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八面大王

むかし、魏石鬼(ぎしき)という鬼が有明山に登って、その山腹の中房に温泉の湧くところを発見し、「こここそ永く棲むには持ってこいの地だ」とすっかり気に入り、都から大勢の家来の鬼を呼び寄せ、自分のことを「八面大王」と名のりました。

    1376                              (信濃富士の別名をもつ有明山)

大王は大変おそろしく、魔力を使って雲を起こし、雨を降らせ、空を飛ぶように歩きます。また、里へ下りては人びとをさらって来たり、お寺やお宮を壊し、宝物を盗んだりする手のつけられない乱暴ものでした。ですから、村人たちはいつも怖がりながら暮らしていました。

    3_2(八面大王が棲んでいたとされる「魏石鬼の岩窟=いわや」が穂高・宮城に遺跡として残ります。考古学上、巨大な花崗岩でできた横穴式石室の珍しい古墳とされています)  

ある年、坂上田村麻呂という武勇まれなる大将が、東北の蝦夷(えぞ)征伐に行く途中、安曇野に立ち寄りました。そして、この八面大王の悪行を村人から聞きました。田村麻呂は、この鬼たちを退治してやろうと穂高・矢原に陣を構えることにしました。

田村麻呂は、なんどもなんども攻めてはみましたが、魏石鬼もさるもの、なかなか手ごわく攻め手を欠いていました。そこで信濃の国の社に鬼退治の祈願をして、戦勝を誓うことにしました。祈願は北から南へと続き、諏訪社から筑摩(つかま)八幡社(松本市)に詣でて祈った夜のことです。

          1(中房から引湯した「八面大王の足湯」にある大王の顔のレリーフ。いろいろな表情が八面あります)

筑摩八幡の神が田村麻呂の夢枕に立ちました。そして、「鬼の魔術を破るには、山鳥の羽で矧(は)いだ矢を使うのがよい」と告げました。ほうぼう探してようやく長尾の地(三郷・長尾)で望み通りの羽を手にすることができた田村麻呂は、鳥羽(豊科・鳥羽)でこの羽を使って征矢を作りました。

そして、八面大王と合戦沢で最後の戦いに臨みました。大王軍の力もあなどれず、一進一退を繰り返しました。田村麻呂が大王を山中まで追いつめた時、それまで乗っていた馬が倒れてしまいました。大王を打ち取るのにあと一歩というときだったのに、田村麻呂には「今度もだめか」の思いがよぎりました。

          055(安曇野市三郷の住吉神社に坂上田村麻呂征夷大将軍が祀られています。同神社にある田村麻呂の像)

その時です。突然、雷鳴がとどろき大粒の雨が降り出しました。そして、雲間から一頭のたくましい馬が天から下り、田村麻呂のそばに駆けてきました。この天馬に乗った田村麻呂は、大王めがけて山鳥の羽を使った矢を放ちました。

矢は大王の胸を深くを貫き血吹雪が上がり、さしもの大王もその場に崩れ落ちてしまいました。ついに大王を成敗することに成功したのでした。人びとは天から馬が駆け下りた奇跡が勝利を呼び込んだと喜び、この沢を「てんまさわ(現・天満沢)」と呼ぶようになりました。

しかし、魔道王と呼ばれる魔力をもった八面大王の亡骸(なきがら)をそのまま葬れば、また蘇って悪行を働くのではないかと田村麻呂は考えました。そのため、家来に大王の五体をバラバに切り放つよう命じました。そして、それらを遠く離れた別々の場所に葬るようにしました。

          Photo_3(穂高・耳塚の地名となった大王の耳が葬られたという塚。横側からみると古墳であることがわかります)

頭部を筑摩神社の境内に、耳を穂高・有明に葬りそれぞれ首塚、耳塚が残ります。胴体は北穂高の狐島と大王わさび農場がある御法田に、足は穂高・立足に埋めたといわれ、地名や社となって残っています。

 

      * 『 安曇野に八面大王は駆ける 』(中島博昭著)を参考にしました。

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