木喰天明行者~有明山
むかし、堀金・扇町に為吉という男の子がいました。為吉は行者になることに、あこがれていました。願いがかなって、大きくなってから行者に弟子入りし、修業するようになりました。
深い山奥で急な坂を登ったり、滝つぼで水に打たれたり、また冬にはつららが張った滝で、衣服もつけず水につかる荒行も乗り越えました。山中の修業ですので、草の芽や木の実だけを食べて過ごすのは当たり前でした。その甲斐あって、ご不動さまから「天明行者」という名を授かりました。草木を食べて修業を続けたので「木喰(もくじき)天明行者」とも呼ばれました。
ある日、「有明山を開山せよ」というお告げがありました。有明山は霊験あらたかな神さまが住んでいられると人びとからあがめられている山でしたが、開山するには厳しい山でもありました。
山に入ると、木立は生い茂り行けども行けども藪(やぶ)にはばまれ、汗まみれになりながらも道を切り開いていきました。途中で滝があれば水の行をとり、大きな声で呪文(じゅもん)を唱えながら進みました。
谷の見えるところまで来たある日、突然、黒い雲が重く広がり、夜とまちがえるほど辺りが暗くなりました。そして、大粒の雨が鋭く降ってきて、天明行者の体をたたきました。そのすぐあとに、天も地も割れてしまいそうな大きな音がとどろき、目もくらむばかりの稲妻が光りました。
その時です。目がらんらんと輝き、裂けんばかりの大きな口を開いた恐ろしいいでたちの生き物が現れました。
(天明行者の姿を描いた絵が、行者が祀られている社の裏手に残っています)
少しくらいのことでは驚かない天明行者でしたが、地面に伏して身の危険を感じ、そこから逃げ帰らざるをえませんでした。「この世に、あのようなものがいたとは思いもよらなかった。しかし、あれを退治するには我をおいて、他にはあるまい」と自分自身に言い聞かせました。
誓いも新たに前にもまして、修業を積み重ねました。火の行、水の行などの苦行をはじめ難行も克服し、ついには風となって空をかけるまでの行を修めました。そのなかで、あの怪物の正体がわかってきました。
(天明行者を祀っている穂高・宮城の木喰天明霊神宮に、怪物と戦った時の眼光鋭い行者の像があります)
それは、むかし、有明山の麓(ふもと)に住んでいて、大和朝廷軍の坂上田村麻呂将軍と戦って敗れた八面大王の化身(けしん)であることをつきとめたのです。大王の亡がらは復活を恐れた朝廷軍によって、バラバラにされ分散して埋められましたが、その霊は、どこへ行ったか分からなくなっていました。さまよっていた霊が、天明行者の前に現れたのでした。
天明行者にふたたび、天からお告げがありました。「ほかの誰にもできぬこと。その方、すみやかにおもむき、修めた秘法のかぎりを使い、退治せよ」。行者は、ふたたび怪物と遭遇した谷の見える場所へと向かいました。
(行者の前に現れた黒光りして巨体をくねらせた怪物とは、想像上の動物、龍を指すのでしょうか=穂高神社で)
そこに近づくと、前にもまして激しい風雨が吹きすさび、進む道も見えないほどでした。しかし、行者の体は雨にも濡れない不思議な力を備えていました。「バリバリ、ドカーン」といくつもの雷が落ちました。
「グァワオゥー」と、黒光りした巨体をくねらせて怪物が現れました。行者を飲み込もうと裂けんばかりの口を開き、目をらんらんと輝かせ、右へ左へ、天へ地へと、のたうちまわり行者に襲いかかりました。
戦いは、なおも続きました。怪物は、飲み込むのが難しいと知ると、今度は口から火を噴き始めました。天明行者は持っていた金剛杖を、その口にめがけて、呪 文(じゅもん)を唱えながら投げつけました。杖は喉元(のどもと)深く突き刺さりました。それでもなお、怪物は行者に襲いかかってきましたが、しだいに勢 いが衰え、ついに倒れて動かなくなりました。
(堀金の行者の生家跡に、現在「天明霊社」が建ち、行者を祀っています)
天明行者も疲れきっていました。滝つぼの横の岩盤にぐったりと倒れかかりました。それから、目を覚ましたのは、三日も眠り続けたあとでした。そして、この大王の化身の霊を祀り、山頂に向かって道を開いていきました。こうして、天明行者は有明山の開山を成し遂げました。
開山を終えた天明行者は、その後、里に戻り人びとのために心をくだく毎日を過ごしました。病で悩む人がいれば、山野の薬草の使い方を教えたり治してあげたりして暮らしたということです。
* 『あづみ野 堀金の民話』(あづみ野児童文学会編)を参考にしました。
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