頼むお金もないので、近くの赤沢稲荷に頼んでみようと思いつきました。
(赤沢稲荷の小さな祠の中に一対のキツネの置物が祀られています)
次の日、半十は二人の娘をつれて赤沢稲荷へと向かいました。途中、黒沢川で、きれいな赤石を二つ拾って、坂を登り松林の中の祠(ほこら)に着きました。そして、手を合わせ「どうか娘たちのいぼを、この赤石にこすりつけるで、取っておくれや」と祈り、祠の前に赤石を置きました。
その後も半十は仕事の合間を見ては、赤沢稲荷へと向かいました。川原からもってきた新しい石に、なんども二人の娘のいぼをこすりつけました。赤石は祠の前にいくつも並びました。
(祠の前の参道の両側に、いぼ取りの赤石がたくさん積まれています)
ちょうど七日目になり、なつが顔を洗ったとき、左の手をこすったら、あかをよるようにいぼの一つが取れました。なつは喜び、半十に知らせました。
「おう、やっぱり赤沢稲荷さまは願いをかなえてくれた。ありがてえことだ。さっそく新しい赤石を供えてお礼に行かなけりゃ」といい、二人の娘をつれてお稲荷さまの祠の前に赤石をもってお礼に行きました。
それから、なつとさきのいぼは見る見るうちに取れてしまいました。この話を伝え聞いた村の人たちは、子どものいぼを取ってもらうために赤沢稲荷を訪れるようになったそうです。
お稲荷さまの参道の両側に赤石が積まれているのは、そんな村の人たちの願いの積み重なった記しだということです。
* 『あづみ野 三郷の民話』(平林治康著)を参考にしました。
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