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2010年12月

本年のご利用、誠にありがとうございました

ハーブスクエアは、本日で年内の営業を終了させていただき、明年4日まで年末年始休暇とさせていただきます。本年のご利用、誠にありがとうございました。

ハーブティーをはじめアロマ製品や安全・安心してお使いいただけるさまざまな商品などをご利用いただきました皆様、深く感謝申し上げます。

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健康・安全・安心・環境をキーワードに、皆様の生活に少しでもお役立ちいただけることを願って営業活動を続けてまいりまして15年。本年の終わりにあたり、この思いを多少ともお届けすることができたかと振り返っています。

明くる年も、さらに努力を重ねて参りたいとの思いを強くしています。そして、この「安曇野ハーブスクエアだより」を通して新たな情報発信に努めて参りたいと考えています。

どうぞ健やかな新年をお迎えください。明年もお引き立てのほど、よろしくお願い申し上げます。

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安曇野への白鳥飛来、これからピークを迎えます

今日はクリスマス。安曇野ではよくあることなのですが、24、25日あたりに雪が降ります。会話の中に「ことしもホワイトクリスマスになっわね」が、飛び交います。

今年もイブの昨夜、雪が舞い落ちました。ハーブスクエアの周辺もご覧のように、うっすらと雪化粧しました。

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ところで、年末年始、安曇野を訪れる方たちも多く、道路も混雑しますが、シベリアの厳しい寒さをさけ安曇野に越冬のため渡ってくる白鳥も、これからピークを迎えます。

安曇野へ白鳥(コハクチョウ)が飛来するようになってから27年目。その年によって飛来数は違いますが、昨シーズンは774羽が極寒のシベリアから4000㌔の長旅を経て安曇野へやってきました。

今年は10月18日に第一陣が到着し、日ごとに数を増やし21日現在で135羽が確認されています。例年、20日を過ぎたころから、さらに飛来数が増えますので年末年始は大賑わいといったところでしょうか。             

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安曇野で白鳥をウォッチングできるのは、下の3か所。相互に行ったり来たりしますので、どこかに行くと必ず見ることができます。

白鳥に関する情報はこちらです。

犀川白鳥湖アクセスマップ

御宝田遊水池アクセスマップ

北穂高狐島冬水田んぼアクセスマップ

 

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ガーデンにあるうさぎの石像

今年も残すところ、1週間。新しい世紀に入って10年を過ぎようとしているわけですが、振り返ってこの1年いかがだったでしょうか?

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来年はうさぎ年。冬に備えた作業を終えたハーブスクエアのガーデンにも、小さなうさぎの石像があります。

この石像、遠くイギリス・コッツウォルドの骨董店からやって来ました。店の片隅にポツリと置かれていた姿が、あまりにも愛らしかったので購入し持ち帰って来ました。

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それから15年余、ハーブが花開き芳香を放っている時だけでなく、雨の日も木枯らしが吹き荒ぶ日もガーデンを見守って来ました。

先だっての初雪の日も、頭からすっぽり雪に被われました。

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安曇野は、まもなく厳しい冬を迎えますが、春になってハーブたちが芽吹き、やがて花開くころに数年ぶりにガーデンを公開いたします。

そのときこのうさぎの石像も、みなさまに再会することができるでしょう。

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多賀神社の夫婦松~堀金・下堀

下堀の諏訪神社の鳥居を入ると、すぐ右手に多賀神社が祀られています。ここのご神木は、「夫婦(めおと)松」とよばれるアカマツで、二本の松の木がよじれて、い かにも仲の良い夫婦が抱き合っているように見えることから、昔からそう呼ばれてきました。

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むかし、与作という男がいて、嫁をもらって五年経ちましたが、いっこうに子どもが授かりません。このため最近は、嫁のさちとの間で、子どもを授から ないのは「おまえのせいだ」「お前さんのほうこそ」と、いさかいも多くなってきていました。                                   

この日も、子宝をめぐって言い争っているのを与作の母親が聞いて、「二人でなにを言い合っているだ!どっちが悪いなんて言えるか。そんなことより、 お諏訪さまの多賀神社へお参りしると、ご利益があるというでねえか」             

