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もう一つの八面大王伝説

その昔、大和朝廷が全国統一をめざしていたころの話です。東北に力をもっていた蝦夷(えみし)を平定するために、坂上田村麻呂を大将にして侵攻することになりました。そして、信濃の国(長野県)を、その足掛かりとすることし、大挙して朝廷軍を送りこみました。

信濃の国にきた朝廷軍は、住民たちに食料の米や野菜をはじめたくさんの貢物やら無理難題を押し付けてきました。「布を出せ」「兵を出せ」「馬を出せ」と、矢継ぎ早の朝廷軍からの督促にどん底に陥った村々も現れました。

     091(大王をイメージして作った石像が大王わさび農場の一角にあります。かなり物語とは違った雰囲気かもしれませんが…)

ちょうどそのころ、安曇野の里に魏石鬼(ぎしき)八面大王という力の強い人が住んでいました。大王は以前、都に住んでいましたが、朝廷が都の住民に重い年貢を課すのをみて反旗をひるがえしたため都を追われ、全国を転々としたのち、この安曇野の地に来ていました。

温泉が湧いたり、高い峰々からの雪解け水が豊かなことなどからすっかりこの地が気に入り、都を追われた仲間たちとその家族を呼び寄せ、一緒に暮らしていました。

          Photo_5     (八面大王が住んだとされる「魏石鬼の岩窟」に摩崖仏が刻まれています)

「朝廷軍は、ここまで来て乱暴なふるまいをする。許しておけぬ」「このまま見過ごすと、民(たみ)は飢えてしまうぞ」と、大王の仲間たちは口々に叫び、見るに見かねて起ち上がることになりました。

朝廷軍との戦さが始まりましたが、大王側は多勢に無勢、そして武具も少なく勇敢に攻めるも命を落とすもの、深手を負うものが続出しました。決して優勢と言えない戦さでしたが、大王側にひるむ気持ちはありません。

大王軍の中に、薬師(くすし)の弥左衛門というものがいました。五年前、朝廷軍がやって来たとき、有明山に登って薬草を採っていたのですが、大王と会ってその人柄に感服し大王のもとで働いていました。

          3(切り刻まれた大王の胴体が埋められたとされる塚。大王わさび農場の敷地内にあり、大王神社として祀られています)

その弥左衛門のもとに、嫁のあきのがやって来ました。あきのが言うには、息子の弥助に「朝廷軍から、『三十三の斑のある山鳥の尾羽で矢を作れ』という命が下った」といいます。弥助の住む矢村の地は、弓矢の産地で弥助もこの職人でした。朝廷軍がやって来てからというもの矢村の里にも、弓矢の献上の催促がしきりでした。 

大王は「三十三斑の山鳥の尾羽か? よほど長い矢にするつもりじゃ」と、いぶかしながらいいました。あきのは、「これを作って差し出さねば、弥助は陸奥(東北)の戦さにかりだされる」ともいいます。

弥助とあきのは、昨年夫婦になったばかりでした。大王は「明日まで待て。必ずヤマドリを見つけてやる」と約束しました。

          8(朝廷軍と不屈の精神で戦っていたときの大王をしのばせる木彫りの顔=有明の「八面大王の足湯」にあるモニュメント)

激しい攻防が終わった次の日の夕方、大王は弥左衛門とあきのを呼び、「昨日の約束じゃ、ほれ」と、いつ捕えたのかヤマドリが横たわっていました。あきのは、大王になんども頭を下げてヤマドリを抱いて山を降りました。

     044(大町山岳博物館蔵に展示されているヤマドリの剥製。尾羽が長いのが特徴です)

それから幾日か戦さは続き、何十人もの男たちが死にました。しかし、大王がたてこもる山の砦はなかなか落ちませんでしたが、しばらくしてあきのは、ヤマドリの尾羽の矢に胸を打ち抜かれて大王が落命したという話を聞きました。人びとの話では、その翌日、弥助の留守中に羽根くずのおびただしく散らばる作業部屋で、あきのは喉を突いて死んだという噂が流れました。

安曇野の里を守るため、最後まで戦った八面大王が討たれた砦には、その後、たくさんの鬼つつじの花が咲くようになったということです。

 

     * 『 安曇野に八面大王は駆ける 』(中島博昭著)を参考にしました。

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