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与作とさちの二人も、口げんかしているより、人がいいということを素直に聞いてやってみる方がいいと思い直し、さっそくその夜から願掛けに行くことにしま した。                                    
その日の願掛けが終わってから、与作は言いました。「さちや、 三日三晩のお願いしてみるだいな」「おまえさんも一緒に来てくれるずらい?一人でこんな暗いとこへ来るなんて嫌だね」

「よしよし、わかったよ」と話しな がら、提灯(ちょうちん)の明かりを頼りに、手をつないで暗い夜道を帰りました。

             Cimg3394_2(子どもが欲しい夫婦にとっては願掛けも盛んに行われました。明科・池桜の江戸期に作られた接吻道祖神もこうした人たちによって祀られたのかもしれません)

与作とさちは、その後、朝も夜も願掛けに通いました。三日目の夜、二人が拝んでいるとザワザワと音がしました。「おまえさん、何かがこっちへ来るようで、 おっかねえわい」。

「もっとこっちへ寄れよ」と与作は怖がるさちをしっかり抱きかかえ、提灯をさっと突き出すと、「あれまあ、仲のいいことで。与作さでね えか。なんでここにいるだ?」と聞き覚えのある女の声がしました。

「おめえは、まつじゃねか。おめこそなんで…」と聞くと、まつは家中のものから子が授からねえと責められ、仕方なくここへ願掛けに来ているとを話しました。                           

「そうか、おらたちも同じさ。さちが一人じゃ嫌だというもんで、おれも付き合っているだ」  「与作さは、こんねにやさしいで、きっと子宝が授かるわ。うちの平蔵は、わしを責めるだけでだめだわ」「子宝は、二人して授かるものさ。平蔵にも頼めよ」  

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それから後、一年ほどして、さちは女の子を産みました。風の便りに、まつも男の子が生まれたと与作は聞きました。                                    

この与作とまつの願掛けの話が広がり、「夫婦松」にお参りすると必ずや子が授かるということが長い間信じられて、夜な夜なにぎわったということです。

 

      * 『あづみ野 堀金の民話』(あづみ野児童文学会編)を参考にしました。                                

                                    
                                    
                            

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メデイカルハーブ-3  ジャーマンカモミール

ジャーマンカモミール

カモミールという名前の由来は、「大地のリンゴ」を意味するギリシャ語だといわれます。これが示すように、カモミールはリンゴに似た甘い香りが特徴です。

春に咲き始める白い小花は、やがて熟してくると黄色い中心部から芳香を放します。   

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鎮痛、鎮静、消化促進をはじめ、様々な作用があります。お腹がチクチク痛かったり、食後に胃もたれがする時、あるいは寝つきが悪い時や風邪で寒気を感じる時などにカモミールティーを飲むと、その効果が実感できます。

カモミールは、ハーブのなかでも人気の高い種類ですが、フルーティーな香りに加え、こうした幅広い薬効が受け入れられたのでしょう。小さな子どもが飲むのに最適なお茶としても知られます。あのピーターラビットも愛飲していましたね。   

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◆ 和名     カミツレ

◆ 学名     Matricaria chamomilla

◆ 主要成分  精油(α-ビサボロール、カマズレンなど)、セスキテルペンラクトン類(マトリシンなど)、フラボノイド(アビゲニン、ルテオリンなど)、コリン、クマリン類

◆ 作用     消炎、鎮静、鎮痙、駆風、発汗、保湿、保温

◆ 効用     胃炎、胃潰瘍、生理痛、皮膚炎、消化障害、ストレス、不眠症、歯肉炎、喘息などの肺疾患など

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安曇野の屋根瓦-14 鶴に松

延命長寿を表すものとして鶴亀や松竹梅が挙げられますが、「鶴と松」のすばらしい細工の飾り瓦に出会いました。

鶴の広げた羽の一枚一枚、尾羽も細かく刻まれています。

          Photo

そして、松。ひと枝ごとの松葉を、丹念に描写し立体感を備えもっています。こうなると、職人芸の極みといえます。

          Photo_2                   (池田・渋田見の民家)

こちらは少し、簡略化したデザインになっています。     

     2                   (三郷・中萱の民家)                        

縁起物の「鶴に松」をもう一つ。松をかなり抽象化し、鶴を引き立たせる意匠になっています。    

     158_2                   (三郷・明盛の民家)

そして、こちらは松に鶴までは同じなのですが、波間に浮かぶ亀が加わっています。よく見ると、亀の顔がかなりいかつい表情になっているのが分かりますか。

どうしたのかと、ぐるり回ってみましたら合点できました。

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こちらが、正面玄関近くに取り付けられていた透かし彫りの亀と波の彫刻です。

こちらも亀の顔は、いかめしく表現されています。龍の顔にしているのです。

          102                   (堀金・田尻の民家)

おそらく、悪霊を寄せつけないという強い思いを表しているのだと思います。飾り瓦も同じように作らせたのではないでしょうか。

 

 


 


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子宝杉~穂高・宮城

有明山の麓に、子宝杉というスギが立っています。幹は、大人が五人でやっとかかえるほど太く、木のてっぺんは、空に突き刺さっているかのように高く伸びていました。
今から百年ほど昔のことです。子宝杉は千年杉と呼ばれていました。この木の横に寺がありました。

近所に住む杉造は、畑仕事の帰りに必ずここに寄りました。そして、お寺の前で手を合わせたあと、千年杉に近寄りポンポンと幹をたたきます。

杉造には十歳のときに亡くなったお父が、よく杉造を千年杉のそばに連れて来ては、「お前の名前は、この杉からもらっただ。この木のように、強く、まっすぐに、大きくなるんだぞ」といっていた思い出がありました。

              072_2(安曇野市内でも屈指の巨木で市の天然記念物に指定されている子宝杉。胸高直径約1.8㍍、樹高28㍍、樹齢は不明だそうです)

お父が亡くなってからというもの、杉造はお母と二人でせっせと働き、その日その日をやっと過ごしていました。悲しい時や苦しいとき、千年杉のところへやって来て、幹に触ってみるのでした。すると、お父に会えたような気持ちになって気持ちがやすらぐのでした。

二十歳になった杉造は、みよという嫁をもらいました。そして毎日、夕方になると千年杉を拝みに行きました。

ある日の夕方、二人でいつものように千年杉を拝んでいると、お寺の裏の方から焦げくさい臭いと煙が見えました。焚き火かなと思っていると、今度はお寺の屋根から火の手が見えます。

「こりゃ火事だ」と杉造は叫び、二人は井戸場から水を汲んできて燃え盛る火にぶちまけました。

しかし、運悪く風が吹き始め、火はどんどん広がっていきました。火事に気づいた和尚さんもあわてて出てきて「ご本尊を。本尊を!」と叫びました。杉造と和尚さんは、煙の中からやっとの思いでご本尊を運び出しました。

           075                      (子宝杉の近くの山の手に小さな石仏が並んでいます)

村人たちが集まった時には、お寺はすっかり火にまかれ、その火は近くの林の方まで燃やし始めていました。杉造は、千年杉が心配で、幹や枝に一生懸命、水をかけてやりました。しかし、とうとう枝に火が移りました。

「千年杉も助かるまい。山に広がらないように、周りの木を倒すぞー」と、村人が叫びました。
その時です。不思議なことが起こりました。

千年杉の幹から白い汁が吹き出して、それが霧のようになって林に広がり始めたのです。そして、枝からも葉からも、後から後から白い汁が吹き出してきました。
お寺も林も、深い霧に包まれたようになりました。そして、辺りが見えなくなってしまいました。すると、あれほど勢いよく燃えていた火の力が弱まってきました。

                            066                (焼け落ちたお寺は再建され、正福寺として祀られています)

やがて霧が晴れていき、周りを見渡すと火が消えています。焼け落ちた寺はくすぶっていましたが、千年杉は枝や幹が少し焦げただけで無事でした。「千年杉が守ってくれた」「ありがてえ、ありがてえ」と村人たちは口々に言いつつ、千年杉に手を合わせました。

それからしばらくたったある日、いつものように千年杉に手を合わせに来た杉造とみよは、千年杉のそばに杉の子が生えているのを見つけました。「火事から守ってくれた千年杉が子どもを産んだ。みよ、おらたちも子宝が授かるようにお願いしずよ」

           Photo     (ことし芽を出した杉の子。杉造が見つけた杉の子もこんな姿だったでしょうか)

杉造とみよは、それから朝夕、千年杉にお願いしました。そのかいあってか、杉の花粉が飛ぶころ、みよはかわいい赤子を産みました。

このことが村中の評判になり、みよにあやかって「子宝をお授けください」とお参りに来る夫婦がたくさん訪れるようになり、人々は千年杉をいつしか「子宝杉」と呼ぶようになりました。

 

    * 『 あづみ野 穂高の民話 』(安曇野児童文学会編 )を参考にしました。

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安曇野の瓦-13  孔子と孟子

穂高・宮城にある有明山神社の手水場の屋根に、おもしろい飾り瓦があります。鯱一対のほかに、「浦島太郎」(安曇野の屋根瓦-6  11月5日掲載)があります。 

その反対側の参道に面した側に、別の一対の飾り瓦があります。少し離れた神社社務所で「孔子と孟子ですか?」と聞くと「浦島太郎の一代記を起承転結で表している」とのこと。

しかし、衣冠からして唐のころの古代中国の正装で、どう見ても浦島太郎には見えません。それで、独断で「孔子と孟子」としてご紹介します。

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こちらが孔子ではないかと思います。というのも、角度を変えて見てみると、鳩と思われる鳥が足元にいたからです。「鳩に三枝(さんし)の礼あり、烏(からす)に反哺(はんぽ)の孝あり」という格言が思い浮かびました。

小鳩は親鳩より三本下の枝に止まるという礼をわきまえ、烏は養育してもらった親の恩に報いるために年老いた親烏の口に餌を含ませてやる-というような意味です。

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すなわち、礼儀と孝行を重んぜよという儒教色の濃い教えと言ってよいと思います。孔子の弟子に曾参(そうしん)という親孝行者がいて、孔子はこの曾参の姿を見て教えを説いたということです。

ですから、これは孔子の瓦像と独り合点しています。

そして、こちらはわが子の健全な成長にはよい環境を選ぶことが大切という、あの「孟母三遷の教え」、あるいは「断機の戒め」の母のもとで大成した孟子の姿を表しているのではと思うのです。

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こうした母の教育感に感謝し喜ぶ、後世の孟子に見えてくるのですが、いかがでしょうか?     

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赤沢稲荷~三郷・室町

黒沢川の近くに住む半十は、畑を耕したり、里へ下りては田んぼの仕事を手伝い、また山に行っては炭焼きをするなどよく働きました。

やがて、半十は里の方からいねを嫁さんに迎え、いっそう精を出して働きました。そのうち、なつ、さきの娘も生まれ、幸せに暮らしていました。                                    

ある時のこと、仕事から帰ってきたいねに娘のなつが泣きながらいいました。「おらの手や足にこんなものができちゃつたで、見とくれや。みんながはやり病だで遊んでくれねせ」。

手や足を見たいねは「たんとできてるなあ。こりゃ、いぼってもんだで気にしなくてもいいわ。悪りぃもんじゃねえで」といいました。

           Photo                          (黒沢川の沢)

「ふーん。そんならいいが。さきにだってできてるんね?」「ありゃ、うつるでなあ。おっかあが、子どものころにやったように、川原の石を拾って『いぼいぼ、うつれ。この石にうつれ』って言って、いぼをこすって川へ流してりゃ、もしかしたら治るかもしれんぞ」と、答えました。                                    

そう聞いたなつは、次の日、妹のさきをつれて黒沢川へ行きました。おっ母から聞いたとおり、川原の石でこすりながら唱えました。次の日も、次の日も続けました。しかし、いぼは減るどころか、かえって増えてきました。

「おっ母さま、おらのいぼ、ちっとも取れねえで、増えたようだんね」と、困ったように言いました。そう言われて、おっ母はなつの手足を見ました。すると、手の甲ばかりでなく背中の方までできていました。

     048_2                (ひっそりと佇む赤沢稲荷)

驚いたいねは、妹のさきの体も調べてみると同じように出来ているではありませんか。半十に「このままじゃ、かわいそうだんね。なんとかしてやらなけりゃ」と相談しました。

じっと考えていた半十は、あちこちにいぼ取りのお宮やお寺のあることは知っていましたが、ここからでは遠くていけないし、頼むお金もないので、近くの赤沢稲荷に頼んでみようと思いつきました。

     040_2            (赤沢稲荷の小さな祠の中に一対のキツネの置物が祀られています)

 

次の日、半十は二人の娘をつれて赤沢稲荷へと向かいました。途中、黒沢川で、きれいな赤石を二つ拾って、坂を登り松林の中の祠(ほこら)に着きました。そして、手を合わせ「どうか娘たちのいぼを、この赤石にこすりつけるで、取っておくれや」と祈り、祠の前に赤石を置きました。

その後も半十は仕事の合間を見ては、赤沢稲荷へと向かいました。川原からもってきた新しい石に、なんども二人の娘のいぼをこすりつけました。赤石は祠の前にいくつも並びました。

             052       (祠の前の参道の両側に、いぼ取りの赤石がたくさん積まれています)

ちょうど七日目になり、なつが顔を洗ったとき、左の手をこすったら、あかをよるようにいぼの一つが取れました。なつは喜び、半十に知らせました。

「おう、やっぱり赤沢稲荷さまは願いをかなえてくれた。ありがてえことだ。さっそく新しい赤石を供えてお礼に行かなけりゃ」といい、二人の娘をつれてお稲荷さまの祠の前に赤石をもってお礼に行きました。

それから、なつとさきのいぼは見る見るうちに取れてしまいました。この話を伝え聞いた村の人たちは、子どものいぼを取ってもらうために赤沢稲荷を訪れるようになったそうです。

お稲荷さまの参道の両側に赤石が積まれているのは、そんな村の人たちの願いの積み重なった記しだということです。 

 

        * 『あづみ野 三郷の民話』(平林治康著)を参考にしました。                               

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肌に付着しても安全で、エコな消臭剤

大掃除などに忙しい時期。きれいにした後は、部屋や車の中も芳香を漂わせてさっぱりしたいものですね。

そこで、これまでのものとはまったく違った、安全な消臭剤をご案内します。商品名は「リフレッシュウォーター」といいます。

リフレッシュウォーターは、花やアロマオイルなどの“よい香り”はそのままに、悪臭だけを選択的に消臭する画期的な消臭機能付き芳香剤です。

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これまで消臭は、強い香りで悪臭をごまかすマスキング法が主流でしたが、リフレッシュウォーターはあらゆる悪臭成分をアッという間に無臭成分に変化させます。ですから、活性炭のような吸着法とも違って、悪臭が再放出されることもありません。

肌やペットに付着しても安全な素材でできていて、水溶性なので水で洗い流すこともできます。また、生分解性にも優れ、水に流しても環境を汚染することがありません。

トイレやくつ箱、生ゴミ入れ容器などはもちろん、車の中のタバコや沁み込んだ嫌な臭い、アイロンをかけた後に軽くひと拭きすると嫌な臭いを寄せつけません。帯電防止効果もあります。

リフレッシュウォーターは、生活に彩りを添える微香性のもの(天然のアロマオイルを使用)と、香りをつけたくない方や香りに敏感なペットのトイレにも使える無香タイプがあります。

   〔 リフレッシュウォーター 〕 
     微香性、無香タイプとも  100ml入り    609円(税込み )  
                     500ml入り     1,029円(税込み )         

* 微香性タイプには、ラベンダー、ローズ、ベルガモット、メドー、グレープフルーツ、オーキッド、ペパーミントの各種があり、無香タイプはデオドラントになります。

* 〔リフレッシュウォーター 〕は、ハーブスクエアで通常販売しているほか、通信販売でも取り扱っています。  詳しくは、TEL 0263(83)7782へお問い合わせください。


 



 

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「おひさま」野外セットも、雪化粧

上空に強い寒気が流れ込んだ影響で、安曇野は昨日、午後3時すぎから雪模様になりました。

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霙(みぞれ)から雪へと変わり、断続的に未明まで降り続きました。そして、今朝は一面の雪化粧、路面も凍りつきました。
昨年と比べ、8日ほど早い初雪です。

日が出てきたころに、近くの雪景色を見に行くと…。

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畑も近くの山も真っ白く雪におおわれ、さらに車を走らせ5分ほど行くと…

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鮮やかに冠雪した常念岳が望めました。

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来春から始まるNHK・朝の連続テレビ小説「おひさま」の野外ロケセットも、すっぽり雪のなかにありました。

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最近、大道具さんたちがセッティングした桜の花も雪をかぶっていました。

安曇野に冬の訪れです。


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冬支度の作業が終わりました

ハーブスクエア周辺は、連日、霜柱が立ち、冷え込みの強い朝を迎えています。

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晩秋の日差しは低く、ガーデンにも長い日陰を作るようになっています。

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本格的な冬の訪れを前に急いでいたガーデン内の作業が、ほぼ終わろうとしています。

病原菌や病害虫の発生を抑えるために、生い茂っていた枯れ茎を根元から切り落とし、樹木が落とした枯葉をかき集め、雑草を取り除く作業です。

無農薬栽培ですので、陽の光をいっぱい当ててやることが欠かせません。

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こうした作業を終えると、植え込みのなかは一変して閑散とした風景に変わります。

でも、土の下はたくさんのハーブの根や株が来春の芽ぶきに向けて備えています。

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まもなくガーデンも一面雪に覆われる日が訪れます。

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その前に、植え込みの中のハーブたちには、少しでも陽の光を浴びてほしいものです。

来年も元気なハーブたちに、あた会えるはずです。

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安曇野の屋根瓦-12  鳩

穂高・北穂高の民家の屋根に鳩がいました。平和・平穏の象徴である鳩の瓦を据えているのは、家内安全や地域の平穏無事を願ってのことでしょうか。

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こちらは、ややうつ向きかげんというか、うずくまっているような鳩がいました。物思いに耽っているのでしょうか。明科・北村の宗林寺・聖徳殿の屋根上です。

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明科・矢ノ沢の山間部にある氏子8戸の「山神社」にも、鳩瓦が一対ありました。山の神は、稲作・畑作の豊穣をもたらす神で、山中に宿り動物や樹木を支配するといわれます。

一般的には女神で、女性や奥さんのことを「山の神」ということ、ありますよね。ですから、子授け・安産・多産の神ともいわれます。

          Photo                 

戦時中、矢ノ沢地区から30人余りが徴兵されたそうですが、一人も戦死せずに帰還したということです。

そんなことを知って、胸をはって遠くに目をやる社(やしろ)の鳩を見ると、小さな集落の安寧・平和を見守ってきた鎮守の象徴にも見えます。

          Photo_2                  

上が豊科・下鳥羽の蕎麦店で、下が松本市梓川・両角の民家で見かけた鳩ですが、姉妹というより同じ鋳型に入れた同一の瓦のようです。

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実に温厚で、やさしく語りかけて来るような表情に見えませんか。

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メディカルハーブ-2  エキナセア

 エキナセア 】

エキナセアは北米が原産地で、先住民族は虫に刺されたとき、ヘビに噛まれたときなどに用いたという伝承があります。

第二次世界大戦後、ドイツを中心に科学的な研究が進み、エキナセアは、抗ウイルス性、抗菌性が高く、免疫機能の強化に大きな効果のあることが実証されました。

「免疫力向上のハーブ」「天然の抗生物質」とよばれる由縁です。   

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感染症の特効薬であり、体の抵抗力を高めますので、さまざまな病気の予防や治療にも効果的です。

ガンやHIVの治療薬としても注目を浴び、研究が進められています。      

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◆ 学名   Echinacea  angustifolia         Echinacea  purpurea

◆ 主要成分  カフェ酸誘導体(エキナコシド、シナリンなど)、多糖類、アルキルアミド(イソブチルアミドなど)、精油、ピロリジジンアルカロイド

◆ 作用  免疫賦活、細菌やウイルスによる炎症の鎮静、創傷治癒

◆ 効用  風邪、インフルエンザ、気管支炎、歯肉炎、口唇ヘルペス、尿道炎、膀胱炎、 耳の感染症など

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安曇野の屋根瓦-11  鯱(その2)

鯱の尾びれの先端に、キセキレイが止まってさえずっています。「チチチッ、チチチッ」と鳴きながら、しきりに後半身を上下させていました。

明科・中川手の地蔵堂で出会った光景です。

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穂高・柏原の民家の鯱ですが、少しおどけた表情と姿で、どこかかわいらしさが漂う雰囲気ではないでしょうか。

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三郷・中萱の歓喜禅寺で見た珍しい鯱の造形です。屋根の上に明かり取りのような一層があり、その小さな屋根上にすぐ前で対峙する一対の鯱がありました。  

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こう近くしてみても、接近しているのが分かると思います。
そして、鯱の下に「左万字」紋が見えます。地図上では卍の印はお寺を表しますが、この場合は家紋に当たる寺紋を正面に向けて飾ってあるのです。

その周りを、火伏せの波が意匠されています。    

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金鯱は、名古屋城とばかり思っていたら、大町市の外れの民家の屋根にもありました。

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強い日差しにまばゆいばかりの光沢を放っていました。

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長者ヶ池の金の仏さま~豊科・成相

成相に「お天王(てんのう)さま」と呼ばれている八坂神社があります。むかし、この境内の隣りに大きな池があったそうです。その池の端には、広大な雑木林がありました。

そこを切り開いて水田を造ろうという話が持ち上がりました。そして、話し合いの結果、村の人たちが総出で開墾することになりました。

くわ、すき、まんのう、じょれん、もっこなどを手に手に持って、村人たちが集まりました。木を切り、その根っこを馬にひかせて引き抜きます。大きな石を掘りだし運び出し、土をならして行きます。荒れ地を切り開くのは、危険がともなう仕事です。それでも、だれもかれもみな、力の限りに働きました。

     110(掘りだした大きな石を運ぶ時に使ったもっこ。前後二人が担いで運びました。=豊科郷土博物館蔵)

春の彼岸から始めた開墾でしたが、いつの間にか夏が過ぎ、人びとには疲れがでてきました。八坂神社の秋祭りまでもう少しと、励ましあって作業を続けていました。

和助がくわを振り下ろしたときです。「チリーン」と、きれいな音がしました。「なんの音ずら?」。並んで掘り起こしていた久蔵も、掘る手を休めてのぞきこみました。「そうっと、掘ってみましょ、何かあるかも知れんで」。しばらく掘ると、キラッと光るものが見えました。「あった、あった」と、和助がいうと「こりゃなんだ。金の仏さまじゃあねえか」と、久蔵が驚いた顔をしています。

土の中から出てきたのは、それはそれは美しい、金でできた仏像でした。そっと辺りを見回すと、少し離れたところで、何人もで大きな石を馬に引かせて運びだしていて、だれも気づいた様子はありません。和助は、声をひそめて言いました。

     082(和助が土の中から掘り出した金色の仏像というのは、こんな感じのものだったのでしょうか?=明科歴史民俗資料館蔵)

「久蔵さ、これはおらたちが良く働くで、神さまがほうびにくれたじゃねえかい」。「ほうびって、どういうこんだい」。すると和助は「おら、酒ととっかえてくれるとこ、知っているだいね」といいます。二人の話は、まとまりました。

何日か過ぎて、和助と久蔵は金の仏さまを包んだ風呂敷包みを大事そうに抱いて、熊倉街道を歩いていました。「和助さ、えらく遠くまで行くだね」。「そうせ。熊倉まで行きゃ、誰にも分からねえずら」と、和助は得意げに言います。

そして「仏さま、悪く思わんでくだせえよ。うんまい酒で供養しますでね」と、少しやましい心を「供養する」などといいかえました。

熊倉の店で首尾よく酒に取り換えてもらい、家に帰りついた時は、もうすっかり暗くなっていました。「うまくいったいね。さあ、飲むか」。二人は飲んでいるうちに、だんだん酔いが回ってきました。

「あんねに立派な仏さまと、こんだけばかの酒じゃ、割りが合わねえ。あの店は、けちだいね」「そうだ、そうだ」と、店の悪口をいいながら、すっかり飲んでしまいました。

             069(和助と久蔵が値切られて交換した酒の量は、こんな貧乏徳利に入る程度の量だったのでしょうか?=明科歴史民俗資料館蔵)

その後も二人は、開墾の作業にでていましたが、和助と久蔵は相次いで、手を傷めたり足を怪我したりして、ずうっと災難つづきでした。二人は顔を合わせては、「仏さまのばちが当たったかいね」などと、こっそり話しあっていたということです。

           132_2           (雑木林が開墾され、広大な水田が広がっています)

そんなことがあってからも、村人総出の開墾作業は進み、九月の八坂神社の秋祭りの前に無事に作業を終えたといいます。開拓した長者ケ池はいま、見渡す限りの広い水田地帯になっています。

 

  * 『 あづみ野 豊科の民話 』(あづみ野児童文学会編)を参考にしました。

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年末年始の営業について、ご案内いたします

いつもハーブスクエアをご利用いただきまして、誠にありがとうございます。
本年もひと月となってまいりました。

年内は、12月27日(月)まで通常営業いたします。

通信販売も、27日まで受け付けいたします。通信販売のご注文は、27日午前中までにいただければ年内のお届けができます。

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明年は、5日(水)より通常営業いたします。

営業時間は、いずれも午前10時~午後5時となります。

ご利用のほど、お待ち申し上げます。

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